240年も勘違い?!

苔の生えた仏像

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先日、ネットニュースでとても面白い記事を見つけました。

栃木県日光市にある寺院、輪王寺の二天門に安置されている「広目天(こうもくてん)」像がこのたび、「増長天(ぞうちょうてん)」像に改められたとのことでした。

なんとこの増長天像、240年もの間、間違った名前で認知されていたのです。

輪王寺によると、2体の尊像は、徳川家光公の没後1653年(承応2年)ごろに作られました。

もともとは四天王像と呼ばれる4体の像があり、そのうち2体は本殿奥に安置され、残りの2体(持国天・広目天)が徳川家光公の霊廟の両脇に建てられました。

四天王像とは、増長天・多聞天・持国天・広目天の4像で、それぞれに持っている物が違います。

広目天は、筆や巻物を持ち、増長天は刀や剣を持っています。

しかし、輪王寺の広目天像は、剣を持っていたため、寺院の関係者から、「本来、筆と巻物を持っているはずなのに、刀を持っている。」と指摘があり、2014年からの修復作業に合わせて調査を行いました。

その調査の際、像の空洞の首の内側に、それぞれ墨で、『広目  寛政九』(1797年)文字があり、当時の人が広目天と、増長天を書き間違えたことがわかり、この書き間違えが、240年にもわたる勘違いの原因だと推測されました。

本殿に安置されている像が、筆と巻物を持っていたこともあり、この像が本来の広目天像だと結論に至りました。

まさか、墨で書いた人も間違っていて、しかも240年後まで訂正されないとは、思いもよらなかったでしょう。

このニュースを見たときに私は、もしかしたら240年の間に気づいた人がいたりして。でも今と違い、ネットも何もない時代。確かめようがなく、言い出せる雰囲気じゃなかったのかも。などと思うと笑ってしまいました。

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