「AKARI」の記事に救われたジョージア

陽光のしだれ梅

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皆さんこんにちはジョージアです。

今回は、私が「AKARI」の記事を知るきっかけと救われた経緯、現在の心境についてお話していきたいと思います。

はじめに

時間が経つのは早いもので、私が10年以上の引きこもりみたいな生活から脱出し、再び仕事をしたいと立上がってから3年ほどが経過しました。

10年以上のブランクがあるため、やる気はあってもいきなり一般就労は厳しいと判断し、主治医のアドバイスもあり某B型事業所に通所を始めました。

B型事業所では最初は週2日(月曜と金曜)からスタートし、2ヶ月経過して1日増やすことを繰り返し半年後に週5日(月曜~金曜)通所できるまでに回復できました。

TANOSHIKA CREATIVE諏訪野町&「AKARI」との出会い

私は、B型事業所に通所を開始してから1年が過ぎたあたりで、就労について考えるようになり、B型事業所のスタッフに相談してみたところ、就労には「一般就労」と「障がい者雇用」があること。

また、一般就労や障がい者雇用をめざすための「A型事業所」というものがあります」と教えていただきました。

石橋を叩いても渡らないほど慎重な私は、A型事業所に興味を持ち、スタッフと伴にハローワークに出向き、様々なA型事業所の求人票を調べたり、電話での問い合わせなどを行いました。

私にマッチする事業所を数か所ピックアップした中に、TANOSHIKA CREATIVE諏訪野町も含まれており、昨年の9月~10月にかけて見学・体験をさせていただきました。

その体験の時に「AKARI」も知ることになります。

緊急事態「ジョージア交通事故にあう」

TANOSHIKA CREATIVE諏訪野町の体験が終わり、私はTANOSHIKA CREATIVE諏訪野町で仕事をしたいと思い、面接に向け履歴書作成などの準備を始めた矢先の昨年10月某日の午前9時ごろ交通事故にあいました。

私は、A型事業所の通所に備えトレーニングの一環として、B型事業所へも自己通所をしていました。

通所はバスでしていたため、某バス停でバス待ち(歩道上)していたところ、真後ろからけっこうなスピードを出していた自転車に撥ねられ体が吹き飛び転倒しました。

転倒したその場で体の異常を察知した私は、救急車を呼び某病院へ緊急搬送されました

緊急手術「眠れない事故当日の夜」

病院での検査の結果、左肘の肘頭(肘を曲げた時の尖った箇所)をひどい状態で骨折しており、主治医より午後から行う緊急手術の術式(内容)を伝えられました。

手術のザックリとした内容は、骨折し飛び出た肘頭を左肘の元の位置に戻し、金属プレートにスクリュー6本(釘みたいなもの)を二の腕の骨に打込み固定する。

3ヶ月ほど経過し骨がつながり次第、再手術を行い金属プレートを取り除く。

再手術後はリハビリを頑張らないと腕が曲がらなくなるとの説明を受けました。

小心者の私は手術が怖かったのですが、俎板の鯉の心境で手術に臨みました。

2時間ほどで手術も無事に終わり、病室のベットで麻酔から目を覚ましました。

包帯でグルグル巻きにされた左腕をみつめ、左手が痺れていたのを今でも鮮明に覚えています。

「この先どうなることやら・左腕は元通り動くようになるのか・手の痺れは取れるのか・完治するのか」不安でどうしようもない精神状態でした。

そんな心境で夜を迎え、時間が経過するにつれ麻酔が切れていき、左腕に激痛が襲い眠れない夜を過ごしていると、ふと次のようなことを考えだしました。

なぜ、この大事なタイミングで事故にあうかな~、就労に向けた今までの努力は無意味だったのかな~、等々マイナス思考となり落ち込んでいく自分がそこにいました。

「AKARI」の記事を思い出し救われる

眠れない夜が明け、病室に朝食の配膳がされているのを眺めている時、そういえば「諏訪野町の体験時にAKARIというサイトで食堂の記事を読んだな、たしか認知症の高齢者が働く食堂だったかな」とぼんやりと思い出しました。

記事の内容は注文していた定食と違う定食が運ばれてきたが、安全で美味しく食べれるから「まっいっか」と受け流したと言った趣旨の記事だったと思います。実際の記事は末尾でも紹介します。

私は事故の時、吹き飛ばされた体は歩車道境界の縁石に頭が30㎝と離れていなかったことを思い出し「頭を打たなくて良かった・死ななくて良かった」とつくづく思いました。

私の場合の「まっいっか」は、命を天秤にかけた「究極のまっいっか」だなと、受け流すことに思考をシフトチェンジしました。

今までの私なら事故に遭遇したことに囚われて、心の負のスパイラルに陥っていたことでしょう。

「AKARI」の記事を思い出し「命があったからOK まっいっか」と気持の切れ替えを素早く実践実行し、救われた私がそこにいました。

心のシフトチェンジをした私は、A型事業所へのステップアップの件は一旦保留にして、先ずはケガの回復に努めることにしました。

幸いなことにケガをしたのは、両足でも利腕の右腕でもなく一番影響が小さい左腕だった。

左腕が私の身体を守るため犠牲になってくれたのだと思い、この黄金の左腕(自称)を必ず治すと固く決意しました。

主治医からは3ヶ月ほどかかると言われていた骨折箇所も順調に回復し、12月(2か月後)には金属プレートの抜釘(金属を取り除く)手術を受けることができました。

2度の手術(10月と12月)・6ヶ月に及ぶ左腕の通院リハビリ(今でも自宅での自己リハビリは継続中)と、簡単なことではなかったですが、何とかやり遂げることができ、現在は日常生活に支障がないまでに回復できました。

なお余談ですが、ビールが大好きな私が事故後お正月までの約3ヶ月間、主治医の飲酒許可が出るまではアルコールを一滴も口にしませんでした。禁酒のことは良くやったと自分を褒めています。

リハビリについて

話が前後しますが、ここでは私が経験したリハビリについて語りたいと思います。

緊急手術のの翌日から病室にて午前と午後の1日2回(1回30分ほど)のリハビリが始まりました。

入院期間中のリハビリの内容は左腕の筋肉が硬くならないようにマッサージを施すことがメインでした。

この時期の左腕の屈曲角度は主治医より90度の制限がかけられていましたが、私の左腕は60度(屈曲角度の正常値=個人差はあるが140度ほど)ほどしか曲がりませんでした。

リハビリを始めて5日目あたりで、幸運ことに左手の痺れはなくなり、感覚も右手とほぼ同じよううになりました。

1回目の退院後、通院リハビリが始まりました。

週に3日ほどの頻度で通院しマッサージ&左腕の曲げ伸ばしを行なってもらいました。

ちなみに再手術前日の左腕の屈曲角度は80度ほどまで曲がるようになっていました。

12月になり再手術のため2回目の入院となり、再手術後、再び病室でのリハビリが始まりましたが、主治医より90度の制限が解除されたため、メチャクチャ痛いリハビリとなりました。

私は痛みには強いのですが、2回目の入院期間中のリハビリは涙が出るほど痛く辛いものでした。

年内には無事に退院でき、再び通院リハビリが始まり前回と同様に週に3日ほどの頻度で通院し、主に左腕の曲げ伸ばしの施術をメインに行いましたが、季節も冬となり寒い時期とも重なり、これまたかなり痛いリハビリが2か月ほど続きました。

痛い辛いリハビリに耐えていると2月末ごろには、左腕の屈曲角度は130度まで曲がるようになり右腕とほぼ同じくらい曲がるようになり、日常生活には支障がなないまでに回復できました。

但し、私は趣味の登山ができるまでに回復したい希望があったため、担当していただいた理学療法士さんから自宅でできるリハビリメニューを教えてもらい、現在も自宅にてリハビリは継続中です。

事故発生の日から病院での治療が終了するまでの総日数173日間、この間入院が25日間・通院リハビリ53日間と長期間の治療となりました。

肘関節のリハビリテーション方法を示したイラスト。手技による可動域訓練、抵抗バンドを使った筋力訓練、壁やフォームローラーを用いた自主トレーニング、重力を利用した関節可動域拡大の方法が紹介されている

左肘のリハビリ風景

終わりに

今回、私の身に起きた不運な事故をとおして感じたことは、一つの事象に囚われず受け流す(気持ちの切替えを素早く行う)ことの大切さです。

「過去を振り返り悔やまず・将来を嘆いて悲観せず」、今に生きる(一日一日を自分のできる範囲でいいから一生懸命に生活する=生きる)ことの大事さを痛感したこの6ヶ月間でした。

関連記事

私が実際に読んだ記事はこちらです。よければ併せてご覧ください!

「まっいっか」注文を間違える料理店~認知症を抱える高齢者の方たちの挑戦~

追伸

次回の投稿は「(仮)うつ病発症 どうしたジョージア!朝起きれないぞ」を予定しています。

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