障がいは私の一部であって、全部ではない。【ねこパンク】

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障がい者として働いていると、

時々、自分という人間が「障がい」という言葉だけで

説明されてしまうような感覚になることがあります。

「あの人は障がい者だから。」

「障がいがあるからできない。」

「障がいがあるから支援が必要。」

もちろん、それらが間違いとは言いません。

私は実際に障がいがあり、その特性によって苦労することもあります。

配慮が必要な場面もありますし、一人では難しいこともあります。

私は、うつリウマチを抱えています。

精神的にも身体的にも、不調を感じる日があります。

それでも、自分のことを「障がい者」と表現すると、

今でも少し気が引けることがあります。

私の次男には、身体的にも精神的にも障がいがあります。

その姿を近くで見てきたからこそ、

「自分が障がい者だと名乗っていいのだろうか」と迷う気持ちもありました。

でも、障がいは比べるものではありません。

困りごとの形も、生きづらさも、人それぞれ違います。

だから私は、

自分にある困難を否定せず、一つの事実として受け止めるようになりました。

普段の私は、音楽が好きで、

文章を書くことも好きで、

黒猫が好きで、

パンクというカルチャーにも惹かれています。

働くことについて考えるのも好きです。

笑う日もあれば、落ち込む日もある。

面倒くさがりなところもあれば、妙にこだわってしまうところもある。

そうした一つひとつが積み重なって「私」という人間になっています。

その中の一つに障がいがあります。

だから、「障がい者」という言葉だけで私を見られると、

どこか窮屈さと違和感を覚えます。

一方で、障がいがあるからこそ見える景色もありました。

無理をし続けることの危うさ。

助けを求めることの大切さ。

完璧ではなくても生きていけるということ。

遠回りをしたからこそ気づけた価値観もあります。

障がいは私から切り離せるものではありません。

でも、それだけで私という人間を説明することはできません。

これは障がいのある人だけの話ではないと思います。

誰だって、仕事だけではありません。

親という役割だけでもありません。

病気だけでもありません。

一つの肩書きだけで、その人のすべては語れないはずです。

だから私は、

障がいを隠したいとも思いませんし、

必要以上に前面へ出したいとも思いません。

ただ、自分を構成する一つの要素として受け止めています。

障がいや病気がある私も本当の私です。

でも、それだけが私ではありません。

これからも私は、

一人の人間として働き、

文章を書き、

好きな音楽を聴き、

ときどき立ち止まりながら生きていきます。

障がいは、その人生の一部です。

全部ではありません。

そして、

障がいは私の一部であって、全部ではない。


ねこパンクの黒猫ロゴマーク

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。

ねこパンクでした。

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