私が一般就労を目指していた時期。〜20代入ってから2年間で150件面接に落ちた私〜

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

今回は忘れもしない。20代に入ってから、面接に落ち続けた日々の回顧録を綴ります。

まだ一般就労しか知らなかった時期

私は19歳、二十歳になる前に大学を中退し、この頃はまだまだA型事業所と言うのもまだ特になく、まず障害者枠というのも知らず、ひたすら「働くには一般就労しかない!」と思っていた時期でした。

ハローワークのハの字も知らなかった私は、ひたすらフリーペーパーの求人案内で職を探していた時期でした。

ずっと「何かアルバイトからでも始めなきゃ」と、相当焦っていた時期でした。

発達障害の事もよく理解していなかった時期

まだあの頃は発達障害と診断された時期で、世間一般的にも発達障害に関する理解や支援もほぼ無かった時期です。私も発達障害の中身を認識し始めたのが、世間一般にも発達障害というのが認知され出してからでした。

まだあの頃の私は、「発達障害ってちょっと人と違っている程度の障害だろう」としか、理解していなかった時期でした。

ネックになったのは、大学中退という学歴

一般就労というとまず大卒がメインです。フリーペーパーしか観てなかった時期でも、ほとんどの求人が大卒を求める求人で、まずそれだけで探す選択肢が減ります。

健常者と混じって面接を受けるも、まず面接の練習もした事が無かったので、質問された時の返答のボキャブラリーがほぼ無い。

私は学芸員に憧れていて、そういう場所のアルバイト募集の面接に行って、「学生時代にこういう勉強ノートを作って日本史勉強したんです」とそのノート観せて言っても、周りは大卒だらけ、私の話には説得力が無い。鼻で面接官に笑われた気がします。勿論落ちましたよ。

私が今でもトラウマになっている面接3つ

1つは初めてアルバイトをしようと、近くの飲食店に人生で初めて面接に行った事です。当時友達だった人がこの飲食店で働いていました。

面接の時に「●さんに誘われて、面接に来ました」と話したら、「●さんが居たら貴方はずっとその人に頼ってしまうと思うし、店もそれには迷惑だから、一緒に働いて貰ったら困る」と言われて、落ちました。

2つ目は当時アルバイトでやりたいと思っていた販売員のアルバイト。そこは3ヵ所目で「左耳に感音性難聴があって」と話したら、「お客様から何か尋ねられてそれが左側からで、聞こえず分からなかったとなったらトラブルの元だし、そんな人は雇えない」と言われてしまい、ショックでした。

それ以来面接に行く時、「聴こえない事は悪い事なんだ…」と思い、面接では難聴に関しては言わなくなりました。

3つ目はお菓子屋さんで面接に臨んだ事です。店長から感じ悪く、「貴方と同じ糖尿病の職員いるけど、頑張って体調管理しているし、貴方の様な体型の人が入ったら、『ここのお菓子を食べると、あの人の様に糖尿病になるかも‼︎?』と言われ兼ねないから、採用出来ない」とその場で履歴書返され、悔しくて悲しくて、泣きながら帰りました。

一般に就職出来たのは2つだけ。

かなり短期の年末のアルバイトか、半年の派遣のお仕事のみでした。派遣のお仕事は健常者として働いていたので、要領良く出来ない私はいつも生産ラインを止め、怒られる。「何でお手本通りの配置ができないのか‼︎」と。

ずっと怒られていたので、最後の方は気持ちが病んでしまいました。

2年間で150件以上面接に行った

県内の自分が行ける範囲の北の方から、南の方まで色々行きましたね。まだあの頃スマホとかも無い時代だったので、パソコンで地図を出して、面接会場に向かいました。

発達障害での方向音痴で、乗り換える時に電車を間違えてしまい、面接の時間に遅れてしまった時もありました。別の面接で「うちの店から駅に行くまでを、お客様から道を聞かれた時、どう答えますか?」も、上手く道案内の返答が出来ませんでした。。。

心がどんどん病んでいった

あの頃は「何処でもいいから受かりたい」と色んな職種面接受けて、受け過ぎて、毎回不採用の電話連絡か、郵送での通知が来て、落ちる度に家の中で荒れて、とにかく顔色も悪かったと思います。

落ちる度に酷く泣き続け、心が病んでしまい、21歳になった位から通院以外、外に出られなくなる、面接も全く行かない引きこもりの生活になってしまいました。母もこの頃がトラウマだといつも言っています。

本当に辛い20代を過ごしました。面接に行かなくなってから、ずっと毎日来る日も来る日も寝ていました。甲状腺機能低下症という病気の影響で辛かった記憶が薄れていますが、あの頃の私には戻りたくないし、今でも忘れられない20代でした。

noteでも書いています。よければ読んでください。

TANOSHIKA 翼祈|note

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ABOUTこの記事をかいた人

左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も2交代制で担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。