決断のとき~どんはれの枕草子~

決断のとき

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入院して8カ月過ぎようとしている

母が入院して、もう8ヶ月が過ぎようとしている。

その間に、毎年一回の大学病院の定期健診に連れて行ったときに母と久しぶりに対面した。しっかりと私の手を握って話している姿を見て、だいぶ元気になってきていると感じた。

入院先では、ベットから車椅子に移動する動作は自分でできるようになるまで回復した。

完全な寝たきりにはなっていないようで安心した。

◇◇◇

髪が伸びてしまっているので、病院で散髪の予約をした。

くせ毛でライオンのたてがみみたいな髪型になった母。

髪を切ったら「もう一度、嫁にいけるっほどキレイか。」と冗談を言う予定である。

リハビリ病院への転院

薬物療法が落ち着いてきた母のためにリハビリ病院への転院を考えている。

転院先候補のリハビリ病院の先生と話し合いをしたのだが、リハビリでの入院は1カ月間しかできないそうだ。しかも、一度転院してしまうと、今入院している病院に戻ることはできない。その後は自宅に帰るか、施設入所をさせるか、考えなくてはいけない。

その1カ月のリハビリ入院で、身体機能がどこまで回復するのか、もう、これ以上回復は望めないのかハッキリわかるそうだ。

決断

1カ月の猶予期間中に全ての決断をしなければいけないと思うと、今から憂鬱な気持ちになる。自宅に戻るとしたら、手すりなどのリフォームが必要になるのか、デイサービスなどどんなサービスが利用できるのか、ケアマネジャーと相談しなければならない。

私もリモートに切り替えて母の介護に対応しながら仕事することになるであろう。

施設に入所させるにも受け入れてくれるところを探さないとならない。

そして、私が休みの土日だけ自宅に帰ってきてもらうようにした方がいいのかもしれないとも考えるようになった。

母にはそこら辺の事情を話すことはできたが、母がどうしたいかまでは聞き出すことができなかった。

経済的には、自宅介護の方が安く済ませられると話に聞くが、その分、負担が大きく、それで私がぶっ倒れてしまっては、もともこうもない。

施設入所が最善な方法かもしれないと考えが傾いてきている。

しかし、母がいなくて寂しいと思う気持ちもある。慎重に考えなければならない。

因果応報

母に思う存分甘やかされて育った私は、母のわがままな要求にも、私も子どもの頃、母にわがままを言ってさんざん困らせた記憶がある。それは、ブーメランのように今頃かえってきただけと考えることもできる。因果応報である。

母と私の幸せのために

けれども、私自身もやりたいことがあり、自分自身の幸せを考えなければならない。母の介護のために人生が犠牲になったと考えるようになったら、母も私も不幸になってしまう。

あらゆる社会資源を利用しながら、母と私の生活をどう組み立てるのか、今決断を迫られている。

 

 



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