パラリンピックをはじめとする障害者スポーツの変遷

障害者スポーツ

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パラリンピック

先日、終了したパラリンピック、存分に楽しまれた方も多いと思います。パラリンピックを通して障害者とスポーツの関わりや、国際化に向けての活動などをご紹介したいと思います。

リハビリから始まった

パラリンピックの原点は、第2次世界大戦(1939~1945年)後にリハビリの一環として取り入れられたスポーツでした。

第2次世界大戦の激化により、脊髄損傷になる兵士が急増することを見越したイギリスのチャーチル首相らは、1944年に、兵士の治療と社会復帰を目的に、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科を開設、その病院の治療としてスポーツを取り入れました。

当時脊髄損傷科長であったグットマン博士は、1948年ロンドンオリンピックの開会式の日に病院内でスポーツ大会を開催、これがパラリンピックの原点となり、1952年には国際大会(国際ストーク・マンデビル大会)へと発展しました。さらに1960年のローマ大会からは、オリンピック開催年の大会だけはできるだけオリンピック開催国で行うようになりました。このローマ大会が第1回パラリンピックと位置づけられている大会です。

我が国の障害者スポーツ

日本において障害者スポーツが広まった契機は、1964年に日本で開催された東京パラリンピックです各国の選手たちが生き生きとスポーツをする姿に、日本の障害者や医療関係者、福祉関係者は深い感銘を受け、日本でも障害者スポーツを盛んにしようという動きが高まりました。

そして、翌年には国民体育大会が開催された地で身体障害者の全国スポーツ大会が開催されるようになり、次第に訓練の延長としてではなく、スポーツをスポーツとして楽しむという意識が生まれてきました。

競技性の高いスポーツへ

さらに1998年に開催された長野パラリンピック冬季競技大会では、障害者スポーツの競技性が重視された大会であった中、日本選手団のめざましい活躍が深い感動を呼び、マスメディア等を通じて広く国民が障害者スポーツをスポーツとして認識することとなりました。 これ以降、障害者スポーツは、一般的にイメージされていたリハビリテーションの延長という狭義のものから、生涯スポーツや競技スポーツなど、障害のない人々と同様に多様な目的で行われていることが知られるようになりました。その結果、ノーマライゼーション社会の構築に向けた役割や、障害者の自立や社会参加を支援するとい大きな役割も果たすようになりました。

参加資格

パラリンピックは障害者のスポーツ競技大会なので、視覚障害や脳性麻痺(まひ)、運動機能障害、切断などの障害のある方が出場することができます知的障害者は水泳、陸上競技に出場することができます現在は聴覚障害者、精神障害者の場合は参加することができません。

聴覚障害者とスポーツ

デフリンピック

身体障害者のオリンピック「パラリンピック」に対しデフリンピック(Deaflympics)」は、ろう者のオリンピックとして、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアで初めて開催されています障害当事者であるろう者自身が運営する、ろう者のための国際的なスポーツ大会であり、また参加者が国際手話によるコミュニケーションで友好を深められるところに大きな特徴があります。

なお、デフリンピックへの参加資格は、音声の聞き取りを補助するために装用する補聴器や人工内耳の体外パーツ等(以下「補聴器等」という)をはずした裸耳状態で、聴力損失が55デシベルを超えている聴覚障害者で、各国のろう者スポーツ協会に登録している者とされています。また、競技会場に入ったら練習時間か試合時間かは関係なく、補聴器等を装用することは禁止されています。これは、選手同士が耳の聞こえない立場でプレーするという公平性の観点によるものです。

デフリンピックを運営する組織は、国際ろう者スポーツ委員会(International Committee of Sports for the Deaf)で、1924年の設立以来デフリンピックやろう者世界選手権大会の開催、そして各国のろう者スポーツの振興など、着実な取り組みを続けています。現在の加盟国は104カ国です。

パラリンピックとデフリンピック

国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee)が1989年に発足した当時は、国際ろう者スポーツ委員会も加盟していましたが、デフリンピックの独創性を追求するために、1995年に組織を離れましたそのために、パラリンピックにろう者が参加できない状況が続いています。

なお、デフリンピックの独創性とは、コミュニケーション全てが国際手話によって行われ、競技はスタートの音や審判の声による合図を視覚的に工夫する以外、オリンピックと同じルールで運営される点にあります。

また、パラリンピックリハビリテーション重視の考えで始まったのに対し、デフリンピックはろう者仲間での記録重視の考えで始まっています。しかし、現在は両方とも障害の存在を認めた上で競技における「卓越性」を追求する考えに転換しています

知的障害者とスポーツ

過去のパラリンピックにおいて知的障害者の選手が出場する競技が何度かあり、日本人のメダリストも生まれました。大規模な不正という向かい風を乗り越え、ロンドン大会での復活から(人知れず)種目を増やしつつあります。

大規模な不正から疑心暗鬼に

パラリンピックの知的障害者カテゴリについては、日本での認知度が上がった長野大会でクロスカントリーが存在していました。しかし2年後のシドニー大会で大規模な不正が発覚し、ロンドン大会まで長い沈黙を余儀なくされます。

シドニー大会の不正とは、知的障害者バスケットボールで優勝したスペインチームに健常者が混ざっていたというものです。この不正によって金メダル剥奪となっただけでなく、パラリンピックの知的障害者カテゴリそのものが一時廃止となりました

しかし強烈な向かい風を乗り越え、12年後のロンドン大会で陸上・水泳・卓球の知的障害者カテゴリが復活しますその後もリオ大会で400m走が追加され、更なる種目追加が期待されています。

クラス分けが難しい

知的障害者カテゴリ身体障害者カテゴリに比べてクラス分けが難しいという問題があります見た目で分かりにくい場合もあり、この点はシドニーでの不正にも繋がりました。

よりクラス分けを厳しくしているのは、知的障害の程度が競技スキルに直結しないという現実です中度の選手が軽度の選手より強かったケースが幾つもあり、障害の等級によるクラス分けが意味を持ちづらいのです。

とはいえ、重度になるほど「いつもは風のように走り回るのに本番だと全く走らない」「ルールを理解しているのか判別しづらい」という問題が出やすいので、クラス分けが必ずしも無意味という訳ではありません。ただ、より適切な基準が定まらないのです。

スペシャルオリンピックスの存在

仮に知的障害者カテゴリの知名度が向上して定着したとしても、パラリンピックはやはり世界一を賭けて争う極めてハイレベルなフィールドです。率直に言って誰もが目指すべき到達点にはなり得ません。

そこで、世界一を目指すのではなく「スポーツを楽しむ」ことにフォーカスした「スペシャルオリンピックス」が知的障害者スポーツにおけるもう一つの到達点として挙げられます。

スペシャルオリンピックスとは、知的障害者がスポーツトレーニングと成果発表をする場を設けて提供し続ける組織です。表彰式は参加選手全員が立って4位以下(失格者含む)にはリボンが贈られるなど、結果ばかりでなくすべての参加者に敬意と称賛を送る精神が特徴です。

競い合う」よりも「生涯スポーツを楽しむ」ことに重きを置いているため、そうしたニーズに答えられる選択肢としてスペシャルオリンピックスはますます重要となるでしょう。

精神障害者とスポーツ

スポーツで支援を

スポーツは、精神障害のある人にとって症状を緩和させるために有効な支援の一つだと考えます。身体障害者、視覚障害者などにはパラリンピック、聴覚障害者にはデフリンピックがあるように精神障害者には、「ソーシャルフットボール」という国際大会があります。

「ソーシャルフットボール」の名称は、イタリアで行われているcalciosociale(英訳 social football)に由来します。年齢・性別・人種・貧困・家庭環境・障がいなど、あらゆる違いを超えて社会連帯を目指したフットボール文化です。2011年に日本の精神障がい者フットサルチームが初の海外遠征をした際にcalciosocialeに触れ、その理念に敬意を表して協会名としました。現在はルールを一部修正したフットサルとして、各地で普及が進んでいます。

引用;日本障がい者サッカー連盟(JIFF) https://www.jiff.football/about/7groups/jsfa/

これまでの経緯

「こころの病」に対するフットボールを用いた本格的な取り組みは、精神障害者のフットサル大会という形で、2007年に大阪から始まり、たちまち全国に波及しました。各地域のJリーグ加盟チームや地域のスポーツ団体などの協力を得ながら、精神疾患、精神障害がある人々を対象とした種々のフットサルイベントが開催されるようになりました。医療機関や施設に関係なく地域単位で構成されたクラブチームなどさまざまな形で活動が広がり、全国で160チームを超えています。

フットボールを通して人との信頼関係を築き、自信を培い、夢や希望を実現する力を獲得できるという事例が報告されています。

国際的な取り組み

2013年10月5日に、日本で第1回精神障害者スポーツ国際シンポジウムが開催されましたイタリア、イングランド、デンマーク、ドイツ、アルゼンチン、ペルー、韓国、そして日本を含む8ヵ国が参加し、精神障害者スポーツ領域における国際間の交流を促進させるために、国際組織の構築と国際大会開催の実現を早急に目指していくことを宣言する」とした東京宣言が採択されました。

また、10月7日には第1回精神障害者スポーツ国際会議が開催され、同8ヵ国により、精神障害者スポーツの国際的な発展を目指し、国際ネットワークの構築を図ることに合意しました。

さらに、同8ヵ国すべてにおいてサッカー(フットサル)が推進されていることから、まずはサッカー(フットサル)から精神障害者スポーツの推進をはかることを合意しました。

2015年に日本(大阪が予定地)で国際サッカー大会の開催を目指すこととなり、トップアスリートのものではないが、「親善を目的としたものでありながらも、スポーツを基盤にしたもの(Friendship and sport-based games)」であることを条件とすることでも合意しました。

のちに、2016年2月26~28日、大阪のJ-GREEN堺にて、第1回ソーシャルフットボール国際大会が開催され、日本・イタリア・ペルーの代表チームと大阪選抜の4チームが出場し、日本代表が初代チャンピオンに輝きました。

終わりに

第二次世界大戦後、リハビリテーションの一環として始まったパラリンピック。従来のオリンピック同様、平和の祭典でもあります

また、パラリンピックより以前から開催されていた聴覚障害者のためのデフリンピックは独自の発展を遂げ、オリンピック、パラリンピックとともに卓越性を追求した世界トップレベルの大会となっています

障害を持っている人間が自己の能力を最大限に生かし、生き生きとスポーツする姿はとても魅力的です。スポーツならではの醍醐味を味わえます。

さらに、知的障害者、精神障害者も積極的にスポーツをすることで自己実現の可能性を広げています。

また、スポーツは、得意な人のものだけではなく、誰もが自分らしく生きるための一つの方法として楽しむことで人生を豊かなものにしてくれます。それは障害のあるなし関係ないのかもしれません

夏の暑さもやわらぎ、スポーツをするには最適な季節になります。皆さんも爽やかな汗をかきつつ、スポーツを楽しんでみてはいかがですか?

参考サイト

厚生労働省 障害者スポーツの歴史

https://www.mhlw.go.jp/seisaku/2011/01/01.html

一般財団法人全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会 デフリンピック

https://www.jfd.or.jp/sc/deaflympics/games-about

障害者.com     パラリンピックと知的障害者カテゴリ

https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=1491

日本ソーシャルフットボール協会

https://jsfa-official.jp/?page_id=215

大阪日日新聞  五輪・パラの参加資格は?

https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/210607/20210607040.html

Juntendo sports    スポーツ社会学を通して考える 障がい者スポーツとパラリンピックのあり方とは―?

https://www.juntendo.ac.jp/sports/news/20191017-02.html

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