障害者(中途障害)の生きにくさ

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こんにちは、金次郎です。

 私は生まれた時からの障害者ではありません。
 新卒で入社した会社で、無茶な長時間労働を続けた挙句に、疲れやストレスから電車に乗っている時にパニック発作を起こしてしまいました。
 その時に、めまいや耳鳴りもありましたが「パニック発作の副次的な症状なのだろう」と勝手に思い込み耳鼻科に行かずに放置してしまいました。
 その結果、徐々に聴力が落ちて行きパニック発作を起こしてから7年後には、会議やお客様との打ち合わせで、会話の内容が聞き取り辛くなり、それで始めて耳鼻科に行ったところ先生から「貴方の現在の聴力だと、補聴器を付けた方が良いでしょう」と言われました。
 それで、補聴器を取り扱っているメガネ屋さんに行き、初めて補聴器を作り着用しての生活が始まります。

私が障害者手帳を交付されるまで

 さて、パニック発作を起こした時に、入院3ヵ月と自宅療養4ヶ月の合計7ヶ月会社を休職しましたが、復職するに際して配置転換を願い出て、復職後は新入社員教育やお客様向けセミナーを開催する部署で働いていました。
 しかし、バブル経済崩壊後の不況時に「新入社員の採用を、しばらく見合わせる」と言う会社の方針で、教育部署も無くなってしまい、私を含め教育部署の社員は色々な部署をたらい回しにあっていました。
 それが嫌で、他の仲間は次々と会社を辞めて行きましたが、私は3年我慢しました。
 けれど、またしても体調を崩してしまいましたので、今度は2年間の休職期間を使い切って15年勤務した会社を辞めて実家に戻りました。

 2年ほど実家で無職状態でしたが「このままじゃ人生ダメになる」と思い、実家近くのスーパーでアルバイト募集の広告が出たのを気に、仕事を再開するトレーニングの意味も込めて、そのスーパーで短時間のアルバイトを始めました。
 このスーパーで1年ほど働いていた時、若者の就職支援をする県の公共施設がカウンセラーを募集しているのを見つけ「前の会社で新入社員の悩みなどを聴いていた私なら出来るかも?」と思い、面接試験を受け採用されましたので、以後は若者の就職支援の仕事をしました。
 しかし、その間も私の聴力は少しずつですが落ちて行っており、補聴器もより出力の大きな物に買い替えながら、仕事に就いていました。
 定期的に耳鼻科に行って耳の状態を見てもらっていましたが、ついに先生から「今の聴力なら障害者手帳の申請ができるレベルです、診断書を書きますから申請してみませんか?」と言われまして、それで診断書と共に申請書を住んでいる市の障害福祉窓口に提出しました。
 そして、2016年(平成28年)9月14日付で「身体障害者手帳」が県より交付されました。

障害者求人(特に難聴)は、ほとんど無い!

 障害者手帳が交付された後に、ハローワークの障害者コーナーで自分が住んでいる市とその周りの市町村の求人を見てみましたが、障害者求人の少なさに愕然としてしまいました。
 その少ない求人の中から出来そうな仕事を選んで、求人票を印刷しハローワークの職員さんと相談して、会社に紹介の電話をかけてもらいましたが「難聴となると仕事の指示をキチンと聞き取れないかも知れないから採用は難しいかも」と言われ、応募すら出来ませんでした。
 それで、ハローワークの職員さんから「障害者手帳が交付された時に、福祉事務所の職員さんから、障害者が働く「就労支援A型作業所」の話しをされたでしょ?まずはA型作業所で作業をしながら、貴方の障害に適した一般企業の障害者求人が出るのを待ちませんか?」と言うので、家から通勤できるA型作業所の求人をピックアップしてもらい、両親と相談の上、実家のある市内のA型作業所に応募しました。

 ちなみに、厚生労働省による一般企業の障害者雇用の基準「従業員45.5人に対して1人」障害者を雇用しなければなりません。

・障害者雇用率制度(厚生労働省)2018年(平成30年)4月1日よりhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaisha/04.html

初めての「就労支援A型作業所」

 初めてのA型作業所では、デパートの紙袋作成や青果市場に出向いて野菜の袋詰めなどの作業をしました。
 その後、私がカメラを扱えると言う事で、ネット・オークションに出品する商品の写真撮影をしたりしました。
 一日4時間の勤務なので、耳は無論ですが身体への負担も少なく、作業所で働いている仲間は皆なにがしかの障害を持つ人たちと言う事で、お互いに冗談を飛ばし合いながら和気あいあいと作業をしていました。
 しかし、その作業所は一昨年、利益悪化で閉鎖されてしまいまして、またしてもハローワークに行きA型作業所の求人を探し、今はパソコンを使っての作業をする作業所にて作業をしています。

一般求人応募と街での出来事

 去年ですが、新聞に入っていた求人広告に載っていた障害者用では無く一般求人の「街の電気屋さん」の求人に応募して面接試験を受けました。
 しかし、案の定私の難聴の事に触れられ「パソコンが使えるから顧客管理とか売上管理を表計算ソフトでしてもらえるのは大変有難いけど、来店したお客様の要望を正確に聞き取れるかな?」と言われ不採用でした。
 また、ある日コンビニエンスストアの喫煙所でタバコを吸っている時に、道を尋ねられたのですが、車道を走る車の音でその人の声が聞き取りつらかったので、着けている補聴器を指さして「少し大きな声で、もう一度言って下さい」と言ったところ「なんだ、お前は『かたわ者か!街中をうろうろしないで、家でおとなしくしてろ」と怒鳴られ、物凄くショックでした。

終わりに(中途障害者への理解を)

 去年7月に行われた参議院議員選挙で2人の重度障害者が当選しました。それで私が子供の頃に知っている国会議員初の障害者議員でタレントの八代栄太さんの事を書きました。

障がい者が政治家になる意味とは?

 八代さんも、生まれながらの障害者では無く、歌謡ショーの司会をしている時に誤って舞台から転落してしまい脊髄を損傷してから、車イス生活になります。
 私も働き過ぎから耳を悪くして難聴になり、30代前半から補聴器生活を始めました。
 ですから皆さんも学校や会社の行き帰りに、いつ交通事故に巻き込まれてしまうか分かりませんし、怪我の程度によっては障害者になってしまうかも知れません。
 それを考えてもらうと、障害を持っている人に対して障害を持っていない人と同等に扱う「合理的配慮」を行ってもらう必要があります。
 例えば、歩くのが困難な方の為に、駅にスロープやエレベーターを設置するのもその1つです。
 ここ福岡県の私鉄、西日本鉄道(通称:西鉄)では急行や特急が止まる駅にはエレベーターを設置していますし、普通電車しか止まらない小さな駅には全駅では無いですが、スロープを設けたりしています。
 また、車イスの乗客が電車やバスへの乗り降りの際には、駅員が介助しています。
 障害を持っている人も、障害を持っていない人と等しく社会活動に参加出来る世の中にする「合理的配慮」
 障害もその人の持つ1つの個性だと思って下さいな。

 先に書いた「街の電気屋さん」ですが、面接時に私以外に5人応募者がいると言われましたので、多分私より接客経験のある優秀な方が採用されたのでしょう。
 また、次の「かたわ者」発言ですが、平安時代の小説「源氏物語」に初めて出てくる障害者を表わす言葉ですが、第二次世界大戦後は差別用語と認識され、現在は放送禁止用語になっておりテレビ・ラジオ・新聞などのメディアでは使われませんので、未だこんな差別用語を使う人がいる事に驚きを隠せませんでした。

参考
・合理的配慮とは?障害のある人の権利と事業者の義務、職場における合理的配慮の具体例を紹介します(LITALICO 仕事ナビ)
https://snabi.jp/article/30

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