病気の早期発見:母への想い

この記事は約 10 分で読むことができます。

こんにちは、改めましてM. Jです。

この記事をご覧の皆さんは、「親孝行をした」という自信はありますか?

私は、親孝行をした自信は全くありません。むしろ親不孝をしたことしかありません。

特に母親に対しては、「安心させる」「喜ばせる」ということがほとんどなく苦労ばかりさせていました。

私は幼児期から中学校の時にかけて「母の苦労」を全く理解することができませんでした。母が胃がんになって胃の全摘手術をした後も、私は母に相当負担をかけていました。

私が就職した後もそれは続き、母の人生はずっと「苦労続き」だったと思います。

そんな中、私が20代から30代の時、母は時々精神症状的なものが見られていたのです。ひどい時は「興奮して異常行動に出る」こともありました。

今回、「母の病気の早期発見をできなかった」という、とんでもない親不孝のM.J自身を「反面教師にしていただく」という視点で記事を書いていこうと思います。

  • 子育て ➡️    母の苦労
  • 母、精神的な病気?
  • うつ病 ➡️    なりやすい人・初期症状
  • あの時、母を精神科に受診させていれば・・・
  • 母の状態悪化
  • M.Jからのメッセージ:知識と行動力は大切!

子育て ➡️    母の苦労

小さい頃、M.Jは「手の掛かる子ども」でした。

7つ年の離れた姉が居たのですが、基本的に母は私に付きっきりでした。

小学校低学年の時は、運動や勉強ができなかった記憶しかありません。

これに関しても、学校の先生が個別につきっきりで教えていただいた記憶しかありません。

私は、発達障がいの要素があり「人の気持ちに共感することができない」「周囲のことに対しては無関心」な子どもでしたので、母の苦労は相当なものだったと思います。

母はいろいろ精神的に悩んで「興奮するような行動」がたびたびあったようです。

具体的には、姉が母の言うことを聞かないと暴言を吐く、姉の教科書を破る、物を投げつけるなどの行為があったようです。

このような母の精神症状は、私にはあまり見せませんでした。

基本的に母は「私の話」をほとんど聞いてくれました。小さい頃に見られる「机の上に乗る」などの不適切な行動についても、注意された記憶がありませんでした。

勉強についても厳しく言われることはほとんどありませんでした。

姉が私の行動に注意するのを止めていたほど、温かく見守っていただきました。比較的「のびのび育てられた」ほうだと思います。

姉からは「なぜ弟ばかり可愛がるのか」と言われていたようです。

母は姉に対してとても厳しく、私に対してとても温かく接していたようです。

子育てしながら、かなりの葛藤があったのではないでしょうか?

おそらく、母は私が生まれてからは「姉と向き合う」ことはほとんどなかったと思います。お互いに、ギスギスしたものはあったと思います。

次の項では、私が就職した後の母の状態について書いていきます。

母、精神的な病気?

私は高校に入ってから必死に勉強をして、専門学校に行き、何とか病院に就職しました。

最初に就職した職場では人間関係がうまくいかず、トラブル続きでした。

当時の上司とは患者さんとの接し方に関する「考え方の相違」があまりにもひどく、会話をすることが少なかったです。

まだ私自身若くて未熟だったこともあり「世渡り術」を全く身につけていませんでした。

仕事の終了後、私は精神状態が悪く「とてもイライラした状態」でした。

「夜、自動車で外に出掛けて自然を見て感じること」が日々の習慣になっていました。

母は、私の精神状態が悪いことを知っていたので「この子のそばで会話をしなければ」と思っていたようです。「自殺をするのでは・・・」と思っていたのかもしれません。とにかく、毎日のように一緒に自動車に乗っていました。

夜、11時から12時にかけて家を出発して近くのダムや道の駅などに出掛けていました。

私は「冷たい風」と「暗くて異様な感じ」を楽しみながら「クールダウン」して、次の日出勤できるように精神状態を保っていたように思います。

そんなことが続いていた時、母はある日を境に突然「外に出掛けたくない!」と言い出し、家の中に引きこもることが多くなりました。

その頃から、母は時々精神症状的なものが見られるようになりました。

日頃、寝ていることが多くなり、家の中でだけ活動をするようになり、料理はほとんどしなくなりました。

父や姉とも話すことはほとんどなくなり、近所の人と話すことはなくなりました。

しばらくした後、私に対して暴言を吐くようになり、物を投げつけるようになりました。

いわゆる「うつ」の初期症状が母に出ていたのですが、その時のM.Jは「母の精神的な変化」に気づかなかったのです。M.Jのような思いをしないためにも、「病気の早期発見」は大事です。

次の項では、うつ病や、うつ病になりやすい人について書いていきます。

うつ病 ➡️    なりやすい人・初期症状

うつ病には、なりやすい性格があります。

ずっと母は「生真面目」「完璧主義」「気をつかう」ことの多い性格、いわゆる「うつ病」になりやすい性格でした。詳細は以下に示します。

【うつ病になりやすい性格】

◇生真面目 ◇完璧主義 ◇自分に厳しい ◇こり性 ◇気をつかう 

◎上記の①〜⑤の要素に加えて「ストレス」が多く負荷されると「うつ病」になりやすい。

うつ病の症状は、精神症状と身体症状があります。以下に示します。

【うつ病の症状:精神症状】

◆気分が落ち込む ◆無関心になる ◆意欲がなくなる 

◆ぼんやりすることが増える ◆悲観的に考える 

◆口数が少なくなる ◆不安・焦り・イライラ感 

◆外見・服装を気にしなくなる           

【うつ病の症状:身体症状】

◆睡眠障害(不眠または過眠) ◆食欲不振または過食  

◆頭痛 ◆下痢または便秘 ◆めまい・耳鳴り 

◆肩こり・腰痛 ◆勃起不全 ◆生理不順

参考:すまいるナビゲーター:うつ病とは? 原因・症状・治療方法の解説

「うつ病」は上記のような症状が、2週間以上続くことが一般的です。

身体症状がかなり強く出る場合もあり、内科の病気などとも区別する必要性があります。

「心のカゼ」と呼ばれることもありますが、明らかに「不適切な表現」だと思います。

カゼは比較的短期で治りますが、うつ病は基本的に寛解に1年以上かかる気です。根気強い治療が必要になります。

「うつ病」は、放置してしまうと「日常生活に支障を来たす」厄介な病気です。

「うつ病」の早期発見は、難しいかもしれませんが、大切なことです。

あの時、母を精神科に受診させていれば・・・

母は基本的に暗い感じで、はしゃぐこともほとんどなく真面目な部分しかありませんでした。私がある程度悪いことをしても、母には注意されませんでしたが、「ウソをつく」ことだけは、かなりひどく怒られました。

周囲に対しての「気遣い」はすごく、 「義理」を欠かさない人でした。

そんな母が、突然「外に出掛けたくない!」と言って、一緒に出かけることがほとんどなくなったのです。「物事に対しての意欲がなくなる」「過度にイライラする」ことが見られるようになりました。

以前、編み物に興味があって、一緒に買物に行っていました。しかし、編み物の最初の部分をしても「長続きしない」ことが多くなりました。

また、本人いわく「認知症予防」として、1000ピース以上のパズルをしていましたが、突然「もうやりたくない!」と言い始めて、パズルを買うことはなくなりました。

この時にM.Jは気づくべきだったのです。母は「精神的な疲れ」がたまっていたのです。おそらく、顔の表情も悪かったのではないかと思われます。

しばらく経過した後、母は突発的に「暴言を吐く」「物を投げつける」ことが多くなりました。これらに加え「死にたい!」「生きていてもしょうがない!」と言うことが頻繁にあるようになりました。

次の項では、母の状態悪化について書いていきます。

母の状態悪化

ついに、母は「MCI(軽度認知障害)」になってしまったのです。「精神的な興奮」によって「認知症の症状」が出現するようになりました。

一番恐れていたことが、起こってしまったのです。

そこでM.Jは、母の病気に気づき「精神科の病院」に家族3人で「外来受診」することになったのです。受診した後の約2〜3年間、母は「精神科デイケア」に通所しました。

母がなってしまったMCIについて詳しく記載されています。ご覧いただけると有り難いです。

参考:河田病院:軽度認知障害(MCI)とは?

M.Jからのメッセージ:知識と行動力は大切!

以上、病気の早期発見ー母に対しての思いでした。

上記のように「明らかな症状」が出ているにも関わらず、私は「母の精神的な変化」に気づかなかったのです。実際に、母と過ごした時間は私が一番長かったと思います。

もっと、母のことに対して「関心をもつ」べきだったと思います。発達障がいの特性である「周囲のことに対して無関心」な部分が悪いほうに作用したようです。

あの時、M.Jは「ものすごく最低な人間」だったと思います。

M.Jは、母の「精神的な悩み」「葛藤」に気づくことなく過ごしてしまったのです!

M.J自身の精神状態が悪い時に、かなり支えてもらったにも関わらず「なぜ、気づかなかったのか!」不思議です。母は、相当苦しかったはずです。その苦しみを「感じること」ができなかったM.Jは、ものすごく残念な人間です。

M.Jの自動車の購入やM.Jの医療費(胃腸炎での3回の入院治療・精神科の医療)にほとんど費やして、母にプレゼントをすることもできませんでした。

母は自由にお金を使うことが全くできなかったのです。

「安心させる」「喜ばせる」ということがほとんどなく、苦労ばかりさせてしまいました。

せめて最低限、M.Jが母のことを「精神状態が悪い」ことに気づき、早く「精神科」への受診を促すべきだったのです!

母には「申し訳ない思い」でいっぱいです! M.Jは、とんでもない「罪深い人間」です!

母は亡くなってしまったので、もう「償い」はできません。記事をご覧の皆さんには、このような「罪深い行為」をさせないためにも、M.Jの失敗談を伝えていくしかできません。

このように、後悔しないように「病気に対する知識」「病気を発見した後の行動力」が大切なのです!

記事をご覧いただき、どうもありがとうございました!

今後について

興味があることや、今後書いていきたい記事のテーマとして、TANOSHIKA CREATIVEの支援員さんから見える:接遇技術を向上させる方法、薬の副作用や救済制度について、精神科の特殊医療:電気療法についてがあります。

皆さんに役立つ情報を届けていければと考えています。
今後ともよろしくお願いします!

HOME

 

2 件のコメント

  • 記事を読ませていただきました。正直な気持ちはそうした優しさに気づかれたことにとてもいいことだと思いました。同じうつ病を発症しても家族が冷たければ個人の心の中では消したい存在に変わって家の断裂を意味することです。あなたはちゃんと気づかれたことがすごいです。これからも記事を楽しみにしています。

    • にわとり様 とても温かいメッセージ、どうもありがとうございます。母のことに関しては「後悔」しかありません。ですので、皆さんには「充実した人生」を送ってほしいという思いで書きました。小さなことに「気づく」ことはものすごく重要だと思います。今後は、気持ちのこもった対応・相手に寄り添った対応を心がけていきたいと思います。にわとり様、今後もよろしくお願い致します。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。