この記事は約 12 分で読むことができます。
TANOSHIKAで過ごして一年経ちました。
こんにちは、hibikiです。
早いもので、TANOSHIKA諏訪野町に通所して一年が過ぎ、今日もここで仕事と向き合っています。
過去をあまり振り返りたくないのですが、今回はいい機会なので記事にさせて頂きました。
正直なところ、以前の私はあまり過去を振り返りたいタイプではなかった。
けれど、そんな私の背中をそっと押してくれるきっかけがありました。
4月の初め、チャットを開くと、支援員さんから「1年経過!おめでとうございます!」と一行のメッセージが届いていたのです。
その一言がとても誇らしく、少し照れくさいようなこそばゆい気持ちになりました。最近の私は、ここに来るたびに様々な方とコミュニケーションを取るように心がけています。
例えメンタルが重く調子が良くない日があっても。
もちろん、朝起きて「今日は余裕がないな」と自覚する日もあります。
そんな時は、無理しない範囲で通所し、新人の方や他のチームの方たちと接するときは、できるだけ笑顔でいたいと思っています。
今、私は新しいスタートラインに立っています。
その準備を信頼できる人たちに支えられながら進めているところです。
ここで少し以前の私の話をしてみようと思います。
過去の私は問題児以上でした!
去年の4月に、私はライターとして入所しました。
当時の私は、訪問看護師さんですら手を焼くほどの「問題児」だったと思います。
双極性障がいを抱え、キレやすく、感情のコントロールが全く効かず、少しでも自分が気に入らない事があれば早退、欠席、遅刻の繰り返しの連続でした。
長いときには、2週間近く通所出来なかった時期もありました。
去年の4月から8月は「最悪」の2文字が、ふさわしい時期でした。
9月、諸事情によりグループホームから、実家へ戻ることになりました。
当時の私は、「クビ寸前」という厳しい宣告を受けるほど、周囲に迷惑をかけ続けていました。
そして、人のせいばかりにしていました。簡潔にいうと、逃げてました。
考えてみれば、そんな私に優しくしようとしてくれていた人たちすらも、「敵」と認識していた。
当然、自分の考えが正しいと思いこんで、迷惑をかけまくる最悪なhibiki…。
9月の頭には、諸事情によりグループホームから、実家へ戻りました。
この当時の自分。恥ずかしい、の一言です。支援員の皆様には申し訳けない気持ちでいっぱいです。

そんな私の変化は、少しづつここから始まります。
実家の父親の恐怖心から、鬱々と笑顔もないまま通所。
お金の使い方も荒く、すぐにキレてしまう性質もすぐには治まりませんでした。
けれど、金銭的な困窮から「お金の怖さ」を身を持って知り、すぐに社会福祉協議会の方に相談を始めるなど、少しずつ自分を立て直すべく、行動に移しました。
10月から11月も人間関係や感情の爆発に悩むことがたくさんありました。
けれど、とても大きな変化が一つありました。
9月の後半から、この2か月間、私は、ほとんど休まず通所を続けていたのです。
ただ、N支援員さんから言われた言葉が、「hibikiさんは、いつも悲しい表情をしていた」と言われたのは、鮮明に記憶しています。
役割が思い出させてくれた「目標」
季節が秋から冬にかけてへと移り変わる頃、私に新たな出会いがありました。
新人の方が入所され、私はその方に仕事を教えるような役割を任せていただくことになったのです。
また、見学に来られた方に「ライターというお仕事の魅力」を伝えたりする機会もいただきました。
こうした経験や、ライターとして、「インタビュー」の仕事に積極的に参加する中で、私は、とても大切なことを思い出しました。
それは、かつて自分が「一般就労の障がい枠を目指し、頑張ろう」としていた目標でした。
そう、日々の葛藤の中で完全に、忘れてしまっていた私の目標というか初心です。
目標を思い出し、初心の気持ちを思い出しながらインタビューに臨みました。
初めて参加したのは、大企業の株式会社マイナビパートナーズ様の代表取締役藤本氏、そこで働くA氏。
(マイナビ様のインタビュー 前編)
(マイナビ様のインタビュー 後編)
(内容:マイナビ様の障がい者雇用の考え方・働いている方の貴重なお話が書いてあります。ぜひ、参考にしてください!)
初めて、参加したインタビューでは、企業さまから見た「障がい者雇用」のリアルや、実際に働く方の考えに触れました。すべてが、新鮮で知らないことばかりの自分がいかに甘かったかを痛感させられました。12月上旬には、2回目のインタビューも福岡市に支社がある綜合キャリアトラスト様をインタビューさせて頂きました。
このころ、私は文章の構成にAIを使い始めていたのですが、こちらの綜合キャリアトラスト様も障がい者の方が未経験でAIを使いこなし障がい者の方が「ツール」として活用されていることを知り驚きました。企業様によって、障がい者雇用やその役割への考え方がこれほどまでに違うのかと、非常に大事な学びを得た瞬間でした。
(綜合キャリアトラスト様インタビュー 伊藤氏 前編)
(綜合キャリアトラスト様インタビュー 伊藤氏 後編)
(内容:障がい者とAIの使い方の方法など、細かく説明されております。また、こちらの企業様の障がい者雇用の考え方も丁寧で分かりやすい説明など興味深いインタビューです)
誰かの役に立とうと動くうちに、バラバラになっていた自分の目標が、もう一度パズルのピースのように繋がったような感覚でした。
そして、ちょうどあるきっかけで必要だったため取り寄せた資料、20年前に受けた「IQテスト」で、実は生まれつきの発達障がいを抱えていた資料を取り寄せました。
中身を確認すると、「なぜあんなに生きづらかったかのか」「なぜ感情を抑えられなかったのか」。
過去の自分の行動の理由が、少しづ紐解かれていくような感覚です。
そして、それは単なる過去の記録ではなく、今の自分を理解するための、これからどう歩んでいくか深く見つめ直すための大切な「鍵」となります。
発達障がいと自分なりの分析・対処法
12月に私は発達障がいと知りました。
判明したときのショックは、半端ではなかった。
ここも、記憶が飛んでます。でも、いいきっかけに繋がりました。
自分の原因が何なのか更に深く分かったことで、私はうじうじする前に様々な本を読み漁りました。(訪問看護師さんは全部読んだそうです)
・「発達障がいの子が見ている世界」 岩瀬利郎 アスコム ・「反応したら負け 仕事のストレスを受け流す33のヒント」 カレー沢薫著 PHP研究所 ・「漫画で分かる7つの習慣」 フランクリン・コヴィー・ジャパン監修 宝島社 ・「いちいち感情的にならない本」 内藤誼人著 PHP研究所 ・「最後に勝つ人のブレない生き方9つの法則」 植西聡著 ロングセラー出版
他は、スマホやAIで調べたり、仕事中やお休みの時間に考えたり...。色々、試しました。
12月が本当の自分を受け入れた瞬間だったような気がします。
母が倒れたときなどは、職場のコミュニケーションという出来事で頭を抱えている場合ではありませんでした。
やっと、本来の自分自身を大きく変化させようとどこかで決意したときに、インタビューした管理栄養士の米澤菜穂さん、高次脳機能障害でご両親の介護をされた作家の朝丘大輔さんのインタビューが私の弱っていた心を甦らせてくれました。
(フリーランスで管理栄養士 米澤菜穂さん インタビュー)
(内容:フリーランスで、管理栄養士の資格を活かし、記事を書かれています。パニック障害・適応障がいなどをの障がいを抱えながらも、しっかりと地に足をつけて働いていらっしゃる女性です)
(「親子すごろく」 朝丘 大介さん)インタビュー)
(内容:ご人身も高次脳機能障がいを抱えながらも、ご両親を介護され経験を持つ方。その介護の内容を本にされています)お二人の体験談・企業さんの意見で通じていたのは、ご自身の「自分取扱説明書」をよくご存じだという事でした。
企業様に関しては、「どう配慮していくか」働いている方の「取扱説明書」を企業様がお一人お一人理解しておられることでした。
とても、参考になり現在でも真似させていただいています。
変わる事の難しさと依存症という壁
1月〜3月は本当にあっという間に終わりました。
でも、このころから少しづつ、周囲の方から「変わり始めた」という意見を多く耳にするようになりました。
そして、社協の方たちのおかげで無事(支給されるかは分かりませんが)、障がい年金の申請もできました。
ようやく、一つまたひとつこなしながら、壁を壊すというよりぶち壊し続けている自分。訪問看護師さんには、避ければいいのに…。とあきれられています。
所長やM支援員さんのおかげで、就労の話も出始めております。
しかし私の「依存症(買い物)」が悪化して、体調を崩したり、家族との摩擦もありました。(現在も解決はしていません。しかし、色々と調べて試しています)
しかし、どんななにつらくても「通所だけは続ける」という意志でこれまで踏ん張ってきました。
今現在、障がい年金の審査待ちでドキドキしています。
そんな時期に、親と喧嘩しても通所できるようになり、父との関係性も少しづつですが、改善し、現在は新たな協力者とともに依存症の治療に向けて前向きに活動しています。
食わず嫌いをやめて見えた、楽な人間関係
苦手な人だと思ってずっと避けてたら、実はその方もここTANOSHIKAに必死に馴染もうとしていただけだとある日気づきました。そこにいたのは、過去の私自身でもあります。
色んな支援員の方に相談して、その方に対してノイローゼに近い状態だったはずが、今ではある方のお言葉で食わず嫌いだっただけでした。そして、その方の助言で食わず嫌いをやめてみようとしたら、いつの間にか会話をしていた…。
その人もここになじむために、一生懸命だっただと思います。
過去の私と同じです。今では、冗談を言い合えるほど関係が楽になっています。
話してみようと思ったのは、
「いい人だよ、私は好きだけどな」
とあるN支援員さんのこの言葉の影響が大きかったと感じます。
職場ですから友だちを作る必要もなけれど、ですが敵を作る場所でもありません。
合わない人とは最低限の接点だけでいいと割り切り、自分の仕事に集中できつつあります。
今は、家族や支援員さんの力を借りながら、就労に向けて前進しています。
自分の「リサーチと分析」という障がいではななく、特性を活かし、楽しみながら就労の準備をしています。
説明会が楽しみです!
何をしたいとか、どこの会社に入りたいとか特に希望はありません。でも、何が自分に合うのか、どんな仕事に出会えるのか、私はワクワクしています!
(金銭管理のが苦手な私~SOSの出し方~)
きっかけは自分の中にある(自分を支える訓練と自己分析)
「クビ宣言」が転機になり、厳しい言葉をもらったこと。様々な出来事で、現在の私は真剣に「買い物依存症」と向き合う決心が固まりました。
今は、ある方たちのおかげで、メルカリを見る時間も減少し、自分を変えるための努力を続けています。
実は、大阪で開催される大好きな「シティーハンター原画展」に行くという目標を立てました。
父の協力も得て、無駄遣いではなく「目標のための貯金」を始めています。
お給料を買い物に費やすのではなく、映画などの「自分へのご褒美」として使う仕組みに変えました。
看護師さんからも「良い方法」として、笑顔で応援してくれています。
依存症とは、看護師さんともお話していますが、長いスパンで付き合っていく覚悟です。
まずは、大阪行きを実現させるため、全力で依存症と向き合い、頑張れる範囲で仕事に取り組みます。
自分の病気を分析・勉強し、支援員さんや周囲の方の力を借りることで前に、進めています。
元来、私は前向きだったわけではありません。この瞬間にも「ネガティブ→ポジティブに変換する訓練」を続けている結果です。
「どうやって乗り越えたんですか?」や「ポジティブだね」は、訓練してるからです。
今、この瞬間も。
厳しい言葉があったから「なにくそ!」と怒りと悲しみをエネルギーに変えて、諦めず自分のペースを守ることが、壁を乗り超える最大のコツです。
→HOME










hibikiさま
インタビューがひとつのきっかけになっていたと知り、静かに嬉しく思いました。
そこからの一年の変化がとても丁寧に伝わってきました。
ご自身の変化をここまで言葉にされていることが、すでに大きな一歩だと感じます。