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こんにちは、金次郎です。
9月30日(金)、家族で夕食を食べていたら、テレビからニュース速報の音が。
私が、テレビ画面を見ていると「三遊亭円楽さん死去(享年72歳)」の文字が。
母が「何?何?」と聞くので、私が「円楽さんが亡くなったよ」と言うと「うそ~っ、この前『笑点』に復帰したばかりじゃん!」と驚いていました。
そして翌日10月1日(土)には、プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79歳)が亡くなりました。
実は、円楽さんが亡くなった金曜日には、父が母を連れてお墓掃除に行っていまして、自分よりも若い有名人の相次ぐ訃報を、父はどんな思いでニュースを見ていたんだろうと思っています。
三遊亭円楽さん
円楽さんは、1970年(昭和45年)大学在学中に五代目三遊亭円楽さんのカバン持ちに志願します。
そして、三遊亭に正式入門し、師匠の三遊亭円生さんの命名により「三遊亭楽太郎」を名乗ります。
1977年(昭和52年)『笑点』のレギュラーメンバーになります。
2007年(平成19年)九州にも落語文化を広げたい「博多・天神落語まつり」をプロデュース。
2010年(平成22年)六代目三遊亭円楽を襲名します。
2021年(令和03年)1月に脳梗塞で入院しますが5月には退院してリハビリを続けます。
2022年(令和04年)8月には「まだ、死んでねぇ~よ」のブラックジョークを飛ばしながら『笑点』に復帰されていました。
アントニオ猪木さん
アントニオ猪木(本名:猪木寛至「いのき かんじ」)さんは、1943年(昭和18年)神奈川県横浜市で生まれます。
5歳の時に父が亡くなり、一家の生活は苦しかったそうで、猪木さんが13歳の時に母の提案で、祖父母・兄弟と共にブラジルに渡ります。
猪木さんは、子供の頃は運動神経が鈍く友人から「どん寛(鈍感)」などと呼ばれていました。
しかしブラジル移住後に頭角を現し、陸上部に所属して砲丸投げの大会で優勝するなどしており、ブラジル遠征中だったプロレスラーの力道山(りきどうざん)の目に留まり、スカウトされ日本に帰国して新日本プロレスに所属します。
1960年(昭和35年)プロレスデビューしますが、闘いはプロレスだけに止まらず、ボクシングのヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと異種格闘技戦をしたりします。
1989年(平成元年)参議院議員にもなり1990年の湾岸戦争時には、イラク軍の人質になっていた在留日本人救出に尽力しました。
2020年(令和02年)7月26日、自身のツイッターで、難病の「心アミロイドーシス」に罹っている事を告白し闘病生活を送っていました。
※「アミロイドーシス」とは
「アミロイド」と呼ばれる蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着する病気で、その中でも
「心アミロイドーシス」は、心臓の組織に沈着し心不全や不整脈を起こします。
足腰が弱って、認知症にも罹っている父
父が認知症に罹っているのは、過去の記事でも書きました。
将来、私はどうすれば?
加齢で足腰の筋力も弱っており、散歩の途中で転んで起き上がれず、通りがかった車に家まで送ってもらった事も2回有りました。
それ以降、散歩は団地の自宅が有る一区画だけに距離を短くしていますが、つい先日は事も有ろうか自宅の車庫前で転んで身動きが出来ず、通学途中の学生に玄関まで運んでもらう事が発生しました。
身体がその様な状態なのに加えて、脳の認知機能も衰えており、母に「今日は何日?」とか「今日は何曜日?」としょっちゅう尋ねていますので、二人の訃報のニュース番組もどこまで内容を理解いているのか不明です。
更に最近は「何をしようとしたのだっけ?」と言う感じで、部屋の中をウロウロと歩きまわり、結局やりたい事が分からずソファーに座りなおしたり、また立ったりの行動を繰り返す事が多いです。
また、お風呂に中々入ろうとせず、庭いじり等しているので必然的に私がお風呂に入る時間も遅くなりそれに伴って夕食時間も後ろにズレて来ています。
その夕食時の晩酌は、医者の指示からか焼酎のお湯割り1杯に止めていますが、酔っているのかグラスをテーブルに叩きつける様に置いたりするので、私は「機嫌悪いのかな?」とビクビクしながら食べています。
最近は、飲み足りないのかミニ缶のビールですが昼食時にも飲む様になり「休肝日」も作らず毎日飲んでいます。
朝の寝起きは凄く機嫌悪そうで、私が読んでいる新聞を横取りして読み出したりします。
終わりに
三遊亭円楽さんもアントニオ猪木さんも、病死とは言え年齢は70代です。
80代の両親が、二人の訃報をどう言う思いでテレビを見ていたのかを想像してしまいます。
母は「お父さんは、テレビや新聞を見ているけど内容はほとんど理解出来てないし、理解しても直ぐ忘れちゃうしね、貴方は認知症と言うけど、物忘れが酷くなっただけだから」と言います。
私は「怒りっぽくなった事や物忘れが酷いのも認知症の症状だから」と言い、認知症の専門医である精神科受診を勧めていますが、やはり戦前生まれの両親は精神科受診は抵抗ある様で断られます。
6年前、睡眠導入剤を処方されているのにもかかわらず、私は毎日お酒を飲んでいて、主治医から「問題飲酒」と言われ入院させられました。
その病院のHPに有る「院長ご挨拶」にも「これからは、老人痴呆が大問題になる。」と書いてあります。
「朝倉記念病院」
https://uraume.jp/service/hospital
妻として「夫が認知症になってしまった」と言う事実を認めたく無い母の気持ちは理解できます。
でも、散歩中に転んで起き上がれなかった事も3回。
父自身も自分の年齢は意識しているのか、お墓掃除だけでなく去年は家の中にある私物をかなり処分しました。
多分、祖父が亡くなった年齢に近くなった事を鑑み、自分の余命について考えての行動だと思います。
私も、その時を覚悟しておかなければいけなと考えています。
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