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この度、自らも高次脳機能障害を抱えながら、肺がんを患ったお父様と、認知症のお母様のお二人の介護を経験され、その6年間の経験を『親子すごろく 僕と父母の障老介護話』という書籍にまとめて出版された、朝丘大介さんへ、出版記念取材を行うことができました。
朝丘さんは元理学療法士で、2004年に遭った交通事故で全身6か所の骨折と脳挫傷を負い、高次脳機能障害の診断を受けました。
2015年には、2722人の中から第16回300文字小説賞優秀賞を受賞。現在は就労継続支援B型事業所にて、ブログの執筆などに携われています。
今回、朝丘様の出版に向けての想いや、自身の「障老介護」の経験から、同じような立場の方に伝えたいことなどを伺いました。
『親子すごろく 僕と父母の障老介護話』は、2025年10月に幻冬舎より出版されました。「父」「母」「僕」の三部構成となっております。末尾に販売リンクを掲載しております。
今回、お話を伺ったのは、hibiki、中村鮮魚店、makoです。
ぜひ最後までご覧ください。
出版に向けての想いなど
◎hibiki:ご自身の経験を、本にしようと思ったきっかけを教えてください。
母が亡くなってから、「自分のしてきたことは本当にこれでよかったのか?」という葛藤が自分の中で続き、介護をしてきたころの苦しみもなかなか消えませんでした。
そんな中で、私の経験が認知症介護をしている方の助けになるのなら、認知症になってからの母の人生もすこしは報われるのではないか、と思うようになったんです。
同時に、介護の「正解」とは何なのか、世間の考えを知りたい――そんな思いもありました。
◎hibiki:本にすることで、家庭の事情が分かってしまいますが、戸惑いや迷いはありませんでしたか?
それに対しては、すべて正直に開示してしまおうと考えていたので、迷いはありませんでした。まな板の鯉の心境です。ただ、実際に本を出すことでさまざまな考えの方がいらっしゃると実感しました。
◎中村鮮魚店:作中で特に思い入れのあるエピソードはどこですか?
ふだん私を褒めたことのなかった父が、介護をしているなかで「いまが最高だ」と褒めてくれたことです。このことは、介護をして、唯一報われたことです。
◎中村鮮魚店:執筆活動をする上で大事にしていることや意識していることは何ですか?
自分本位にならないように、客観性をもって〈平明〉な文章で書くことを心がけています。いまは動画が主流の時代ですが、物書きなので、仕事用のブログでは、なるべく画像に頼らず、文章で伝えきることにこだわっています。
◎中村鮮魚店:作中の「母の幸せとは何だったのだろう。」という一文が印象的でした。朝丘さんの中で見えてきたものはありますか?
最愛の夫が生きていたころが、母にとって人生でいちばん幸せなときだったような気がします。けど、そうした過去も忘れ、認知症になった母に対し、多くの人は(昔やさしかったころのお母さん)だけを心に抱いて、認知症になってからの姿には蓋がされがちです。
けれど、母は認知症になってからも、生きていたんです。
その母を、私は幸せにできたのか。そこには今も葛藤があります。
介護しても母の反応が薄かったので、あまりすっきりしないですね。
答えはでていませんが、でも、だからこそ今も考え続けています。
障がい者の介護について

◎hibiki:「障がい」を抱えて介護されるとき、どういう気持で介護されてますか。
障がいのあるなしに関わらず、「自分の親だから介護した」という気持ちがまずありました。ただ、私自身、交通事故に遭って、障がいが診断されてから働いていなかったので、親の役に立てることは嬉しかったです。
介護は、私にとって〈社会参加〉でもありました。
それまで医師からは「働くのは難しい」と言われ続けていましたが、実際に介護でハードな毎日をこなしていると、ケアマネージャーさんやヘルパーさんから、「働いている人よりも、働いている」と言われたことがあって。
その言葉が(将来、働けるかもしれない)という自信につながりました。
四六時中、気の休まらない生活ではありましたが、その分、意識が研ぎ澄まされて、私自身がしっかりしてきた部分もあったと思います。
また、親の通院の送迎や事務的なことは姉がやってくれ、兄は孫の顔を見せに来てくれたり、私が倒れたときには葬儀の手配や相続の手続きも引き受けてくれたりして、家族の中でもいい役割分担ができていました。
◎hibiki:介護するときなど、どのように「親」と向き合っておられますか。
息子として、できる限りのことをしてあげたい、という一心でみました。
また、母については、認知症である〈ありのまま〉を受けいれて接していました。
◎hibiki:私も母の介護をしています。母親は「認知症」ではありませんが、お母様の「依存」はきつかったでしょうか?どのような態度で接しておられましたか?
うちの母は特に子離れできない人でしたから、母の「依存」はとても重たかったです。生活を共にしていて、正直、嫌になることもありました。
でも、認知症だからといって、子ども扱いすることだけは、絶対にしなかったです。
みているのは〈認知症患者〉ではなくて〈母という一人の人間〉。
意識の不鮮明な母にも、自尊心はあると思っていましたから。
◎中村鮮魚店:ご病気を抱えながら執筆される中で、日常生活や執筆活動にどのような影響がありましたか?また、それをどのように乗り越えてこられたのでしょうか。
介護をしていたときは、ほとんど訪問看護師やケアマネージャーに報告する記録しか書きませんでした。
現在、就労継続支援B型事業所でライティング業務を任されています。脳が疲れやすいので、午前中だけで仕事を切り上げ、休み休みやらせていただいております。
◎mako:私も夫の両親の介護経験者です。自宅での介護は、朝丘様のように私自身も心身ともに疲弊しました。朝丘さんはどうやってそのつらさを乗り越えようとされましたか?
当時、飼っていたクッキーという犬が、心の拠りどころとなっていました。
また、そのころ、母のケアマネージャーがとてもハートのある方で、私と会うと、いつもぽろぽろ涙を流しながら、話を傾聴してくださいました。「美人に優しくされると、すぐ好きになっちゃう」と周囲から指摘されていましたが(笑)、そのケアマネージャーの存在が、心に力をくれました。
犬は手放してしまい、ケアマネージャーには、かーっとなって暴言を吐いたことから、ご縁を切られてしまいました。心の拠りどころがなくなったその後は、うんと苦労しました。
現在は、書くことと、週に一、二本映画を観ることを、心の寄りどころとしています。
◎mako:ご両親の介護の時にはノートや録音機器を使って医療関係者とやり取りをしながら介護をされてされていたそうですが、『高次脳機能障害』でのお困りごとはどのようなものが多かったでしょうか?
録音をあとで聴きかえし、紙にまとめないと、記憶を整理できない感覚があって。
母がデイサービスに行っている間などに聴きかえして、ケアマネージャーや訪問看護師に伝える要点をノートにまとめていました。
その作業があるので、母が家にいない時間も気が休まりませんでした。
また、高次脳機能障害そのものとは別かもしれませんが、介護をはじめて4年目頃から慢性疲労症候群になり、幻聴、幻覚、被害妄想などの症状がでてきた時期があり、それも大きな苦労でした。
そのため交通事故後に感じていた健忘、注意障害、集中力の低下、極端に疲れやすい脳、そして、気分の落ちこみといった症状が「高次脳機能障害なのか、それとも別の精神疾患なのか」という不安を強く抱くようになりました。ネットで調べると、これらの症状は統合失調症にも見られると知り、実際にそのように受け取る人もいました。
そこで、私は医師に率直に尋ねました。
医師からは、「統合失調症は目に見える脳損傷を伴わない内因性の疾患である一方、私の場合は画像上でも明らかな脳損傷が確認できる。診断は医局全体で検討した結果であり、高次脳機能障害という診断に揺るぎはない」という説明を受けました。
そのような説明を受けても、外からは分かりにくい障がいなので、理解されづらいもどかしさが残ります。
私の高次脳機能障害の症状で、「あちらのことについて考えていたら、今度はこちらのことが気になる」のように、意識があちこちにとんでしまうところがあり、話が広がってしまうことがあります。
◎mako:また今現在お困りのことはございますか?それに対してどのような対処が行われていますか?
一番困るのは、高次脳機能障害の脳の〈易疲労性〉という症状です。過去に無理をして脳過労で頭がおかしくなり、10か月間、強制入院させられたこともあります。
実は三年間、勤めた前の就労継続支援B型事業所は家から遠かったので、昨年末、近所のB型事業所に移りました。
環境が変わったばかりなので、かなり脳が疲労します。無理をすると、また頭がおかしくなってしまうので、とりあえず午前中だけで仕事は切り上げますが、家に帰っても、思考することができない、テレビが観れない、本が読めない、音楽が聴けない状態になりますので、シンとした部屋で真面目に「横になって何もしないこと」に専念しています。
職場では、集中力が散漫になると、(自分はいま、周りから変だと思われているのではないだろうか?)という被害妄想がでて、つい安定剤をこっそり飲んだりしてしまうこともあります。
一つひとつのことに対する強いこだわりがあり、切り替えられなかったりします。 〈保続〉という前頭葉がやられている人の症状だそうです。
親なきあと、障がい者を支えるグループホーム、就労支援施設について
◎mako:ご両親がお亡くなりになった後、その寂しさとともに働かないことで孤独を感じられていたそうですね。私には家族がいますが、私も同じような気持ちを経験しました。
現在、就労継続支援B型事業所で働いておられるそうですが、そのお気持ちは変わりましたか?
職場で人の中にいることで安心感が生まれ、孤独は時々しか感じなくなりました。
私は自分から人に話しかけるのは苦手なのですが、今いる職場ではスタッフの方が交代で、一時間おきに声かけしてくれ、心を前向きにしてくれます。
人は気にかけてくれる人がいるだけで救われ、強くなれるものだと思います。
でも、働いていなくても、別に何も恥じることはないし、間違っているっていうことも何もないと思います。働くのが幸せな人もいるし、働くのが無理な人は、もっと違う幸せがあるだろうし。それぞれ事情があるだろうから、それぞれに合った幸せでいいと思うんです。
グループホームに住んでいたときは、入居者の過半数は、病気や障がいで働いていませんでした。
現在、私は実家にひとり暮らしで、クリスマスは“クリぼっち”で寂しいですが、グループホームにいたころは、入居者全員、彼女がいない(笑)。各々が自分の部屋に籠っているだけのクリスマスですから、全然寂しくなかった。
働いていない人も、グループホーム、デイケア、作業所などで同じような境遇の人といる自分の居場所(=心の寄りどころ)を見つけておくと、(つらいのは自分だけじゃない)と自然と思え、勇気が湧いてくると思います。
読んだ方に考えて欲しいこと
◎中村鮮魚店:ご自身の経験を通して、障がいのある方の介護において、特に大変だと感じたことや、周囲に知ってほしいと感じた介護の現実はどのような点でしょうか。
私は障がいとしては比較的軽い方なので説得力が薄いのですが、高次脳機能障害があります。
理解力は保たれていても、咄嗟の判断ができないことや、気持ちが一気に高ぶって言葉がきつくなってしまうことがありました。実際、かーっとなって暴言を吐き、医師と喧嘩してデイケアを辞めることになったり、職場を解雇された経験もあります。
介護は自分のペースでできないことと、ゴールが見えないので大変でした。
もうひとつ。周囲に知ってほしいのは「つらい」と言えない人ほど追い詰められやすいという現実です。〈自分のつらさを吐露しない〉ことを信条としてきましたが、介護の現場ではそれが裏目にでました。苦しいときは「苦しい」と声に出して、医療・福祉スタッフとそれを共有した方がいいと思います。
介護する側が障がいや精神疾患などを抱えているのであれば、親の支援だけでなく、自分にも相談できる訪問看護、ケアマネージャー、ヘルパーなどの支援を早めに入れることをおすすめします。
自身の経験から同じような立場の方に伝えたいこと
◎hibiki:今、介護をしている方たちに対して、何かアドバイス等があれば教えてください。
介護は献身的になりすぎて、自分のケアを疎かにしがちです。
私の周りにも、現在介護で不眠症や慢性疲労症候群になって苦しんでいる人がいます。苦しんでいる人に気休めでかけるような言葉は見つかりません。本当にきついでしょうから。
私も慢性疲労症候群がなかなか抜けず、マルチビタミンやアリナミンAを飲んだり、試行錯誤しています。
それから、介護は家という閉ざされた空間で行なわれていることが多く、「他者に理解されないジレンマ」がありますよね。だから、なかなか報われない。
どうか家の中であったことを、どんどん開示して、理解者を増やしてください。そのほうが自分がラクになります
もうひとつ。親御さんの頭がクリアーなうちに、好きなものをひとつでも聞いておいてください。音楽でも映画でも本でも、何でもいい。
好きな曲を流す、好きなものを食べてもらったりする――それだけで、本人の希望になりますから。
旅行した場所などを写真に残しておくと、後々役に立ちますよ。ベッドサイドで、アルバムを見せて、「これなーに?」って声をかける時間が支えになることもあります。
私は母を老人ホームに入れたことで心苦しさを感じていました。
けれど、介護者が壊れてしまうようであるなら、親に老人ホームに入居してもらうのも必要な選択なのだと今は思っています。
親を施設に入れることは、親を見捨てることとは別です。
これは私が交通事故や介護疲れで二年間入院した経験から実感したことなのですが、たまに来る見舞客は、砂漠の中のオアシスのようにありがたいものでした。(きょうも夕方になれば、家族が面会にくる)――これは退屈な施設にいる者にとって強い希望になります。
人は「気にかけてくれる人がいる」だけで救われる。
母にとっても、施設で気にかけてくれるスタッフが一人いたことが、救いでした。一人いるのといないのとでは、全然違う。
介護をしているあなたも、どうか親のことを気にかけ、親の気持ちを救ってください。
そして最後に。親が亡くなれば、その時間は二度と戻りません。介護の時間は大変ですが、同時に「親と過ごせる貴重な時間」でもあります。なので、親を見送った立場としては(この時間を大切にしよう)と思いながら向き合ってほしい――そう願っています。
◎中村鮮魚店:この本で読者に伝えたいメッセージはなんですか?
『親子すごろく』は私が高次脳機能障害をかかえながら、肺がんの父と認知症の母のダブル介護に向き合った六年間のノンフィクションです。これは〈記録文学〉として、時代に劣化されないテーマだと考えています。
「介護とは何か」「家族とは何か」「自分を生きるとはどういうことか」ということを、私の事例をモデルケースとして、みなさん自身に当てはめて考えていただけたらと思います。
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画像引用元:朝丘大介『親子すごろく』幻冬舎メディアコンサルティング 2025/10発売
朝丘さんが更新されているブログ
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【今回お話を伺った感想】
hibiki:本を読ませていただいて、かなり説得力のあるお話だと思いました。
私事ですが、自分が発達障がいだと判明して、ショックを受けたことがあります。
朝丘さんにも「高次機能障がい」があります。
私は朝丘さんとは立場が違いますが、そういった点で、通じるところがあると感じました。
今回朝丘さんに、一番教えてもらったのは、両親がちゃんと笑顔で安心してくれること。
これが今の私の一番の課題だと思っています。
少しずつですが、父と「金銭管理」で揉めて悲しい想いをさせた事など、やっと理解出来るようになり、買い物することが減り、「依存症」の糸口を見つけて父の負担を減らすことに繋げたいと考えることが出来るようになりました。
「可奈子が、ちゃんと仕事を続けて(ただいま)と言ってくれることが、今の両親にとって嬉しいことなの」という母から言われた言葉が、今の私を動かしています。
父と一緒にただ音楽を聞いたり、母と猫の話をしたりする今がとてつもなく、大切な時間という認識が出てきました。母に「ありがとう」と言える幸せを感じています。
私は今、どうにか皆さんに支えられてTANOSHIKAに通所しています。
お給料が出たら、我が家用に本を買わせていただいて、改めてもう一度読もうかと思っています。
中村鮮魚店:朝丘様のインタビューのお話をいただいた頃、偶然にも高次脳機能障がいのある方のブログを読んでおり、勝手ながら不思議なご縁を感じ、参加させていただきました。
今回のインタビューを通して、介護に対する葛藤や迷いを率直にお話しいただき、家族と向き合い続けるその姿勢が大切なのだと感じました。
特に「認知症になってからも母は生きていた」というお言葉は印象的で、認知症になってからも親子の時間は続いていたんだろうと、朝丘様のお母様に対する深い思いが伝わり、強く心を打たれました。
そして、正解のない介護だからこそ、考え続けることの大切さと、家族の形について改めて考えさせられました。
葛藤を持ちながらご執筆された『親子すごろく』、そして本記事のインタビューを通して、そっと優しく背中を押された読者はきっとたくさんいるはずです。
このような貴重なお話を言葉を選びながらも、包み隠さず語ってくださり、本当にありがとうございました。
mako:私は夫の両親の介護、看取りの経験者です。義父は胃癌と大腸がんを併発し、義母は重度のリウマチを患っていました。毎日を過ごすのに精いっぱいで朝丘様のように介護の記録を残すことができませんでした。でも大変な中に介護の中で両親に対してふと感じたことや、やり取りの中で交わした言葉など、良いこともありました。しかし、年月が経つのにつれて段々と記憶が薄れてきてしまっていて、『親子すごろく』を拝読し、私もあの時の時間を大切に残しておけば良かったと感じています。
変形性股関節を患っていたなかでの介護で、自分の身体が思うようにならなくて、そんな時にでも介護は24時間続きました。夜仕事から帰ってきた義姉の力をかりながら一緒に行っていましたが、日中は一人で対応を行い、精神的にも肉体的にも限界になりそうなことが、何度もありました。
もっと福祉や医療関係の力をお借りしていれば、良かったのですが、なぜか家族みな外部の方が家に入られるのを嫌い、介護する私にも介護される両親にとっても良い状態ではなかったように思います。
家族でよく話し合い、いろんな方を頼ることも大事ですね。
今回、インタビューをさせていただき、改めて介護について考えるきっかけをいただきました。今、介護にかかわっていらっしゃる方、また今は関係がないと思っていらっしゃる方にも是非お読みいただければと思います。この度はありがとうございました。
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