オリンピック特集 今こそ学ぼう! オリンピックの光と影

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1.東京オリンピックを間近に控えて

 現在、2018年冬季平昌オリンピックが開かれています。そして、2020年にはついに東京でもオリンピックが開かれます。オリンピックはスポーツをする人なら誰もが参加を夢見て、そして誰もが参加する選手を応援します。

 しかしそんなオリンピックでは、きな臭い話も聞こえています。商業主義、開催招致活動にまつわるスキャンダル、ドーピング・・・。

 今回は、東京オリンピックを間近に控えた今こそ、振り返りたいオリンピックの歴史や、その舞台裏を一緒に学んでいきましょう。

2.芸術競技もあった

 近代オリンピックの黎明期にはスポーツ競技に加えて芸術競技も行われ、優れた技能の持ち主にメダルが送られていました。芸術競技は「ムーサの五種競技」と呼ばれ、建築、文学、音楽、絵画、彫刻の5種目が、スポーツ種目の合間に行われていました。それには、古代ギリシャ人の精神を現代によみがえらせる狙いがありました。古代ギリシャ人は、オリンピックにおいて身体の能力と芸術の能力とを融合させ、それによって神々を称えていたのです。

3.オリンピックの創始者クーベルタン

 近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンはスポーツを心から愛していました。彼は、スポーツが「若者の日常において不健康な娯楽や不道徳な道楽にとってかわる」ことを強調し、また「飲酒癖をなおす薬として運動競技ほどよくきくものはない」と主張しました。さらに、「たるみ、小さく縮こまっている若者たちの心と体を、危険な運動、過剰な運動によって磨きあげていこう」とも言いました。

 クーベルタンにとって、スポーツはもはや“宗教”に近いものでした。「私にとってスポーツとは、教会、教義、礼拝をともなう宗教、ことに宗教的感覚をともなう宗教である」と彼は言いました。彼は1935年にしたスピーチでこんなことを語りました。

 古代のオリンピズム、近代のオリンピズムの基本的かつ根本的な特徴は、それが宗教であるという点だ。古代の競技者は、彫刻家が彫刻をつくるように、鍛錬によって肉体をつくることで「神々を褒めたたえた」。現代の競技者も同じようにすることで自分の国、自分の民族、自分の国旗を褒めたたえるのだ。

 彼はオリンピックの“平和性”を強調する一方で、スポーツは「間接的な戦争準備」だとか、スポーツに必要な一連のスキルは戦闘にそのまま活かせると語ったり、「若いスポーツマンは、鍛錬していない兄弟にくらべれば、戦争をたたかう準備ができているはずだ」とも述べています

4.いくつもあった「オリンピック」

 さらに言えばクーベルタンは、オリンピックへの女性の参加に反対の立場を示し、初期のオリンピックでは女性の参加は限定的なものに留まりました。彼は「オリンピックは男子のみの大会でなければならない」としばしば発言し、オリンピックに女子競技を含めるのは「実際的でないし、面白みがないし、見苦しいうえ、敢えていえば、不適当である」と言ったのです。

 この動きに不満を覚えた一部の人たは、1921年10月31日に国際女子スポーツ連盟(FSFI)を創設し、1922年から「女子オリンピック」が開かれるようになったのです。この大会は、1922年(パリ)、1926年(スウェーデンのイェーテボリ)、1930(プラハ)、1934年(ロンドン)の4大会が開催され、おもに北アメリカ、西ヨーロッパ、そして日本の女性たちが参加しました。

 またオリンピックに対抗する大会として、「労働者オリンピック」という大会も開かれるようになりました。そこでは、エリート意識の強かったオリンピックとは違い、あらゆる人種、民族、性別の人々の参加が歓迎され、主にヨーロッパの社会主義者が主催し、1925年(フランクフルト)、1931年(ウィーン)、1937年(アントワープ)で開催されました。

5.オリンピックと政治

 1952年に開催されたヘルシンキ大会でソ連は初めてオリンピックに参加、以降、オリンピックの場はさながら、資本主義陣営と共産主義陣営との代理戦争の場となりました。アメリカははじめ反対していましたが、しかし、ソ連の加入によりオリンピックの質が急激に高まったのは事実です。

 ヘルシンキ大会では、女子陸上の走り幅跳びを除くすべての種目でオリンピック記録が更新されました。また、男子陸上競技の21種目でオリンピック記録が、3種目で世界記録が達成されました。それと同時に、各国のメディアやオリンピック委員会は、メダルの国別順位を割り出しました。しかしヘルシンキ大会では、東側諸国の選手村が西側諸国の選手村と別に設置され、東西の対立が際立っていました。

 1956年メルボルン大会の参加国はエジプトは「スエズ動乱」をめぐりボイコットを決め、イラクとレバノンもそれに続きました。オランダとスペインはソ連のハンガリー侵攻に抗議して不参加を決めました。

 同時期には、中華人民共和国(中国)も中華民国(台湾)も、互いにもう一方をオリンピックの世界から追放することを望みました。そこでIOC(国際オリンピック委員会)は妥協策として、台湾政府に国名の変更を望みました。

 アパルトヘイト政策を掲げる南アフリカも、IOCには悩みました。当初はIOCは南アフリカの問題を無視していましたが、最終的に南アフリカはアパルトヘイトが廃止されるまでオリンピックに参加することはできませんでした。

6.商業化するオリンピック

 オリンピックが商業化する要因の一つとなったのは、1976年に行われた二つの大会です。当初アメリカのデンバーで行われるはずだった冬季オリンピックは、開催に反対する現地の住民投票の結果により、オーストリアのインスブルックに変更せざるを得ませんでした。

 カナダのモントリオールで行われた夏季オリンピックも、当初の予算見通しの甘さから、15億ドル(約1600億円)もの赤字を出しました。こうした損失を補填するために、オリンピックの商業化が急速に進んでいったのです。

 そして1984年に開催されたロサンゼルス大会以降、IOCはそれまでの比較的小規模なスポンサーを切り捨て、400万ドル(約4億円)、もしくはその金額に相当する物品を提供してくれる企業だけをスポンサーとしました。さらにライセンス制度を設け、提携している企業以外を除き、オリンピック関係の商品を販売できないようにしました。

 こうして多くのスポンサー資金がIOCのもとへ集まるようになりました。かつては、テレビ放映権料が収益の98%を占めていましたが、現在ではテレビ放映権料の収益が全体の半分、スポンサー契約による収益が45%、入場券の販売による収益が5%となっています。

7.最も成功した1992年バルセロナ大会

 オリンピック史上最も成功した大会は、1992年バルセロナ大会だと言われています。バルセロナは大会をきっかけに市の中心部および臨海部のかなりの部分を再開発できました。選手村は住宅地に転用され、空港も増築され、市内から地中海に流れこむ汚染された河川はきれいに整備されました。

 失業率も下がり、建設業は活況を呈し、住宅市場も上昇、バルセロナは大会閉幕後もヨーロッパの人気観光地となったのです。この大会は「バルセロナ・モデル」と呼ばれ、オリンピックに向けた都市計画の手本となりました。

 しかし、バルセロナ大会も問題はありました。招致活動中は経費が6億6700万ドル(約7000億円)と見積もっていましたが、最終的に110億ドル(約1兆円)にまで膨れ上がったのです。

8.オリンピックに経済効果はあるか

 ある経済学者が研究したところによれば、現代のオリンピックは「旅行者離れ」、「観光者離れ」に苦しめられていると、指摘しています。もともとオリンピック開催地で休暇を過ごす計画を立てていた旅行者が、現地の混雑と物価高を嫌って予定変更をしてしまい、現地の収益になっていないのです。

 こんにちのオリンピックの開催地とサッカー・ワールドカップの経済効果について研究した学者は、「16大会で、大会の開催による雇用あるいは所得への統計的に有意な効果はなかった。7大会では所得あるいは短期雇用にわずかな正の効果が見られた。また3大会では所得に負の効果が見られた」と結論づけています。

 2004年ギリシャのアテネ大会では、当初16億ドル(約1700億円)を予算として見積もっていたのが、最終的に経費は10倍の160億ドル(1兆7000億円)にまで膨れ上がってしまいました。しかも大会期間中に1日あたり10万5000人の観光客が来るという試算でしたが、実際には1万4000人ほどでした。さらに、大会後も荒廃したスタジアムの維持費に税金がかかっていくようになったのです。

9.これからのオリンピックに向けて

 現実問題として、オリンピックの開催に立候補する都市は減り続けています。IOCと開催地は経費の肥大化に苦しめられています。開催地決定までのプロセスに外部の専門家を参加させることは可能となっていますので、第三者のスポーツ経済学者、都市計画家、政治学者などからなる独立機関をつくり、招致活動で立案されている計画が立候補都市の開発戦略のためになっているか検討される余地はあります。

 またオリンピックの開催地を1カ所に固定したり、あるいは、いくつか複数の開催地を固定し、順送りに開催地を決定してはどうかという声も聞かれています。

 さらに女性は1981年までIOC委員にはなれず、現在でも100人いる委員のうち女性は22人しかおらず、ジェンダーの面からも課題はあります。

 2020年に向けて東京はどのような大会を計画しているのでしょうか。課題は山積みですが、今は静かに見守っていきましょう。

    参考

 ジェールズ・ボイコフ(2018)『オリンピック秘史 120年の覇権と利権』中島由華訳、早川書房.

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