私の中にいる違った私、「ペルソナ」と「シャドウ」って?

「ペルソナ」と「シャドウ」

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今回は、心理学にまつわるちょっとしたお話をしましょう。

「ジキル博士とハイド氏」という物語を知っているでしょうか?

善良な人間であったジキル博士がある時自分の人格から悪の側面を切り離す薬を発明し、その薬を飲んで「ハイド氏」に変身するという話です。

さて、この話が心理学にどう関わってくるかというと、実は私達もジキル博士とハイド氏のような異なる顔を自分の中に持っているんです。

それが、ユング心理学でいう「ペルソナ」と「シャドウ」です。

ペルソナとシャドウって?

ユング心理学とは、カール・グスタフ・ユングという心理学者によって生み出された分析心理学のこと。

アドラー心理学、フロイト心理学と並ぶ有名な心理学であり、夢診断や箱庭療法で知られています。

さて、そんなユング心理学における用語のひとつが「ペルソナ」と「シャドウ」なのですが、これは一体どういう意味の言葉なのでしょうか。

ペルソナという言葉は、元々ギリシャやローマで演劇の際に被られる仮面を指したものです。そしてユング心理学ではペルソナを自分の外的側面、つまり「周りの人に見せる自分」という意味で用います。

普段私達は色々な人と接していますが、相手や状況によって振る舞いを変えたりしますよね。例えば会社では「真面目でよく働く社員」、友達の前では「陽気で楽しい友達」、恋人の前では「やさしくてしっかりした人」、家族の前では「のんびり屋の怠け者」といった風に、人はさまざまな顔を持っているものです。

この異なる顔をユング心理学では「仮面」と呼び、人はTPOに応じていくつもの仮面を使い分けている、と表現しているわけですね。

一方、シャドウは「普段は抑えこんでいる一面」です。

他人に見せる顔であるペルソナを光とするならば、影であるシャドウはそれとは正反対の顔になります。普段はまじめな優等生が校則を破って髪を染めている子を見て「自分も髪を染めたい」「でも、校則を破るのはよくないことだ」と考えているのなら、髪を染めたいと思う自分がシャドウということです。

ジキル博士とハイド氏も、このペルソナとシャドウにあてはまります。

善の人格であるジキル博士は、彼にとってのペルソナです。一方、彼の中に潜む悪の顔ことハイド氏はシャドウです。普段は善人として振る舞っているジキル博士は、人前ではハイド氏の人格を抑えつけていると言えるでしょう。

ユング心理学では、人間は必ず表の性質と正反対の性質を備えていると考えられています。陽気な人には陰気な部分は全くないというわけではなく、人前では陰気な性質を見せていないだけです。だから善人のジキル博士の心の中に、悪人のハイド氏がいるんですね。

ペルソナは使い分けが大事

さて、このペルソナですが、「人によってころころ態度を変える」と言うと、あまりいい印象を持たない人もいるのではないでしょうか。

しかし、「ペルソナの使い分けがきっちりしている」というのは単に八方美人とかぶりっ子ということではなく、「ペルソナが少ない」=裏表がない人というわけでもないのです。

例えば家では何もしないけど会社では働き者を演じている人が、会社で「何もしない自分」のままでいたらどうなるでしょうか。おそらく、上司や周りの人からの評価は下がってしまうはずです。また、反対に会社での働き者の顔を家でも貫き通していると、ずっと気が休まる暇がなくて疲れてしまいます。

ペルソナの使い分けとは、いわば環境への適応です。寒い時に厚着をして暑い時には薄着になるように、私達はその時々に合わせて適切な装いをしています。一年中同じ服装でいたら、気温の変化で体調を崩してしまうでしょう。それを防ぐためにも、私達はペルソナという装いを使い分けるのです。

シャドウを認知するということ

ペルソナは簡単に自覚できますが、自分の中のシャドウの存在を認めるとなるとなかなか難しいものです。なぜならシャドウは、「まったく正反対の自分」だからです。真面目な人は自分にいいかげんな所があるなんて思いたくないでしょうし、強くてかっこいいと周りから思われている人は弱気な自分の存在を誰にも知られたくないと考えるはずです。

自分の中のシャドウへの嫌悪は、時として他人への嫌悪につながります。

真面目な人の例でいえば、いいかげんな人を見るとイライラしたり、近寄りたくないと思うことでしょう。これは自分の認めたくない部分を無意識のうちに相手と重ねて見ているからです。ユング心理学ではこれを「投影」と呼びます。

どんなに嫌いでも、認めたくないと思っても、人間は自分の中にあるシャドウを消したり、切り離すことはできません。また、完全にシャドウを切り離せたとしても、それは果たして人間にとって良いことだといえるのでしょうか。ジキル博士とハイド氏のジキル博士も、自分から悪の側面を切り離したために悲劇に見舞われたのですから。

シャドウへの一番いい対処法は、「認める」ことです。自分の欠点を認知すればそこを改善しようと働くこともできるし、許容すれば自分のシャドウを投影している人に対しても寛容になれる。つまりは、シャドウを認めることは人間的な成長の第一歩につながるのです。

私は色々な「私」でできている

ペルソナとシャドウという考え方で見ると、普段私達が「自分」と認識している人間は実にさまざまな面で構成されている存在だとわかります。

会社での自分、友人の前の自分、恋人といる時の自分、家族に見せる自分、自分も知らない・認めたくない自分…そんなさまざまな「自分」の姿を一度じっくりと見つめなおしてみると、色々な発見があって面白いかもしれませんね。

 

参考元・ユング心理学の世界へようこそ

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