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1.サッカー・ワールドカップ特集
現在、サッカー・ワールドカップが開かれ、大いに盛り上がっています。当サイトでは2月のオリンピック期間中、特集としてオリンピックの知られざる舞台裏についてお伝えしましたが、今回はワールドカップ編。ワールドカップでも、知られざるドラマがあったのです。
2.独裁者たちのワールドカップ
ワールドカップもオリンピックと同様、政治的なものが背景にありました。
第1回ウルグアイ大会が競技面でも、財政面でも成功したのを見て、1922年以来、イタリアの権力を握っていたベニト・ムッソリーニ統領は、ワールドカップを政治的な宣伝の場として利用できると考えました。「スポーツイベントの政治利用」という、当時としては斬新なアイディアでした。
ムッソリーニは、イタリア・サッカー連盟会長のジョルジョ・ヴァッカ-ロ将軍にワールドカップ招致を厳命しました。そして、スウェーデンが立候補を辞退して、第2回大会がイタリアでの開催されることになりました。
ウルグアイが巨大スタジアムを建設して国威を発揚したのと同じように、ムッソリーニもイタリア各地に新しいスタジアムを建設しました。決勝戦が行われたローマのスタジアムは「スタディオPNF」と呼ばれました。ムッソリーニが率いる政権党「国家ファシスタ党」(Partio Nazionale Facista)の頭文字を採った命名でした。
ムッソリーニの願いの通り、イタリアはこの大会で無事に優勝し、ファシスト体制の優位を内外に宣伝することに成功しました。これを見て、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統が1936年のベルリン・オリンピックの利用を考えるようになったとも言われています。
1978年の第11回大会は、アルゼンチンの軍事政権下での開催となりました。1976年、軍部がクーデターを起こし政権を奪取、政権は2年後に迫ったワールドカップを予定通り開催することを決定します。アルゼンチンの国際的なイメージ低下を避けるためでした。
しかし、当時の財政状態を考えると、アルゼンチンにはワールドカップを開催する余裕などありませんでした。アルゼンチン国内では、まだカラーのテレビ放送は行われておらず、巨額の費用を投じてワールドカップのためにカラー中継施設を建設しても、国内ではカラーで試合の様子を見ることはできませんでした。
軍事政権内部にもワールドカップ開催に反対する勢力もありましたが、反対派の将軍は暗殺されてしまいました。そして、軍事政権はワールドカップ期間中の治安維持を名目に、反政府活動家などに対して「汚い戦争」と呼ばれる弾圧をしかけ、数万人の市民が連行されたり、行方不明となりました。
ヨーロッパには、アルゼンチン大会の開催中止やボイコットを求める動きもありましたが、大会は予定通り開催されました。
3.ワールドカップの商業主義化
1974年の第10回西ドイツ・ワールドカップ開幕直前にフランクフルトで開かれたFIFA総会で、ブラジル出身の実業家で元水泳・水球選手だったジョアン・アヴェランジェが第7代FIFA会長に選出されました。
前会長のサー・スタンリー・ラウス(イングランド)を選挙で破ったもので、ヨーロッパ以外のFIFA会長はアヴェランジェが初めてでした。彼はアジアやアフリカなど非ヨーロッパ諸国の支持を受けての当選でした。
アジアやアフリカの支持を取り付けるため、アヴェランジェは、ヨーロッパ、南米以外の大陸のワールドカップ出場枠の拡大を公約していました。その公約実現のために、従来は16チーム参加で行われていたワールドカップは1982年大会から24チームに、さらに1998年大会からは32チーム参加へと規模を広げることになるのです。
これによって、アジア、アフリカの出場枠が増やされました。
またアヴェランジェはコカ・コーラ社とスポンサー契約を結んでFIFAの財政を拡大し、この資金を使って20歳以下の選手によって行われるワールドユース大会を創設。この大会は、チュニジア、日本、オーストラリア、ナイジェリアなど、まだワールドカップ開催は不可能とされていた国々でも開催されました。
その後、FIFAは17歳以下の世界選手権も創設したり、さらに女子サッカー、フットサル、ビーチサッカーと、その管轄の範囲を広げていきます。
アヴェランジェは、その権力基盤を強固とするために、世界的な大企業とスポンサー契約を交わしていきます。コカ・コーラ、マスターカード、富士フイルム、ソニー、キャノン・・・。こうしてオリンピック同様、ワールドカップも商業化が加速していくのです。
4.現代のサッカービジネスとは?
現代のサッカービジネスは、主に三種類に分けられます。テレビ放映権料ビジネス、代理人ビジネス、マーケティングビジネスです。
現代は、各テレビ局が、FIFAやUEFA(欧州サッカー)などの団体や、各国内リーグ、各クラブにお金を払って放映権を買っているからこそ、テレビ視聴が可能です。けれども、かつてのヨーロッパクラブは、テレビに対して懐疑的な見方をしていました。試合がテレビ中継されれば、スタジアムに足を運ぶ観客が減るのではと思っていたのです
しかし、1980年代ごろから衛星放送が普及しだして、テレビが多チャンネル化しだすと、各テレビ局はコンテンツ不足に悩み、少しでも視聴者を増やそうと、多額の金額をオファーしてまでも、放映権を獲得するようになりました。
次に大きなビジネスとして代理人ビジネスがあります。代理人の存在がクローズアップされたのは、1995年の「ボスマン判決」以降のことです。
ベルギーの選手ジャック=マルク・ボスマンがUEFAとベルギー・サッカー協会に対して、「契約満了後も選手を拘束するのは、EU(欧州連合)のローマ条約に違反する」と主張し、欧州司法裁判所に提訴し、全面的に勝訴を勝ち取りました。
それまではクラブの選手の「保有権」が認められ、契約が切れて選手が移籍しようとすると、移籍先のクラブはもとのクラブに対して移籍金を支払わなければなりませんでした。
ところがボスマン判決でこれが否定されました。クラブの保有権と移籍金は認められなくなり、選手の移籍が活発化されるとともに、代理人の存在が注目を集めるようになったのです。
最後にマーケティングビジネスがあります。試合会場や選手のユニフォームなどに企業名やブランド名を入れることができれば、情報伝達手段として効果を発揮します。こうして各企業や団体、クラブを結びつける「スポーツ・マーケティング」と呼ばれる巨大ビジネスが生まれ、これによりもたらされるスポンサー料は、放映権料と並んで莫大な収入をもたらしました。
5.FIFA幹部、汚職の容疑で逮捕
2015年5月27日、FIFA幹部がスイス司法当局に汚職の容疑で逮捕されました。
FIFAによる汚職が明らかとなったのは、2010年にイギリスのサンデー・タイムズの記者が、アメリカへのワールドカップ誘致を目指すロビイストに扮し、アメリカへの投票と引き換えにして、多額の賄賂の支払いをする模様をビデオに収録し、それを紙面に掲載したことでした。支払われた賄賂の金額は約180億円に上るといわれています。
6.最後に
今後、ワールドカップは2022年大会がカタール、2026年大会がカナダ・メキシコ・アメリカの三か国共催で開かれ、この大会から参加国が現在の32か国から48か国に拡大されます。これによりサッカーのさらなる発展が期待されます。
参考
後藤健生(2010)『ワールドカップは誰のものか FIFAの戦略と政略』文藝春秋.
ジャック K.坂崎(2002)『ワールドカップ 巨大ビジネスの裏側』角川書店.
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