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1.一橋大学ロースクール事件
最近、『おっさんずラブ』(テレビ朝日)や『弟の夫』(NHK)といった同性愛を扱ったテレビドラマが人気を集めています。日本において、同性愛に対する価値観が少しずつ変化してきているのでしょうか。しかし、いざ「実は同性が好き」と家族や友人からカミングアウトされたら、どうしたらいいのか戸惑う人も多いと思います。
一橋大学ロースクール事件というのがありました。2015年、一橋大学法科大学院に通う学生が、校舎から転落して亡くなった事件です。
その事件は、2015年4月に、ある学生Aさんが好意を寄せていた同性の同級生Bさんにその気持ちを伝えたことに始まります。好きであると伝えた後、告白されたBさんは、その気持ちには応えられないがこれまで通り友人でいようと答えました。
しかし、それから2か月半ほどして、告白されたBさんが、Aさんも入っている友人たちのLINEグループで、Aさんがゲイであることをバラしてしまうのです。
そのやりとりがあったときの画面を写した画像をAさんは保存しており、その内容も公開されています。それによると、Bさんは、「おれはもうおまえがゲイであることを隠しておくのはムリだ。ごめん」と書いていました。
やりとりでは、Aさんは冗談めかしていましたが、その後、AさんはBさんと顔を合わせると、吐き気や動悸などのパニック発作が起きるようになり、心療内科に通院しなければなりませんでした。そのような状態になってしまったAさんは、勉強も手につかなくなり、Bさんと顔を合わせる授業や試験にも出られなくなります。
そして、8月24日、Aさんは校舎6階のベランダ部分に手をかけ、ぶら下がっているところを発見されました。救助が呼ばれましたが、Aさんは到着前に転落し、亡くなったのです。
この事件の背景には、ゲイへの無理解があります。Bさんが他の友人たちに、Aさんがゲイであることをバラしたこと(アウティングという)、他の友人たちもそれを戒めたり、Aさんの気持ちをフォローすることがなかったことが背景にあると考えられます。
2.彼は私だ
この事件が知れ渡ると、多くのゲイやレズビアンが自分とAさんを重ね合わせました。クラスメートなど、身近な友人に恋心を抱いたときに初めて、自分が同性を好きだということに気づくことは珍しくありません。
そのときに、告白する人は多くはないかもしれませんが、もしそのとき告白していたら、そしてそれをきっかけにゲイやレズビアンであることを暴露されていたなら、と、Aさんと自分との間に大きな違いはないと思った人が、大勢います。
3.カミングアウトは、「新しい出会い」
現在の日本で、「カミングアウト」という言葉は、誰かに対して、これまで話していなかった自分に関することを伝えること、特に、相手が予想していないようなことを伝えるという広い意味で使われています。
しかし、もともと英語のカムアウト/カミングアウトは、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)などが、自分の性的指向(恋愛や性的欲望の対象)や性自認(自分の性別に関する意識)について誰かに伝えることを指す言葉です。
日本語に訳すと「外に出る(come out/coming out)」という意味になるこの英語は、「クローゼット(押し入れ)から出る」という、ゲイやレズビアンなどが使っていたスラングから来ています。そのため、英語では、自分がそうだと言わないでいる状態を、「クローゼットにいる(in the closeted/closeted)」と表現します。
逆に、そのことを基本的に隠さない状態を「オープンにしている」と言い、オープンにしている場合、「オープンリー・ゲイ」「オープンリー・レズビアン」などと言います。
それらを言わないことが、「クローゼットにいる」と表現されるのは、カミングアウトが、仲間のコミュニティへ出て行くという意味から始まっているのですが、性的指向や性自認に関することが、自分の心のなかにしまうことというより、自分自身の全体に関わることであることを表しています。
よって、カミングアウトするということは、クローゼットに閉じこもっていた人が、そこから「外に出る」ということになります。それは、新しい自分が、誰かの前に立ち、新たに出会うということでもあります。
そして、その出会いとは、どちらかと言えば、新しい出会ったばかりの人とではなく、むしろ、これまでお互いをよく知っていた親密な関係の相手との「出会い直し」なのです。そこから、関係を作り直す作業が始まるのです。
4.嫌だと思う気持ちも「当事者性」の一つ、だが・・・
予想もしなかった同性からの告白があったとき、うまく対応できる人は少ないかもしれません。この本の著者である砂川秀樹さんは、このことに関して、次のように伝えることにしているそうです。
・嫌だと思う気持ちも「当事者性」の一つです。
・気持ちは、簡単に変わらないかもしれません。
・問われるのは、どういう態度や行動をとるかです。
・しかし、自分の気持ちの背景に何があるのかを振り返り、考えることは大切。
だというのです。
5.住みやすい社会、美しい社会、生きやすい社会とは?
著者はこんなことも述べています。
どんなに話を聞いても、ゲイやレズビアンについての嫌悪感が消えない、という人たちがいる。そういう人たちがいるのは、ある意味で当然だろう。すべての人が、どんな属性の人のことも全く同じように受けいれられることはありえない。
しかし、その気持ちのあり方も、その気持ちをいだく対象の人たちとの関係性であり、そういう意味で、その対象の人たちと無関係なわけでない。それを当事者性の一つと私は表現している。好むと好まざるとにかかわらず、同じ社会に生きている以上、全く無関係というわけにはいかないのだ。
そして、その気持ちは簡単には変更できないだろう。頭ではわかっていても・・・という言葉もよく聞く。その気持ちがあることを認めることはとても大事だと思う。それを単純に「その感情は良くない」と抑圧しても意味がない。
しかし、では、そういう嫌悪感をあらわにしていいものか。例えば、医療従事者として、教育者として、公務員としてなどの立場で、そういう人たちに接したときに、嫌悪感があるからといって、嫌悪感を出したり、他の人と違う態度をとっていいだろうか。それは、その仕事のプロとは言えないはずだ。
もし、自分がある属性を持つ人たちに対して、嫌悪感を抱いていることを自覚しているなら、その人たちと接するときには、そのような態度がでないように、むしろ注意すべきではないだろうか。ここでとりあげてきたアウティングも、嫌悪感のあるなしの問題ではなく、どういう態度や行動をとるかということだ。
そして、その後にさらにこう言うことにしている。「最近は、『嫌いなものを嫌いと言って何が悪い』と開き直って、ある属性の人たちに対して醜い言葉を向ける人たちもいるが、そんな風に自分が嫌いなものを、皆が嫌いと言い、憎いと感じるものを憎いと言い合う社会はどんな社会ですか? それは住みやすい社会、美しい社会、生きやすい社会ですか?」と。
6.8つのカミングアウトストーリー
本書には、「拒絶されるかもしれない」「でも、本当の自分を受け入れてほしい」と、ためらいながらも、カミングアウトを決断した人たちとや家族との、8つのストーリーが掲載されています。
ですが、著者はこうも語っています。
カミングアウトというテーマが、いろいろな人に様々な感情を引き起こす様子を私はこれまで経験してきた。「カミングアウトなんてしなくてもいい」「すべきではない」という言葉で、苛立ちや怒りを表現する人もいる。私は、カミングアウトは、する必要があるーない、すべきーすべきでないという表現で議論するようなものではないと思っている。それぞれの置かれている状況も違うからだ。
よって、誰かにカミングアウトをする/しないの決断を強いるような「あなたはゲイですか?」「あなたはレズビアンですか?」という問いは避けてほしいことを最初に強調しておきたい。
7.関連する書籍
『カミングアウト・レターズ』は、同じ著者によるゲイ、レズビアンの子とその親、生徒と教師など、18歳から82歳まで、7組・19通の手紙を掲載した書籍です。
参考
砂川秀樹(2018)『カミングアウト』朝日新聞出版.
砂川秀樹(2007)『カミングアウト・レターズ』太郎次郎社エディタス.
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