「自分が嫌い」という感覚について

自分が嫌い

この記事は約 6 分で読むことができます。

皆さんは、自分のことを好きだと思いますか?

こう質問すると、たいていの人は「好き」「普通」「嫌い」のどれかで答えるでしょう。中には「わからない」とか「どうしてそんなこと聞くの?」なんて言う人もいるかもしれませんが。

自分が好きな人、好きではないかもしれないけど嫌いでもないだろうと思う人、自分が嫌いな人。世の中には色々な人がいると思います。そして私は、自分が嫌いな人です。

自分が嫌いってどういうこと?

自分が嫌いじゃない人には、自分が嫌いという感覚はよくわからないかもしれません。

自分が嫌い、という感覚は人によって違うかもしれませんが、私にとっては「許せない、本当にイヤ」から「うわぁってなる」くらいの振れ幅がある感じです。
例えるなら、前者は他人からものすごく嫌なことをされた時の怒りで、後者はレストランで頼んだ料理に苦手な食べ物が入っていた時の気持ちです。

そもそもなぜ自分が嫌いなのか?

嫌いなものがある人は、何かの理由があってそれを苦手だと感じますよね。
犬が嫌いな人は、吠えるからとか噛むからだとか。納豆が嫌いな人は、においがダメだとか。「よくわからないけど不快になってイヤだ」というのも「不快に感じるから」という理由があることになります。

私にも、自分を嫌いだな~と思う理由はあります。私には小さい頃の記憶がすごーーーくぼんやりとしか残っていないんですが、思い返してみると、「ああ、ワガママな子供だったな」と…
とにかく気に入らないことがあるとすぐ泣きわめくし、地面に転がってジタバタする。で、周りを困らせる。そんな子供だったんです、私は。

私はそんな小さい頃の自分がとにかくイヤなんです。小さい頃だけではありません。小中学生の頃とか、高校や専門学校に通っていた頃とか、社会人になって以降とか、過去二十年にわたって自分が「やらかしてしまったこと」を鮮明に覚えていて、それが原因で自分がイヤだなーって思うんです。

「過ぎたことじゃない」とか「気にしても仕方ないでしょ?」と言われたことも何度かありますが、私にとっては過ぎたことであってもイヤだし気にしてしまうんです。「過去に自分が悪いことをしてしまった」「周りはまだそれを覚えているし許してくれないかもしれない」と考えると、後悔と自己嫌悪でいっぱいになって止まらなくなります。

自分が嫌いだと、自分も他人も信じられない

そんな自分嫌いの私ですが、世の中にはありがたいことに私を好きだと言ってくれる人もいます。

でも、私はその人達の言葉を、心から信じることができません。
なぜかって?自分が嫌いだからです。

私にとって、自分はとにかくダメダメな人間です。
自分で自分の悪い所をたくさん知っているから、誰かが私のいい所を見つけて「好き」と言ってくれたとしても、「でも、私の悪い所を知ったらどうせ嫌いになるんでしょう?」と心のどこかで相手を疑ってしまうんです。

例え友達であっても、家族であってもそれは変わりません。「やさしいね」とか、「まじめだね」なんて言われても、「私が心の中で本当は何を考えているのか知られたら、きっとがっかりされる」と常に考えてしまいます。

もちろん、自分嫌いだと自分に自信も持てなくなります。
私の父は最近Youtubeに夢中なのですが、一度「男性がメイクしてきれいな女性に変身する」という動画を見たことがあるそうです。

父はその動画を見た感想を私に話してくれましたが、その中でぽつりとこんなことを言いました。「お前もばっちりメイクしたら、きっと見違えるほどきれいになるぞ」

それを聞いて私は、「いやいや、無理でしょ」と答えました。
だって私の中で、私はぜんぜんかわいくないしきれいでもないんです。メイクである程度見た目は変えられるといっても限度はあるし、メイクで変身した男性だって元がよかっただけでしょ、と思っていました。

なんで自分はかわいくないと思うのかというと、それもやっぱり自分が嫌いだからです。
自分に対してものすごくマイナスイメージを持っているから、他の人から見たら(おそらくは)普通くらいの顔でもものすごく気持ち悪い顔に見えるんだと思います。

だから、私はおしゃれに対してあまり積極的ではありません。きれいな服を着ても自分には似合わないし、メイクをしてもどうせきれいにはなれない。もしおしゃれをして別人のようにきれいになれたとしても、見た目と内面のギャップでみんなにがっかりされるんじゃないか、と考えてしまうんです。

自分嫌いだと自分に自信が持てないし、今の自分から変わろうとする努力さえできなくなります。努力したところで、どうせ自分なんかダメだと考えてしまうんですから。
そしてそんな自分がまたイヤになって自己嫌悪…と、無限ループに陥ってしまうわけです。

でも、いつも自分が嫌いなわけじゃない

ここまで私の「自分嫌い」についてつらつらと書いてきましたが、実は私は年がら年中自分がイヤで自己嫌悪をしているわけではありません。むしろ、好きな時だってあります。

私は趣味で小説を書くことがあるのですが、小説を書き上げた時に「おっ、今回はいいものが書けたな」と思うことがあります。その瞬間は、嫌いなはずの自分への評価が上がって「好き」に近づくんです。
また、書き上げた小説を誰かに褒められた時も、「でもどうせ…」ではなく「やったー!うれしい!」と素直に喜ぶことができます。

小説を書いている時は「うまく書けない」「やっぱり自分はダメだ」となる時もありますが、書き上げて出来に満足してしまうとそんなマイナス思考は一気に吹き飛びます。

「ここ、うまく書けたな」「この部分は自分史上最高の出来!」なんて、自分で自分を褒め始めることもあるくらいです。

基本的には私は自分嫌いですが、小説を書き上げた時だけは自分嫌いではなくなります。

小説を書き上げた時の、「自分を好きになる」感覚は、はっきり言ってとても気持ちがいいものです。

いつかは好きになれる?

もしかすると、自分でもうまいと思える文章をたくさん書けるようになって、何本も何本も自分史上最高傑作の小説を生み出していればいつかは自分が好きになれるのかも…なんてのは、少し非現実的かもしれませんが。

少しずつでも自分を「好き」と思える瞬間を増やしていけば、いつかはこの自分嫌いも克服できるのかなあ、と思います。

心理学や日本文学に精通しているnonoのおすすめ記事

HOME

自分が嫌い

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。