私はゲームに命を救われた〜ツワブキの体験談〜

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私、ツワブキは、漫画やアニメ、ゲームが大好きないわゆるオタクです。

最近では「鬼滅の刃」の大ヒットなど、漫画やアニメなどの文化に対しての世間の目が変わってきたように感じますが、一方で香川県のゲームに関する条例など、「有害である」「悪影響がある」と思われている面もあるかと思います。

確かに、度が過ぎれば依存症など、悪影響を及ぼすことは否定しません。

しかしそれは漫画やアニメ、ゲームに限らず、どんなことでも同じだと私は思うのです。

そんな風な考えを持つのには、単に漫画やアニメ、ゲームが好きだからという理由以上に、実際にゲームに命を救われた経験があることが大きいと思います。

ゲームに命を救われた? どういうこと? と思われる方もいらっしゃるでしょう。

今回の記事では、私がゲームに命を救われた体験談を書いていこうと思います。

「眠ってそのまま、目が覚めなければいいのに」

これは、ツワブキが大学生だった頃の話です。

大学生の頃の私は、実家を離れ、大学のある街で一人暮らしをしていました。

当時は自身が発達障害を持っていることに気がついていませんでした。

そのため、友人や恋人、家族、周囲との衝突が何度かあり、元々人間関係はギリギリのラインでなんとかなっていた、という感じでした。

ある時、友人との間に人間関係のトラブルが発生しました。問題に対処しきれず、私は大学に向かうことを拒否するようになり、次第に外に出ることそのものを忌避するようになりました。

友人に出くわすのが怖い。同じ街に住んでいるから、どこで出くわしてもおかしくない。だから外に出るのは怖い。外に出たくない。ずっと家にいたいーーー。

もちろん、登校拒否の引きこもりなんて親に申し訳なくて、何とかして学校にいこうと勇気を振り絞ったこともありました。しかし、尋常ではない動悸と息切れ、めまいがして、まともに授業を受けるどころか、通学バスに乗ることすら普通にはできなくなってしまっていました。

苦しい思いをして、倒れるかもしれない恐怖と戦って、会いたくない人の影に怯えながら、大学に行くことは私にはできませんでした。

申し訳なくて親には何も言えず、まともにSOSも出せず、ただただ引きこもる生活が始まったのです。

心の状態はみるみるうちに悪化していきました。

起きていると考えを巡らせてどんどん暗い気持ちになるので、結構な時間を眠って過ごしました。当時からお付き合いしていた恋人が、見捨てずに離れずにいてくれたことはとてもありがたかったですが、当時はそれすらも辛く感じていました。

自分と一緒に沈んでいく必要はないのに、付き合わせてしまっている。いっそ死んでしまったら、誰も彼も私という人間から解放されて助かるのでは、という思考が頭を占めていきます。

しかし、死ぬ方法について色々考えるものの、痛いのも苦しいのも嫌で怖いのです。結局、自殺未遂にも到達することはなく、ただ「眠ってそのまま、目が覚めなければいいのに」と口にするだけに留まりました。

それでも恋人は「それは困る」と、死なないで欲しいと、私に言いました。しかし私の思考は既に正常なそれではなく、「ああ、死体の始末とかあるものな」とぼんやり思うだけでした。

正直に言えば、この状態がずっと続いていたら、もし何かが違ったなら、私はここにいなかったような気もしています。

しかし、どん底まで落ちた精神の状態を、いつ死にに行ってもおかしくない私を、ギリギリのところで繋ぎ止め、生きていようと思わせたものがありました。

そう、ゲームです。

ルールのあるごっこ遊び

ルールのあるごっこ遊び」と喩えられるそのゲームについて、知ったのは高校生の頃でした。

テーブルトークロールプレイングゲーム、省略してTRPGと呼ばれるそのゲームは、4人から6人程度の人間が集まって楽しむテーブルゲームです。紙や鉛筆、サイコロを使いながら、ルールブックに記載されたルールに従い、人間同士の会話で進めていきます。

集まった参加者は、1人がゲームの進行を担うゲームマスターとなり、残る参加者はプレイヤーとしてゲームを遊びます。ゲームマスターは、今起きていることをプレイヤーたちに説明し、プレイヤーたちはそれに対してどんなアクションを取るかを決めてゲームマスターに宣言します。場合によっては、そのアクションが成功したかどうかを決めるため、サイコロを振ることもあります。

分かりにくいと思うので、例を挙げてみましょう。

ゲームマスターとプレイヤーA、B、CがTRPGを遊びます。

舞台はファンタジー世界。剣や魔法でモンスターと戦ったり、未知の場所を冒険したりということが出来ます。

ゲームマスターは、プレイヤーたちが操るキャラクターの前に、モンスターが1体出てきたことをプレイヤーたちに説明します。

するとプレイヤーたちは、戦って退治することに決め、キャラクターたちの行動をそれぞれ宣言していきます。

プレイヤーAの操るキャラクターは剣士なので、剣で攻撃することに決めました。

プレイヤーBの操るキャラクターは魔法使いなので、魔法で攻撃することに決めました。

プレイヤーCの操るキャラクターは僧侶、回復を担う立場なので、ひとまず待機を宣言しました。

ゲームマスターは宣言を受けて、プレイヤーAのキャラクターの行動から順番に処理することに決めました。

ゲームマスターは、プレイヤーAに対し、キャラクターの攻撃が成功したかどうかを判断するため、サイコロを振るように言います。

プレイヤーAがサイコロを振り、出た目を確認したゲームマスターは、今度はモンスターが攻撃を回避できたかどうかを判断するのにサイコロを振ります。

出目を見て、攻撃は命中したと判断したゲームマスターは、ダメージを決定するのにまたサイコロを振るようにプレイヤーAに言います。

プレイヤーAはサイコロを振り、それを元に計算してダメージはいくつになったとゲームマスターに申告します。

ゲームマスターは、それを受けて紙に書いて計算を行い、モンスターの体力を管理します。

モンスターはまだ立っているので、次はプレイヤーBのキャラクターの行動に移ります………

といった具合に、紙と鉛筆、サイコロと参加者同士の会話でお話を作っていくのが、TRPGというゲームです。

コンピュータを使って行うRPGを複数人で役割分担しながらアナログでやっている、と言っても良いでしょう。

コンピュータが進行役となる普通のRPGに比べると、人間が進行役を行っているため、決まった選択肢に囚われずに物語を進めることができ、自由度が高いのが特徴です。その分、人間が処理を行うことでミスも出てきますが、そういう時は参加者全員でフォローし合うことで楽しく遊ぶことができます。

このTRPGが、引きこもっていた私の命を繋いでくれたのです。

TRPGが私にくれたもの

TRPGは、本来は実際に集まって対面で行うゲームです。

しかし、最近はオンライン上で時間を合わせて集まって行える環境も整っています。

引きこもっていた私は、外に出る勇気も持ち合わせていないし、一緒に遊べる友人は失ってしまったので、オンライン上でTRPGをやっている人たちの仲間に入れてもらいました。

大前提として、TRPGを一人で遊ぶことはできません

そのため、遊ぶ仲間とコミュニケーションをとり、話し合いながら進めることが必要になります。私は、家に閉じこもったままでありながら、色々な人と知り合って仲間になり、関わりを持つようになりました

外に行くのが怖いのは、結局のところたった数人の人間に会いたくないがため。別に人嫌いになった訳ではないことに、改めて気づきました。

同時に、TRPGで遊ぶことは私の楽しみになり、生きるための活力になりました。

「明日また遊びたいから、まだ死ぬのは惜しいな」。

私の目は、明日、明後日、その先へと向かうようになっていきました。

次はどんなお話が作れるだろう。そう考えると、来なくていいと思っていた明日が来て欲しいと思うようになりました。

TRPGはどうしても時間がかかる遊びですが、それも当時の私にとってはとても良いところだったように思います。何故なら、長い時間ゲームに集中するため、起きている間中ずっと死ぬことばかり考えている状態から脱することが出来たからです。

当然、やることもやらずに遊んでいることに対して思うところはありましたし、これでいいはずがないとも思っていましたが、確かな事実として、死にたいという感情はだんだん起こらなくなっていったのです。

ゲームが繋ぎ留めた生

結局のところ、私の引きこもり生活はそう長くは続きませんでした。

恋人が、私に内緒で私の母と連絡を取り、母が私を連れて帰るために来てくれたからです。

母と一緒に地元に戻り、病院にかかったことをきっかけに、私は自分が障害者であることを知りますが、この話はまた別の機会があれば詳しくしたいと思います。

引きこもっていた時期の私を、生に繫ぎ留めてくれたTRPG。

時間のかかるその遊びを、私が辞めることはありませんでした。自分の作り出したキャラクターが、そのキャラクターだけの冒険をして、お話を紡いでいくことに、私はすっかり魅了されていたのです。

また、引きこもっていた当時にできた仲間の多くと、交流を持ち続けています。そうした仲間から、オンラインゲームに誘われたり、TRPGを一緒にやる誘いを受けたりと、顔も本当の名前も知らないけれど、友人関係はとても充実していると感じます。

遊ぶ上で、あまり夜遅くなりすぎないようになど、注意すべき点を伝えられることはありますが、家族も恋人も私の趣味を有害だと決めつけるようなことはしないでくれました。

つくづく、周囲の人に恵まれた人生を送っていると感じました。

時には揉め事があったり、悪意ある人に出くわして傷ついたりもするのですが、それでも恵まれています。

私はゲームに命を救われた

TRPGというゲームと、そのゲームを通じて出会った仲間たち。

その存在によって、生きる活力を貰い、どん底まで落ちていた心の状態がギリギリのところで持ち直したのは確かなことだと思っています。

もちろん、傍に居続けてくれた恋人や、私を連れて帰り適切な対処をしてくれた母や家族の存在が決して軽いものではなかったことも理解しています。

けれど、ゲームというものが私の人生に大きく関わったことは間違いないと考えています。

同じようなものが、人によって様々に存在するのではないでしょうか。

大好きなもの。のめりこめる趣味。自分を救ってくれるもの。そういったものが、誰にだって一つは存在するように私は思うのです。

もし、あなたに「これが自分に生きる活力をくれるものだ」と思えるようなものがあるのなら、どうかそれを大事にしてほしいと思います。

今まで何もなくても、これからもしあなたがとても辛い状況に陥った時、その存在があなたの命を救ってくれることもきっとあると思います。

そして、できれば、どんなものであったとしても、他人が大事そうにしているものは安易に取り上げようとしたり有害だと決めつけたりしないで欲しい、とも思います。

あなたにとってはなんでもないものでも、もしかしたらそれはその人にとってかけがえのない、大切なものかもしれないのですから。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

参考サイト

Wikipedia テーブルトークRPG

 

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