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「うつの波に襲われた時」うつ病viviの経験談
はじめに
先日、久しぶりに「うつの波」に襲われました。
うつの波とは「うつ病」等を患っている人が少しずつ回復している時、気分が堕ちたり上がったりを繰り返すことです。
これは医師が使う専門的な言葉ではなく、うつ病等を患っている一部の人で使われている俗語です。
気分が堕ちたときに「波がきた」と表現します。
この時に飲む頓服薬はないと聞いています。
その為、耐えしのぶしかなくうつ病等で初めて診断された時より苦しい症状です。
症状が落ち着いて来たときに何かをきっかけに起きるので、とても酷く感じてしまいます。
症状には個人差があるようでviviの場合は、「気分の落ち込み」の他「鉛様麻痺(身体が重く固まって動けなくなる)」になり5分~数十分その時の態勢で固まってしまいます。
やっと動けたかと思ったら床に倒れこみ涙が溢れてくる症状です。
何かのきっかけがあって、このような事が起き苦しくて悔しくて悲しくなり涙があふれてきます。
viviがうつの波に襲われる時のきっかけとはなんでしょうか?
そして、うつの波に襲われた時どう対処しているのでしょうか?
過去を振り返りながら、今回はそんなお話をしようと思います。
はじまりは適応障害
それは多分16年前(平成16年頃)初めて精神科のドアを泣きながら叩きました。
当時のviviは現実を受け入れられない状態で、泣き崩れその時起きていた出来事に混乱していました。また、鉛様麻痺らしき症状を初めて経験したのもこの頃です。
しかし、その時それが精神的な症状とは知らず放置。話もしませんでした。
すぐに薬が処方され同時にカウンセリングも始まりました。
カウンセリングでは話をするけれど説明するのが面倒で、またカウンセラーに話が伝わらず歯がゆくてイライラ。
当時、処方された薬、精神安定剤は恐らくとても強いものであわなく飲みませんでした。
次第に通うことすら面倒になり自力で回復させようと思ったのでやめました。
ここをどうやって乗り越えたのか、それはずっと前にかじっていたパチンコでした。
パチンコに夢中になって、泣き崩れるほど悲しくなっていたことが馬鹿馬鹿しくなって自分を取り戻しました。
だけど、この当時のことをふと思い出すと、今でもうつの波に襲われます。
そうなったら静かに目を閉じて涙をこぼしながら、ただただ耐えます。
苦しくて悔しくて悲しくて
仕事、仕事、仕事。仕事に専念していました。
朝も早く帰りも遅く残業、残業、残業。
膨大な仕事の量で毎日14時間の労働時間。
一日の大半を仕事に費やしました。
それでも全然苦ではなく自ら率先して働いていました。
そんなある日、上司に睨まれ目をつけられて。
「パワーハラスメント」の始まりでした。
この上司のパワハラは酷いものでした。
第三者を使い意図的にviviを挑発し、完璧主義だったviviにボロを出すようにしむけ追い込まれていました。
それでもずっと我慢していましたが、ある日挑発に乗ってしまいキレてしまいました。
事務所から出て外で独りぐちゃぐちゃになって泣きました。
その日まで我慢していた涙が止めどなくあふれ声を出して泣き崩れました。
自分にも相手にも負けたことが悔しくて居場所もなくなり、そこで仕事を続けることは諦めました。
その出来事があって半年くらいたっても、まだ立ち直れず泣き続けていました。
「どうして、こうなるの?よかれと思って真面目に仕事していただけなのに・・」
鉛様麻痺らしい症状も起きていましたが、精神科のドアは叩かず耐えました。
なぜなら、精神科のドアを叩くことは負けを認めることだと当時は思っていたからです。
それだけ悔しかったのです。仕事で受けた仇は仕事でやり返す。
そんな負けず嫌いな強い心を持っていました。
しかし、これが大きな間違い。これからやってくる出来事に影響を及ぼしました。
うつ病になったきっかけ①
あれから2年。今度は「雇止め」にあいました。契約職員でした。
3年目の契約更新を目指していたのですが、当時勤めていた会社が合併するという話があり、会社は慌ただしく契約職員の契約更新などは二の次、三の次になっていました。
自分たちがどうなるのか、わからないまま時が過ぎていきました。
どうしても更新したい。1年に1回訪れる2回目の契約更新。大事な時でした。
なんでかというと、3年の契約を満了することができたら、「正職員」になるためのチャンスを与えてもらえるからです。
ですから特に大事な時だったのです。今まで以上に完璧ではないけれど、完璧を目指して働きました。
だけど、現実は無情でした。契約職員は皆「雇止め」
それを知らされたのは、契約がきれる「3日前」
呆然としました。日常の業務に追われ引き継ぎもままならず、後をにごして退職。
ここでもまた悔し涙を流しました。
今でも思い出すと、悔しくて残念でうつの波に襲われます。
ここを乗り越えることができたのは、次の仕事を誰よりも早くみつけること。
悲しみや悔しさをバネに前に進むことだと思っていました。
しかし、これもまた大きな間違いでした。
うつ病になったきっかけ②
次の仕事はすぐに決まりました。しかし、そこには「罠」がありました。
入職してからというもの首をかしげることばかり。
いろんなことに疑問を感じながら、ハードな仕事と人使いの粗さにクタクタになっていました。
そこでは「経験者」として雇われたこともあって、一から十までなんでも。
経験がなかった業務もありましたが学びながらやっていました。
一日中8時間みっちり。いつも、のどがカラカラ。
しかし水分をとることも小休憩することも許されずクタクタでした。
そこは採用される人がいても人が続かない職場。入れ替わりの激しい職場。
今でいう「ブラック企業」だったのです。
ある日の朝、ベッドから起き上がろうとしても起き上がれなくなりました。
やむを得ず、その日は休みを取らせてもらおうと心に決めました。
まだ時間が早かったので電話を掛けるのは後回しに。
少し早いかもしれないけど、そろそろいいかなと思い1時間前に電話をかけたところ・・。
「遅い」と一方的にヒステリーを起こされ、いろんな言葉をあびせられました。
電話を切った後も入れ替わり立ち替わり何度も電話があり、その都度ヒステリックに皮肉といろんな言葉を・・。
たださえ、起き上がれなくなっているのに容赦なく攻め立てられ、わけがわからなくなって悔しくて泣いていました。その涙は幾日も止まらず・・。
そんな日が何日も続き、だんだん様子がおかしくなりました。
気づいたら泣きながら街をさまよい、あちこちの精神科に電話をかけまくり一軒の精神科に辿りつきました。
泣きながらそこへ行き、助けを求めにドアを叩きました。
それが最初の「うつ病」
そう診断された始まりです。
ここで治療を続けるべきでしたが、金銭的な理由で通うことを諦めました。
ネジが止まった日
1年後自力で立ち直ったつもりでいました。
だけど、そう簡単に治る病ではなく次第に壊れて、自分では手の施しようがなく再発。
1年前にドアを叩いた精神科へ行きました。でも仕事は続けました。
しかし以前より悪化したこの病は、どんどんviviを追いつめあの日を迎えることになったのです。
忘れられないあの日。残業時間が始まったころです。今日中にしなければならない大切な仕事。
たくさんの書類の山。そして冷ややかな視線と笑い声や話し声。
その瞬間、全てのネジが止まり身体が固まってしまいました。
ここ一番の踏ん張りどころ。しかし我慢し続けることに限界。
「もうだめだ」
涙があふれてきそうだったので、そっと席を立ち事務所を出ました。
気がついたら更衣室に。そして着替えてうちへ帰りました。
泣きながら帰りました。「ごめんなさい・・」
翌日、責め立てられることを覚悟して出勤しました。
逃げも隠れもしない。
仕事に大きな穴を開けてしまったことについて今さら弁解はしない。
弁解してもどうせ信じてはくれない。
なぜなら、皆、敵だったから。直属の上司である主任も課長も部長も。
全ての人が「いじめ」に加担していました。怖かった。
うつ病を患っていること。治療を受けていること。薬を飲んでいること。
これと、いじめを受けていること。これらは話しました。
だけど、信じてもらえないどころか「軽蔑」されて・・。
これが一人ぼっちで挑んだ孤独な闘いのきっかけになりました。
そしてネジが止まったあの日から、前以上に気分が落ち込んで身体が固まる鉛様麻痺のような症状が頻繁に起きるようになっていました。
以上が現在まで引きずっている決定的な出来事です。
涙が止まらない
最後まで闘おうと思っていました。
泣いてばかりだったけど泣き寝入りはしたくなかった。
闘うための準備はできていたけど、これからという時にドクターストップ。
道半ばで止めさせられ意気消沈。全ての気力を失いました。
「あなたは喧嘩をしてはいけませんよ」
「怒ってもだめ。興奮するのもよくありません」
悔しくてイライラして涙が止まらない。
イライラをぶつける毎日。手当たり次第感情をぶつけました。問題行動ばかり。
通っていた精神科で受付の事務員に大声で怒鳴ったり、
入院すれば、その時の担当医師や看護師と喧嘩したり、
デイケアに行ったらそこの職員と喧嘩し追い出されたり、
年金事務所で暴れたり・・。もう滅茶苦茶。
でも、次第に喧嘩したり暴れたり怒鳴ったりすることが減ってきました。
そうなった一番の理由は大量の精神安定剤を飲むようになっていたからです。
しかし鉛様麻痺のような症状は相変わらず頻繁で、これに止まらない涙が加わりました。
これを起こすと様々な出来事が頭の中でグルグル回り始めます。
涙は簡単には止まらず、過去に引きずりこまれ苦しくて悔しくて悲しい気分になるのでした。
この当時のことをふと思い出すと気分が落ち込み鉛様麻痺になります。
忘れたい過去のひとつ。遠くをみつめて当時のことを後悔。うつの波に襲われます。
対処の仕方
頻繁に身体が固まるようになったこの症状は6~7年続きました。
その度に泣いて泣いてもがいていました。
当時は対処しようと思わずなすがまま。
これを重ねていく度、気分の落ち込みは浅くなり頻繁に起きていた鉛様麻痺も時々になりました。
どうしてでしょうか?今思えば悲しみが薄れてきていたのだと思います。
ネジが止まったあの日から6~7年。
「身体を動かすために、なにか運動をしてみましょう」と言われました。
それで試してみたのがフィットネスに通うこと。最初はおっくうでした。
ところが日を重ねるごとに、たくさんの汗をかくことが楽しくて毎日通うようになりました。
ふさぎ込んでいた毎日でしたが、それが一変。
性格も明るくなって、よく笑うようになりました。
そして思いました。
「そうか、外に出て身体を動かすと、こんなにいいことがあるんだ」
「あの苦しかった日々が嘘のよう」
あんなに酷かったうつの症状。
様々な出来事を思い出すたびに泣いて泣いて、涙が止まるまで泣いて・・。
今思えばそれがよかったのかもしれません。
「無理にあふれてくる涙を止めないこと」
「泣けるだけ泣いて、思いっきり運動して汗をかく」
これが当時の対処法です。
ですから今でもうつの波に襲われた時の対処法は
「無理にあふれてくる涙を止めないこと」
「思う存分泣くこと」
先日どうしようもない壁にぶつかり、考え事をしていたら過去を思い出して久しぶりに「うつの波」に襲われました。
現在、フィットネスに通うことはやめていて、汗をかくことはなくなりましたが、その分思いっきり泣くことで時間はかかりましたが乗り越えることができました。
つまり、こういうことだと思います。viviの場合の「波がきた」時の対処法は、
「あふれてくる悲しみの涙は無理に止めず思いっきり泣くこと」なんだと思いました。
おわりに
身体と心のネジが止まって6~7年。ここにきて3年。あわせて10年。
「何か」をきっかけに思い出したことで起きる鉛様麻痺という症状が、精神症状だということを後から知りました。
何かが何なのかはわかりませんが、恐らく、似たような出来事が起きた時ではないかと思います。
ふと思い出すと今この瞬間にも涙があふれ、うつの波が来そうになります。
過去との決別ができたら、どんなにいいでしょう。
それができたら、「うつの波」から、解放されるはず。
何年たっても過去を引きずって生きてる以上涙は止まりません。
苦しくて悔しくて悲しくて。
どうして「怒ってはいけないのか?」いまだに理解できていません。
ただダメと言われて、これらを守っているだけです。
viviの心の中は、いつも血の涙が流れています。イライラとモヤモヤ。
どんなに明るく振る舞っても、過去はついて回ります。
とてももろい堪忍袋。このままでは破裂してしまう。
破裂する前に精神安定剤。切っても切れない精神安定剤との付き合い。
一生手放せないと思っていました。だけど努力の結果少しずつ減ってきました。
これができたのも、10年たってちょっとずつ心のほころびが縫い合わされてきたのだと思います。
山あり谷ありだけれども、このまま穏やかに日々の生活を過ごすことができればきっと・・。
もう傷つきたくはありません。
「うつの波」またこれに襲われることもあるでしょう。
そんなときは思う存分泣きます。
そして、いつの日か過去に翻弄されない強い心で、これを乗り越えることができたらいいなと思います。
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