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うつ病viviの「うつ病は風邪ではありません」
はじめに
うつ病はよく「風邪をひいているようなもの」と言われがちです。
でも実際は違います。確かに「風邪をひいただけ」という人も少なくはないでしょう。
だからといって「風邪をひいただけでしょ」とは言わないで下さいね。本人は軽度であれ重度であれ本当にとても辛いのです。ふと頭によぎる希死念慮。「死にたい」「生きている意味がわからない」・・。私もまたその一人。かれこれ10年以上悩んでいます。
一昨年から昨年にかけて、躁うつ病?とか発達障害ような気があるなど疑われたりしたことがあります。だけど今は「そんなことどうでもいい」と思っています。
どう診断されようと私は「うつ病」で、どう思われようとやっぱり「うつ病」なんです。
この数か月明るくなって楽しくなるとよく笑うようになりました(でも見えないところではメソメソと泣いていることが多いです)こういう風に笑えるようになったことを「寛解」というのでしょうか?
余談ですが「寛解」という言葉をよく耳にします。調べてみると「全治とは言えないが、症状が治まって穏やかであること」をいうそうです。
私はどうなんでしょうか?これは「寛解」ですか?どこまで回復すれば「寛解」なのでしょうか?わからなくなりました。自分では「まだ」と思っているけれど、周りは「もう大丈夫」と思っている。なんだか複雑な気持ちです。
でもこれだけは言っておきたいです。
「何も知らない素人に見た目だけで判断しないでほしい」ということです。
いつまでも苦しいんです。悲しいんです。心の中は常に雨が降っていて真っ暗。時には嵐になり雷が鳴る。どんなに明るくふるまっても日が差し込むことはないんです。
どうか皆様、この機会に「うつ病」という病を知ってください。
「うつ病」は風邪ではありません。そんな簡単にかかる病ではありません。
これから「私の場合のうつ病の症状」についてお話します。
このお話はうつ病を患う全ての人たちに当てはまるものではありません。
うつ病になったきっかけも症状も人それぞれです。
これから、あくまでも私の場合のうつ病の「症状」や「きっかけ」となった様々な出来事の一部をお話したいと思います。
初期症状(viviの場合)
いつ頃から始まったのでしょうか?思い返せば、ずっとずっと前、多分学生時代からだったかもしれません。ここではその時代のことではなく社会にでてからのことをお話します。
約30年前のことです。当時勤めていた会社で新旧社員同士の派閥が起きていました。それは管理職から二つに割れて少しずつ大きくなって巻き込まれる人も多く、職務にも影響するようになっていました。
そんな渦中若かった私は案の定巻き込まれていて、どうにもこうにもいかなくて悩んでいました。私は次第に壊れて酷い頭痛に悩されるようになりました。それから何故か通勤の電車に乗れなくなって欠勤が多くなりました。電車にのろうとすると体が固まり気分が悪くなるのです。こんな風になってしまった自分が歯がゆくて悔しくて日に日に気分が落ち込み、描いていた夢や希望が見えなくなってしまいました。
今思えばこの時に精神科へ行っていればこうはならなかったのかもしれません。
だけど当時はこんなことで少し落ち込んだぐらいで精神科に行くなんて慣習はありません。今の人たちのように気軽に行ける所ではないし第一そんな時間はありません。行きたくても行けないところでした。それにここで立ち止まったら負けなんです。
ある日私は決心しました。「このままではいけない。このままでは自分がダメになる」と逃げるように退職しました。
退職後は、すぐに新しい仕事に就きましたが同じでした。転職しても転職しても何かがあって同じような症状を繰り返しそこを去る。「今度こそ今度こそ」と。情けない話です。
追いつめられて
全ては女性が起こすヒステリーから始まりました。そのヒステリーのあとは罵倒。それから無視・シカト。所によって第三者はこれを「ねたみ」から始まったのではないかと言われたことがあります。
このような出来事がしばしばあり、これを経験するたびに追いつめられました。
こんなことがありました。ある朝日々のストレスといささか乱暴な過重労働で疲れ果て、ベッドから起き上がることができなくなった日がありました。一日だけ休みをもらおうと電話をした時のことです。
始業時刻は8:30。8:00前に連絡をしました。はじめは主任。主任から理事長(女性)に電話を回された途端いきなりヒステリックに怒鳴られました。休みたいときは6:00に連絡するようにという内容ですが、ここぞとばかりにあれやこれやと誰かと比較しながら何でもかんでも言われました。人と比べるばかり。
一旦電話を切ったと思ったら、またかかってくる。繰り返し繰り返し入れ替わり立ち替わり。そのたびにキャーキャーワーワーと間髪いれずに一方的に言われ、わけがわかりませんでした。ひとしきり言われて電話が落ち着いたら涙が溢れてきて怖くて震えました。
もう二度と出勤しない。怖い。もう嫌だ。疲れた。
次の日も次の日も泣いていました。止まらない電話にまいってました。
数日後、本当に具合が悪いのなら診断書を提出しなさいと言われ、どこにいこうかと考えて「もうこれしかない」と精神科にいくことを決心しました。そして大泣きしながら精神科のドアを叩きました。
この話しは、たった一度休みをもらおうとしたら(スタッフはいっぱいいます)ヒステリーを起こされ罵倒され立ち直れなくなるほど精神的に追い込まれた出来事のひとつです。
崖っぷち
次は文字通り「崖っぷち」まで追い込まれた出来事です。
「負けるもんか」「仕事で見返してやる」こう思って耐えて頑張っていましたが、頑張れば頑張るほどいじめや陰口・罵倒・罵声が酷くなった話です。
約11年前、全てが崩れてダメになりました。
そこは1年の自宅療養後に再就職したところです。そこに入職するまでは、自宅療養期間中に自力で早く立ち直ろうと職業訓練校に卒業するまで通っていました。
入職した初日から感じた異様な空気に萎縮しそうでしたが「なんのこれしき」「なんてことない」と耐えました。後から聞いたのですが、どうやら私がその仕事の経験者であり、皆が持っていない資格をもっていたこと、また中途入職であったことで「気に入らない」と思われていたようです。
そんなこんなで部署を超えて四方八方から試されていました。中には当然わからないこともありました。しかしそれを教わろうとすると鼻で笑われ失敗するとここぞとばかりに罵倒される。そんな毎日でした。
ある日 一大事が起きました。仕事に大きな穴を開けてしまいまいした。
一日の業務を終えて、時間外で一気にさばいていこうと準備した後のこと。見渡すと私の指導をしてくれている年下の先輩方がいない。帰っていました。周囲の人たちはクスクス笑い。知らん顔。私は思いました。「やられた」「まんまとやられた」「仕方がない。一人ででもやるしかない」しかし・・
机の上にある書類の山を見たら、急に今日までのいろんなことがフラッシュバックしてきて涙が溢れだし思考や体が固まりました。(これが私がよく使う言葉「体のねじが壊れて止まる」です)どのくらい固まっていたのか、とても長い時間のような気がします。誰も私の異変に気づいてはくれません。当然です。かまってる暇などないのです。ですから誰も気づかない。それとも知らぬ顔をしているのかのどちらか。「負けた。もう無理。限界」と一言、胸の中でつぶやきました。そして私は・・。私はふら~と何かに憑りつかれたかのようにその場を離れ出ていきました。これは忘れられない自分の情けない行動のひとつです。
後日、あの日診断書をもらいにいった精神科のドアを大泣きしながら再び叩きました。
誰かに助けてほしかった。味方がほしかった。優しい言葉をかけられたかった。ただそれだけのために。
奈落の底
奈落の底に堕ちた瞬間「もう終わった」「もうだめだ」と思いました。
だけど負けたくはなかった。たくさん泣いて「這い上がって見せる」と泣きながら崖を手探りで昇りました。しかし昇り始めたまではよかったのですが、何度やっても足を前に運べなくて、そのたびに力尽きて何度も堕ちました。
ネジが止まって数日後異動になりました。仕事量は少なく比較的簡単な部署でした。はじめは新鮮で皆人当たりもよかったのですが、だんだん空気が変わって危ない雰囲気になってきました。なぜかというと私を崖っぷちに追いやった人たちが頻繁に出入りするようになったからです。こちらにくるたび冷たい視線をおくり、私のことをいろいろと皆に吹き込みにくる人たちがいました。入れ替わり立ち替わりに出入りして、気づけばそこも同じ扱いに変わってしまいました。
こんな日がありました。当番で金庫にお金を持っていく時、数人から追いかけれました。
「金庫に行ってきます」とちゃんと言って、その後「はい。お願いします」と言われて行ったのに、事務室をでたら目の色変えてまるで「泥棒」といわんばかりに走って追いかけられ金庫に入れるお金の入ったバッグ等を取り上げられました。これは私を「泥棒」にして追い込むための罠でした。
ある日は苦しくて限界になってトイレに隠れて泣いていたときがありました。その時も後から追いかけてきてノックはしないものの、入口付近で固まってひそひそ。出るに出れず生きた心地がしませんでした。
そんなことがいくつかあり、私はもう二度と這い上がることができない奈落の底に堕ちました。
絶望
全てを諦め堕ちたままでいたら、私は異常行動を起こすようになりました。
警察にお世話になるほどのことではありませんが、その職場でもある大きな建物から「出入禁止」と言わんばかりに追い出されました。追い出された原因は異常行動です。
まず目立った行動の一つは「居座り」出勤せずにその職場でもある建物の中を一日中行ったり来たり。売店の前にあるベンチで休んだり横になって寝たり。喫煙所に居座ったり。多分一ヶ月ぐらいは続けていたと思います。私を追い出すために警備員を呼び、つかまりそうになったのをきっかけに怖くなってやめました。
その他今思えば考えられないことばかりで当時の私には常識なんてありませんでした。あるのは怒り悲しみ憎しみそして悔しさ情けなさ。「もう私は終わったんだ」「死にたい」
でも最後に悪あがきをしようと労働組合に訴えました。しかし当時の主治医に止められドクターストップ。そしてこう言われました。
「あなたは喧嘩をしてはいけませんよ。興奮してはいけませんよ」
「もう大丈夫です」
涙がこぼれました。今でもこのことを思い出すと悔しくて涙がこぼれますが、この時に主治医に言われたことは忘れません。今も昔もこれからも心にひびく言葉で、生きていくために必要な大事な言葉です。
また今でも異常行動をする時があります。そんな時は大抵やりきれない気持ちで、生きているのか死んでいるのかわからなくなって、ふわ~としている時です。
おわりに
泣いて起きて泣いて寝て。食事中もイスに座ったまま食べながら寝る。イスに座ったまま寝ながらタバコを吸う。外に出るのは病院に行く時だけ。タバコをどうやって買いに行っていたのかは覚えていない。テレビも観れず音楽も聞けず本も読めなくて廃人そのもの。夜は夜で中途覚醒が酷く、うちの中を寝ながらさまよいいたるところで寝落ち。かろうじて生きているけれど死んでるようなもの。
そんな生活が何年か続いたようだけどぼんやりとしていて覚えていません。
正気を取り戻したかと思いきや気がついたら精神安定剤の薬物依存。攻撃的でよく喧嘩するようになり、パチンコや買い物に依存。買い物は元々好きな事だったけど散財するほど激しくなりました。また始めの子ども返りをしたのもこのころ。その他いろいろありました。
動こうとすると体が固まって動けない。お風呂に入れない。
初めて「うつ病」と診断されて約11年。勤めることも辞めて諦めて、もう二度と社会には戻りたくないと思いました。このまま一生のんきに過ごしたい。もう疲れた。ほっといて。面倒な人には近寄ってほしくない。私にかまわないで。私に寄り付かないで。嫌なものは嫌。私はまだ疲れている。これ以上疲れさせないで。
TANOSHIKAにきて4年。だんだん笑えるようにはなって明るくなってきたけれど私はまだ歩けません。いつまでもあの日々のことを忘れることができずもがいています。
ここまで様々な出来事を割愛してお話してきましたが、お分かりいただけたでしょうか?
これだけではまだ分からないですよね。ですがここで全てをお話することはできないので、どうかご了承ください。
だけど、これだけは分かってください。
「うつ病」は風邪ではありません。
逆に風邪ならどんなにいいことか。これが風邪ならすぐによくなる。すぐに立ち直れる。
だけど立ち直れないのです。そうそう簡単にはいかないのです。
いつまでもいつまでも暗闇の中をさまよっています。
うつ病は一度患ったら、ずっといつまでも「うつ病」なんです。
だからもう一度言います。
「うつ病」は風邪ではありません。
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貴女の記事を読ませてもらいました。考えてみれば当てはまることがいくつか当たっているように感じます。人がうつ病になるにはそれぞれだけど辛い思いは同じだと知りました 。私もゆっくり進もうと教えられました。ありがとうございます。
おはようございます。ダックスフンドさん。うつ病になってしまったきっかけは人それぞれで、みんな辛い。なのに、世間は軽く見られていて、それがまた辛い。なかなか理解してもらえない病ですが、ゆっくり歩いていきましょう。私も焦らずのんびり歩いていきます。コメントありがとうございました。