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皆さんこんにちは☺海音(みお)です。
最近は鬱期に入り、抜け出せず、「しにたい」が口癖みたいになっています。
今回は、そんな私がいまどんな気持ちで生きているのか、
そしてタイトルにも書いた「タンポポになって世界一周したい」という想いについて、正直に話してみようと思います。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
※この記事は「死」を含むセンシティブな内容を含みます。
苦手な方はここで閉じても大丈夫です。
問われて気づいた、私の中の揺れ
あーーーーーしにたい!しにたくて頭痛がする。
もう(仕事から)帰ろうかなって思って、支援員さんに今の気持ちを正直に話したところ、「死んでどうするの?何するの?死んでもこの先が続いてたらどうする?」と思わぬ質問をされ、え?….っとビックリしました。
なんだぁぁぁぁぁその質問😂
最初は「そんなの地獄じゃん」って思ったけど、実際考えてみると、「本当に死んだらどうするんだろう….」と考えてみました。
そもそもの話…
そもそも、人間が“肉体”だから苦しいんだよ。
もし“液体”とか“気体”だったら、こんなに苦しまなくても、ふっと消えて、ふっと現れて、もっと自由に生きられたのかもって思う。
肉体がきもちわるい。キモチワルイ。気持ち悪い。
重いし、縛られてる感じがする。
生まれ変わったら何になりたい???
わたしは人間じゃなくていい。
タンポポになりたい。
黄色い花を咲かせて、
ふわふわのワタゲになって風に乗って飛んでいくの。
どこに行くのか自分でも分からないのに、 風まかせで旅ができるなんて最高。
世界中を旅して、知らない土地に種を落として、そこでまた誰かに見つけてもらって、「かわいいね」って言ってもらって、またワタゲになって「ふーっ」って飛ばされる。
人間じゃできない旅ができる。
それがなんだか、とても羨ましい。
痛みの居場所
しにたいって気持ちが強くなるとき、胸がぎゅーっと痛くなる。
心が苦しいのか、体が苦しいのかさえ分からない。
その痛みの居場所が見つからなくて、抱えているだけでしんどくて、
つい「消えたい」という形になってしまう。
本当は、「苦しいよ」って誰かに抱きしめてもらいたいだけなんだと思う。
でもその言葉が出てこなくて、一人で押しつぶされてしまいそうになる。
それでもちょっとだけ残ってるもの
こんなに「もういいや」と思っているはずなのに、
なぜかまだ、朝になったら起きてしまう。
ご飯を食べて、仕事に行って、
誰かの言葉に傷ついたり、少し救われたり。
しんどいのに、どこかで「まだ何かあるのかも」と微かに思っている自分もいる。
タンポポみたいに弱いのに、案外しぶとい。
そのしぶとさが悔しいようで、でも少しだけありがたい。
結局私は、まだ小さなワタゲみたいな何かを、手放しきれずに持っている。
その小さな光が、今日の私をなんとか支えている。
それだけで、今は十分だと思う。
タンポポになって世界一周したい
それでも私の中には、まだ小さな “ワタゲ” が残っている気がします。
しにたいって思う日が続いても、体が重くて、心の居場所がどこにもなくても、それでも私は、今日もこうして息をしている。
「生きたい」と叫べるほど強くはないけれど、「生きなくてもいい」と手放してしまえるほど軽くもなれない。
そのあいだで揺れて、ゆらゆらして、タンポポの綿毛みたいに不安定で、頼りなくて、でも風に飛ばされる前に、ちゃんと “今ここに” 咲いている。
私が「タンポポになって世界一周したい」と願うのは、逃げたいからじゃなくて、苦しみの真ん中でも
「もっと自由に、もっと軽く、生きてもいい」
そう思いたいから。
そして、いま同じようにしんどさを抱えているあなたへ。
あなたの心にも、きっと小さなワタゲがある。
しぼんで見えても、誰かには見えなくても、
確かにそこに、ふわっと光るものが残っている。
だから、無理に強くならなくていいし、
今のあなたのままでいていい。
立ち止まっても、泣いても、動けなくても、それでもあなたは “咲いている”。
私もまだ旅の途中。
タンポポみたいに揺れながら、いつか風に乗れる日を信じて、
今日をそっと生きてみようと思う。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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