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はじめに
以前、ゲイであることを公表したアメリカの政治家で、人権活動家ハーヴェイ・ミルク氏の記事を書いたことがあります。
そんなハーヴェイ氏にならんで有名な、ゲイ解放運動家で「ドラァグの母」と呼ばれた、マーシャ・P・ジョンソンを紹介したいと思います。
マーシャ・P・ジョンソンとはどんな人物なのか?
マーシャ・P・ジョンソン(Marsha・P・Johnson、1945年8月24日-1992年7月6日)は、アメリカのゲイ解放運動家、トランスジェンダー活動家、ドラァグクイーン、セックスワーカーである。
1960年代にアメリカでアクティブとなったLGBTQの権利獲得運動の活動家として知られ、特に1969年の「ストーンウォールの反乱」において重要な役割を担ったことで有名です。
ゲイの解放戦線の創設メンバーで、友人であるシルビア・リベラと一緒に、トランスヴェスタイト支持団体であるS.T.A.R. (Street Transvestite Action Revolutionaries) の共同創設者でもあります。
ニューヨークのLGBTQコミュニティ、アートのコミュニティでは特に有名人であり、アンディ・ウォーホルのモデルや、パフォーマンス集団、Hot Peachesでのドラァグ・パフォーマーとして活躍しました。
当時、カウンターカルチャーの中心地だったニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで主に活動し、「クリストファー通りの市長」や「ドラァグの母」とも呼ばれていました。
1987年から1992年にかけてはAIDS撲滅活動を目指すACT UPのメンバーとしてHIV/AIDS運動家としても活動しています。
ストーンウォールの反乱
当時、グリニッジ・ビレッジにあった「ストーンウォール・イン」は、はじめは男性以外の入店を拒否していた為、マーシャは出入りできる最初のドラァグ・クイーンの一人でした。
ストーンウォールの反乱は、1969年6月28日の早朝に起こります。
二晩続けて、警察との激しい争いが起き、それをきっかけに毎日のようにデモンストレーションやマーチが行われました。
それまではハラスメントや差別を恐れて、表立つことができなかった同性愛者らのコミュニティがアメリカ全土に広くその存在を知らしめ、ゲイ解放運動の先駆けとなったのです。
ストーンウォールの反乱の参加者達のインタビューをまとめた著書の作者であるデビッド・カーターは、複数の証言者が最前線で警察隊と戦っていたのが、ザズ・ノヴァ、ジャッキー・ホルモナ、マーシャの3人と語っています。
マーシャが一晩目にストーンウォールに到着した時には、暴動はすでに始まっており、警察官が点けた火が建物から燃え上っていたといいます。
一晩目の有名なエピソードとして、マーシャが燃えるバーの鏡に向かって、ショットグラスを投げつけ、
「私にも人権がある」
と叫んだという逸話が残っています。
ゲイ・アクティビスト同盟のメンバーは数日後のミーティングで
「あのショットグラスの音は世界に響いた」
と語ったといいます。
しかし、その逸話の目撃者であるゲイ活動家達は、それがマーシャであることを、取材などで証言することを避けてきました。
カーターは著書で、派手な格好をしたトランスジェンダーのマーシャに注目がいく事で、ストーンウォールの反乱と、それに真似たゲイ解放運動が世間に、色物として見られる事を嫌がったのではないかと思われます。
ショットグラスの逸話も含めて、ストーンウォールの有名な逸話は矛盾なども多く、定かではない事が多いです。
しかし、二晩目の反乱の時には、多くの人が電柱に登ったマーシャが、レンガの入ったカバンをパトカーに落としてフロントガラスを破壊したのを目撃しています。
当時からLGBTコミュニティに対する暴力や差別は多くみられ、それに対応しようとしない警察との間には常に確執がありました。
また、LGBTやセックスワーカーに対する警察官によるハラスメントや、暴力も日常的に横行していた時代です。
シルビア・リベラ、ザズ・ノヴァ、ミス・メジャー・グリフィン・グレイシー、マーシャなどストーンウォールの反乱で重要といえる役割を果たした多くが有色人種のトランス女性やセックスワーカーでありましたが、その後のゲイ解放運動では有色人種は世間に受け入れられにくい存在として排除され、白人同性愛者達が中心となって進められる事となりました。
その後、マーシャは同性愛者だけに限らず、幅広い性的マイノリティ当事者の権利を求めるため、友人のドラァグクイーンのシルビア・リベラと共に「Street Transvestite Action Revolutionaries(街頭トランスベスタイト活動革命家たち)」、略称『STAR』を創設しました。
性的マイノリティやセックスワーカーの若者を受け入れる「STARハウス」を設立し、身寄りのないLGBTQ+当事者のサポートする活動に尽力しました。
マーシャの功績の数々
マーシャの功績は数々ありますが、最近のものでいうと、2019年6月には、マーシャはストーンウォール・インにおけるモニュメントの50人のLGBTのパイオニア、ヒーローに選ばれました。
これはLGBTの権利活動と歴史に関連したアメリカ初の国定文化遺産になります。
そして、2020年2月1日に、ニューヨーク知事アンドリュー・クオモはブルックリンのイースト・リバー・パークをマーシャの功績を称えて「マーシャ・P・ ジョンソン州立公園」と改名することを発表しました。LGBTの偉人の名を冠した州立公園はこれが初めてです。
最後に
マーシャの最後は、悲しいことに謎の死で終わります。自殺なのか、他殺なのか現在でも、謎のままです。
マーシャの死については、Netflixで「マーシャ・P・ジョンソンの生と死」というドキュメンタリー映画が制作されています。
しかし、マーシャの功績の数々を見ていると、マーシャ・P・ジョンソンという人物がどれほどマイノリティの世界で偉大だったかは、はっきりとわかるでしょう。
参考サイト
【Netflixオススメ映画】伝説のドラッグクイーンの自殺の真相に迫る『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』彼女が戦っていた差別とは… | Pouch[ポーチ]
社会を変えた!歴史に名を残した「LGBTQ+アクティビスト」
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