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皆さんこんにちは。Pinkです。今回は、最近出会った「さをり織り」について書きたいと思います。
さをり織りとの出会い
私は、先月TANOSHIKA CREATIVE 東町にライターとして入る前の約1年間「就労移行支援事業所」に通所していました。
その時の企業見学で「就労継続支援B型事業所」に行ったのですが、「さをり織り」を織られている所を見学させて頂いたり、実際商品化されたバックやポーチ・ティッシュケース・等を見て、好きになりました。
というのも、以前久留米絣を扱っている会社で十数年働いた経験があり、織物に関しては多少知識があったものの、「さをり織り」を見たのは初めてで、色鮮やかで暖かみのある織物に惹かれたからです。
小型の織り機を使って、皆さんそれぞれ一生懸命織られていました。たくさんの糸を使って織られた作品は色鮮やかで、触った感触は柔らかいものでした。
さをり織りとは、下の写真の画像のような織り機を使います。
(他にも様々な種類の織り機があります)
画像引用:さをりの森「手織機SAORI」
また、このこの画像の引用サイトはオンラインショップになっていて、「さをり織り」の織り機以外にも、道具や、商品等購入出来るようになっています。
もし、気になられた方はぜひ一度見てみてください
さをり織りとは
「さをり織りいうものなのか、ネットで調べてみました。
さをり織りとは、1968年に城みさを氏が大阪で始めた手織りで、年齢や障害を問わず誰でも自由に自分を表現することを目的としています。 ひとりひとりが持つ個性や感性を織り込む、つまり「差異を織り込む」というのが語源になっています。
「さをり織り」の作品も素敵ですが、年齢や障害を問わず誰でも自由に自分を表現することを目的とされているところに、とても感銘を受けました。
さをり織りが出来るまで
創始者の城みさをさんの話なのですが、既成概念に捉われず手織りをしていた時に、違和感をもったのは帯を織り始めた時だったそうです。
帯に捉われがあり、帯は帯でなければいけなくて、自分の好きなように自由に織るわけにはいかなかったのです。
どうすれば手織りの味が出せるかと悩んでいた時に、機屋のご主人から自分が模様だと思っていた箇所を見て「この帯は傷ものですよ」と言われたそうです。
普通だったら傷ものといわれたら、あまり気分が良くないと思いませんか?
ところがみさをさんは、逆に傷ものをつくろう、そうすれば手織りらしくなると閃いたのです。逆転の発想ですね。
久留米絣も、当時12〜3歳だった井上伝(いのうえでん、1788〜1869年)さんが、色褪せた古着の白い斑点模様に着目して、布を解いて模様の秘密を探った結果、糸を括って藍で染め、織り上げて模様を生み出すことを考案しています。
参考サイト:久留米かすり 久留米絣とは
織物にしても、他の物にしても出来上がるまでの・考案されるまでの過程はとても興味深いと思いました。
障害を持つ人の働く場所として
最初に書いた「就労継続支援B型事業所」の人達も、一生懸命に織っている「さをり織り」が、形になっていくのがとても楽しそうでした。その「就労継続支援B型事業所」では、実際に商品を店舗に置いて頂いたり、イベントに参加して販売をされています。
また、別の「就労継続支援B型事業所」では、事業所内に店舗が併設してあり販売をされていました。
このように障害を持った人のお仕事につながることが出来るのは、素晴らしいことではないでしょうか?
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