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先日、私はnoteに「名もなき草」という詩を書きました。
まずは読んでいただきたい。
名もなき草
私は雑草です
道端に生える
名もなき存在踏み躙られることは
なるべく避けたいそれでも
踏みつけられることはある雑草のいいところは
少し踏まれても
また再生すること陽の光を浴びて
再び伸びていくこと私は
蔓延る雑草とは違いただ慎ましく
道端に生えている綺麗な花もない
優雅な枝葉もない誰かの目を引くこともない
それでも
今日もここで
静かに生きている
この詩を書いたあと、自分でもなぜ雑草を題材にしたのか考えてみました。
雑草という言葉には強いイメージがあります。
踏まれても負けない。
何度でも立ち上がる。
生命力に溢れている。
確かにそうなのかもしれません。
けれど私は、そんなに強い人間ではありません。
踏み躙られることは避けたいし、できることなら傷つきたくない。
悲しみを背負って生きていくなんて、私には難しい。
本当は誰だってそうではないでしょうか。
苦しみたい人なんていない。
悲しい思いをしたい人もいない。
それでも生きていると、理不尽なことや悲しいことに出会います。
人間関係で悩むこともある。
仕事で失敗することもある。
体調やお金の問題に頭を抱えることもある。
私自身、これまで悩み、迷い、さまよいながら生きてきました。
答えを見つけたわけではありません。
今でも迷うことはあります。
むしろ、今も彷徨いながら生きています。
そんな自分を思い浮かべた時、頭に浮かんだのが道端の雑草でした。
綺麗な花を咲かせるわけでもない。
誰かに注目されるわけでもない。
何か特別な才能があるわけでもない。
ただ毎日を生きている。
朝になれば起きて、やるべきことをこなし、疲れたら眠る。
世間的に見れば、自堕落な人間に映るかもしれません。
それでも、それが今の私です。
できることをやりながら、何とか今日を生きている。
その繰り返しです。
世の中はどうしても、目立つ人や成功した人に光が当たります。
成功という言葉は素晴らしいと思います。
けれど私は、それを否定もしないし、特別に追い求めてもいません。
誰かより上になりたいわけでもない。
有名になりたいわけでもない。
ただ、自分なりに生きていけたらと思っています。
笑える日が少しでも増えたら嬉しい。
そんなささやかな願いを抱いています。
しかし実際には、
名前も知られず、
評価されることもなく、
それでも懸命に生きている人たちがたくさんいます。
私もその一人です。
道端の草のように、誰にも気づかれないこともあります。
それでも陽の光を浴びれば少し伸びる。
雨が降れば耐える。
風が吹けば揺れる。
時には踏まれることもある。
それでも気がつけば、またそこにいる。
それは決して派手な生き方ではありません。
けれど、生きるということは本来そういうことなのかもしれません。
もし今、自分は何者でもないと感じている人がいたら。
誰にも認められていないと感じている人がいたら。
道端の草を思い出してほしい。
綺麗な花がなくてもいい。
誰かの視線を集めなくてもいい。
そこに生きていること自体に意味がある。
私もまた、今日という日を静かに生きています。
名もなき草として。
そして、もし同じように笑いながら踏ん張っている人がいたら。
ここに仲間がいます。
一緒に、ぼちぼちいきましょう。
あなたは、一人ではない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。
ねこパンクでした。
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