【イラスト】先日、亡くなった父の死を通して、避けられない不幸と私なりの向き合い方

見つめ合う父と幼児の鉛筆画

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こんにちは、中村鮮魚店です。
誰しも生きていると、受け止めきれないことが、重なるように起きることがあります。
今回は、そんな不調や障害を抱えながら、日々どう向き合ったのかというお話になります。
とりとめのない内容ですが、よかったらご覧ください。

あれこれ一度にドカンとやってきた!

最近、長いことお休みをいただいていました。
理由としては、夫が交通事故にあってしまい、その後処理があったためです。
さらに子供の進級、身内の退院のお手伝いなど、本当に色々なことが一気にドカーンとやってきました。
そんな中、追い打ちをかけるように、父が亡くなったと役所から知らせが来ました。

悲しみに浸りたいところですが、お役所は待ってはくれません。
孤軍奮闘であちこちに電話をし、公的機関をまわり、必要な書類を集め「どれがどれの書類かわからないー!」となりながら、どうにか進めていきました。
書類が散らばる中、父の死、夫の交通事故、家族のあれこれという重しが背中に乗り、笑いながら倒れている猫

発達障害炸裂!

そんな中、父の住んでいた遠方まで出向いて、手続きをしなくてはいけなくなりました。
鬱の影響で電車に長時間乗れなくなってしまったため、中間で一旦降りて一休みを繰り返しながら、移動しました。

どうにか目的地に付くことができ、無事に必要な書類を集めることができたところで、一旦、一息つくためにカフェに入りました。
ゆっくりイスに腰を掛け、ボケっとしていたら、何か違和感が‥
「今まで手に持っていたはずの書類がない!!」
なんと、駅のトイレに私の家族と父の戸籍謄本、印鑑など入った大事な封筒を忘れてしまったのです。

大急ぎでコーヒーを一気飲みし、高級店が並ぶ、オシャレな空間をグニグニと競歩で駆け抜けました。

オシャレなお店の間を「また、やらかしたー」と、泣きながら走る猫

幸いにも、書類はトイレにそのまま置きっぱなしだったので、良かったのですが、久々に生きた心地のしないやらかしでした。
そんなこんなで、家に付いたころには、空気の抜けた風船のようにヘロヘロになってしまい、バタンキューしてしまいました。
魂が抜け、しぼんだ風船のように倒れる猫

父への思い

実は、父の所在は長年わからず、何十年も音信不通でした。
それでも、父のことが、頭から離れたことはありませんでした。

お父さん、私ね、志望校に受かったよ。
私、20歳になったよ。
私、結婚したよ。
私、子供が生まれたよ。

お父さん、私ね、私ね‥
心の中で届くはずのない気持ちを、ずっとずっと手紙のように思い浮かべていました。

たくさんの人生の思い出の写真が散らばる絵

そんな父と一緒にいられた時間はとても短かったですが、一つ大好きな思い出があります。

父は昔、毎回、神棚の前にわざわざ踏み台を持ってきて、それに乗り、手を合わせていました。
一度、何をしているのか聞いた時、父はこう言いました。

「お前が毎日無事にすごせるように、神様にお願いしてるんだよ。こうやって、少しでも神様に近い方が、お願いが届きそうでしょ」
一見、意味のないようなことすら、せずにはいられない‥父から私への、ただひたすらで、ひたむきな愛情を感じずにはいられませんでした。

そんな優しい父との数少ない思い出を、何度も何度も反芻し、いつか会える日が来るかもしれないと、大切にしていました。

ですが、こんな形での終わり方はあまりにも衝撃すぎて、脳が麻痺しているのか、不思議とまったく涙が出てこないのです。
足元がフワフワとし、父の死も気を抜くと「死んだ?だれが?ああ、お父さんか‥」とまるで他人事のように感じる‥

そして、感情が麻痺し、頭だけが日常に戻ったため、どうにか出勤することができました。

形の不安定な波の中で、目と口だけある抽象画

TANOSHIKAに在籍していたからこそ、戻れた日常

これらが一般就労していた時に起きていたらと思うと、正直、倒れていたと思います。

気持ちの整理がつかないまま仕事をし、空き時間にあちこち回って書類を集め、家に帰ったら母親業をこなす‥とてもじゃないですが、私のおちょこサイズのキャパシティでは、無理ですね。

そのうえ、特性の影響で、書類作成やマルチタスクも苦手‥
書類は書き損じによる訂正印だらけ、時間や場所の勘違いなどを考えると、一般の会社だったら、すべて終わるのは、何か月も先だったでしょう。
きっとその間に、体やメンタルもボロボロになっていたと思います。

A型事業所に在籍し、支援員さんや優しい同僚に囲まれたからこそ、
仕事を通して、丁寧に‘‘今‘‘に向き合え、心が一歩一歩進むことができている。
本当に感謝しかありません。

また、この記事を書くにあたり、父の死から日数が経っていないため、上司は私のことを心配してくださいました。
それでも書きたいと思ったのは、正直なところ、書くことで何かプラスの方向に気持ちが整理されるような、そんな『自分のため』という気持ちの比重が大きいかもしれません。

そしてそんな、形のない霧のような感覚の中で、記事を書きながらぼんやりと出てきた思い、それはーー

静かに過ぎていく日々の中で

誰もが通るであろう、避けられない大切な人の死

たくさん泣いて泣いて、泣きつくして向き合う人
仕事や趣味に没頭し、少しずつ向き合う人
考えや感情ををオフにする人

その向き合い方は人それぞれにあり、そこに正しいも間違いもない
それは、誰にも邪魔のできない、あなただけのもの

そして、私もきっといつか、涙があふれ止まらない日がくるのでしょう。

でも、それはきっと一歩前に進んだ証なんだと‥
その苦しみも抱きしめながら、大切にしていきたい。

手からこぼれる水


大切な人を失ったときの向き合い方について、別の視点で書かれている記事もあります。

必要な方に届けばと思い、こちらに置いておきます。

(平安会館斎奉閣 家族葬会館和ごころ)【1人で抱え込まないで】身近な人の死の乗り越え方|つらいときの相談先も2025.07.17

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1 個のコメント

  • 大変な中で書かれた文章、静かに胸に残りました。

    お父さまのご冥福をお祈りいたします。

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