24時間テレビと障害者の私の「感動ポルノ」

24時間テレビ

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24時間テレビについて、友達と話していた。

友達は

「私はあの障害者を使った御涙頂戴の感じが好きじゃない」

と言っていた。

一方で、もう1人の友達は

「そんなこと言うなよ、あれで救われている障害のある方もいるんだよ」

と言った。

次に「あなたはどう思う?」と聞かれた私。
私は…何も答えることができなかった。

友達2人のそれぞれの意見、どちらにも賛成でどちらにも反対の気がしたからだ。

健常者だった私が観る24時間テレビ

子どもの頃は24時間テレビを毎年観ていた。

私の子ども時代は今よりSNSが発達していなくて、みんなにとっての大きな娯楽はテレビだった。

24時間テレビは「観たい!」と思って観ているというより、なんとなくテレビを垂れ流してなんとなく観る…と言うのが我が家の毎年の恒例になっていた。

障害者じゃなかったあの頃…つまり自分が障害者だって主治医に告げられる前の私。
つまり実質健常者だった私。

あの時私は24時間テレビをどう観ていたんだろうか。

少し思い出してみる。

私はどこかで

「ああ、障害者は可哀想なんだなあ、守ってあげないとダメなのかなあ」

と思っていた。と思う。

そして同時に

障害者=珍しい人、偉い人

という考えを24時間テレビで植え付けられた気がしている。

 

でももう一つ、子どもながらに思ったことがあった。

それは…

「障害のある人は、ずるい」

という感情だった。

24時間テレビの中で、憧れの芸能人が障害者の子に寄り添って一緒に何かに挑戦する。

私が手を伸ばしても会えないであろう、触れることさえ、喋ることさえ、きっと一生できないであろう、そんな憧れの芸能人に優しくされている同い年くらいの障害のある子ども。

純粋に「羨ましい、ずるい」と思った。

でもその感情を持つ私はとても汚い人間のような気がして、同時に「障害者の方はいつも頑張っているんだから、こんなこと思っては絶対だめだ」と自分に言い聞かせていた。

翌日、学校で特別支援学級の子とすれ違うと、私は彼らをもうどう見たらいいのか、どう接したらいいのか、ますますわからなくなっていた。

障害者になった私が観る24時間テレビ

24時間テレビは今でもやっている。

SNSがここまで発達した今。
私は自分からテレビのスイッチをつけてテレビを観ることは、ほぼなくなった。

24時間テレビも自ずと観なくなった。

今年も去年もずっと観ていない。

私が子どもの頃から、世界も変わったけれど、自分自身の肩書きも大きく変わった。

私は健常者だったのに、主治医から精神障害を告げられて「障害者」となったのだった。

障害者となった私は、24時間テレビに子どもの頃と同じく、複雑な気持ちを抱いている。

24時間テレビに出演する障害者は、ほとんどが身体障害者だ。
精神障害者が出演することは少ないみたい。

この記事では「精神障害者だと身体障害のある人に比べ、視聴者に対するインパクトが少ないからではないか」と書かれていた。

発達障害だとどうだろうか? ADHDの当事者は、著しく注意力が欠如しており、一般的に整理整頓や片付けが苦手で、定型発達者(発達障害ではない人)の何倍もの労力が必要である。ならば、克服企画として、自分の汚部屋を片付けることにチャレンジしたら……?

「ものすごく苦労して片付け、息を切らして掃除機をかけても、やっと一般家庭の“ちょっときれいな状態”になるくらいだと思います」(ADHDのCさん)

 このように、“見えない障害”の当事者が『24時間テレビ』で障害を克服する企画に挑戦したとしても、足に障害のある少年少女が登山をする映像と比べると、インパクトの弱いものになってしまうだろう。

引用元:『24時間テレビ』、精神障害や発達障害はなぜ登場しない? “見えない障害”の当事者に聞く

このような理由かどうか真実はわからないけれど、24時間テレビに精神障害者が起用されない理由として上記の引用のように「精神障害者はインパクトがないから」というものはあながち間違っていないのかな?とも思う。

真実はなんにせよ、精神障害者がほとんど出ない24時間テレビなので、たとえ自分が障害者になったとしても、24時間テレビを観て持つ感想は、健常者だった子どもの頃とあまり変わらない。

同じ「障害者」という肩書きであっても、私は精神障害者であって、身体障害者の気持ちはわからないからだ。

重ねて言うと、最近の24時間テレビをほとんど観ていないので(観ても数年前)今現在の24時間テレビがどうなっているかはわからないけれども、最後に観た数年前のその時だって子どもの頃と持った感想は変わらなかった。

24時間テレビを観終わった後、そこにいるのはやっぱり

「身体障害者の方をどう見たら、どう話しかけたらいいかわからない」

ともがいている自分だ。

24時間テレビに対する批判

24時間テレビに対しては色々な意見があるようだ。

2021年の調査によると、24時間テレビを「終了してほしい」と答えた人は45%にも上ったそうだ。

最も多かったのは「終了してほしい」という回答。“番組内容のマンネリ化”を例にあげる声や、“出演者のギャラ”を疑問視する声も。出演料はこれまで何度もマスコミに報じられているだけに、強い不信感があるようです。

引用元:『24時間テレビ』は「終了してほしい」が45%! 「特に今年はひどかった」「募金する機会を作るのは良いこと」……コメントは紛糾【サイゾーウーマン世論調査】(2021/09/01 12:31)

一方で37%もの人が「24時間テレビを存続してほしい」と答えている。
理由としては「チャリティー募金で救われている人もいるから」「勇気を貰えるから」という意見があるそうだ。

このデータからも、24時間テレビは、まさしく賛否両論といったところだろう。

参照元:『24時間テレビ』は「終了してほしい」が45%! 「特に今年はひどかった」「募金する機会を作るのは良いこと」……コメントは紛糾【サイゾーウーマン世論調査】(2021/09/01 12:31)

感動ポルノ

24時間テレビへの批判内容はいくつかあるが、そのうちでも「感動ポルノ」というものが大きな批判の的となっていると思う。

しかしそもそも「感動ポルノ」とはどういうものなのか。

「感動ポルノ」という言葉を初めて使ったのは、オーストラリアのコメディアン、ジャーナリストのステラ・ヤングさんだ。
ステラさん自身、障害を持っている。
先天性の骨形成不全症を持っていて、車椅子を使っている。

感動ポルノとは、障害者を「モノ」として見なし、使い、健常者の感動を煽ることを指す。

参照元:感動ポルノって何?ステラ・ヤングについても調べてみました。 – リバティ

まずはこの動画を観てほしい。
英語の演説だけれども、日本語字幕も観れるので、よかったら最後まで観てください。

ステラさんの演説を一部、引用させてもらう。

手が無い 小さな女の子が、口にペンをくわえて 絵を描く姿
カーボン・ファイバーの義肢で走る子供
こんなイメージが実に沢山あります
私たちは これを 「感動ポルノ」と名付けました
(笑)
あえて「ポルノ」と言っているのは
ある特定の人たちを モノ扱いして
他の人が得するようになっているからです
ですから この場合 障害者を
健常者のために利用しているのです
これらのイメージの目的は
皆さんを感動させ やる気を起こさせることです
ですから 皆さんがこれを見ると
「自分の人生は最悪だけど下には下がいる彼らよりはマシだ」と

引用元:https://www.youtube.com/watch?v=8K9Gg164Bsw&t=112s

この「障害者を「モノ」として見なし、使い、健常者の感動を煽ること」を感動ポルノというのであれば、たしかに24時間テレビでは、感動ポルノが使われているように思う。

感動ポルノは私もしている

このように感動ポルノなどが原因で批判をされている24時間テレビ。

でも私は24時間テレビをどうしても批判できない。

なぜか。

実は私だって「感動ポルノ」をしているから。

 

私は文章を使ってお給料を貰っている。

文章を書くことで月給を貰い、生活をしている。

就労継続支援A型事業所の運営するメディアで、自分の障害について書き、みんなに読んでもらっている。

私は主にエッセイを書いているが、私はみんなに喜んで欲しくて、健常者の目を引きたくて、いわゆる「感動ポルノ」を使って文章を書いてしまっていると思う。

ここでこう書いたら泣いてくれるだろう、感動してくれるだろう、障害者なのにすごいと思われるだろう。

恥ずかしいが、そういう意図で書いたものがたくさんある。

だから私は「感動ポルノ」と批判される24時間テレビを批判できない。
私自身が「感動ポルノ」をしている者なのだから。

私はなぜ文章を書くときに「感動ポルノ」のような書き方を止められないのだろうか。

分析してみると、やはり「健常者に認められたい」という感情があるように思えた。

それは、私が生きていく道は、この世界に居場所を作るには、言い方はよくないけれど、自分の障害を利用して人々を感動させるしかない、というある種の自信のなさから来るものだと思う。

でも、私はこの記事を書いて、すごく色々考え込んでしまった。

特に、ステラ・ヤングさんの演説を聴いて思った。

自分はもしかしたら罪なことをしてしまっているのかもしれない、と。

自分の障害を利用して、みんなに感動を与える。

この自分の文章のスタンスは、自分はいいかもしれない、でもひいては障害者全体のイメージを「感動の対象」としてしまっているのではないか、と。

深く反省した。

この記事を書いて24時間テレビに思うこと

この記事を書いた今。24時間テレビに対して思うこと。

それは

「やっぱり感動ポルノは止めてほしい」

というものだ。

でもそれは決して24時間テレビを批判しているわけではなくて。

私自身への批判も含まれている。

 

子どもの頃、24時間テレビを毎年観て育った私。
でも、私は未だに、自分の障害以外の人にどう接していいかわからない人間だ。
車椅子に乗っている人、知的障害がある人…どう接していいかわからない。
彼ら、彼女の前に行くとオロオロする。

「一生懸命頑張っている人」
「すごい人」

その気持ちが強い。
どう話しかけたらいいかもわからない。
どう向き合っていいかもわからない。

でも言いにくいけれども、この結果が24時間テレビが私に残したすべてだと思う。


「感動ポルノ」を散々してきた私が言うことではないかもしれない。

でも、24時間テレビには「感動ポルノを止めてほしいな」と思う。
ごめんなさい。
でも、そう思ってしまう。
これは一障害者として言っているわけではない。
または、身体障害者じゃない人間として言っているのでもなく。

1人の人間として。

24時間テレビには感動ポルノを止めてほしいと思う。

私も止めるから。
一緒に止めてみませんか。

と言いたい。

※この記事は私の一意見です。
この記事をきっかけに皆さんも色々考えてくださるとそれだけで嬉しいです。

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4 件のコメント

  • <あえて「ポルノ」と言っているのは、ある特定の人たちを モノ扱いして他の人が得するようになっているからです。ですから この場合 障害者を健常者のために利用している>ということなので、障がい者自身が得をする部分は、気にする必要はないのではないでしょうか。

    • 堀田さん、コメントありがとうございます。

      確かにそのようなご意見もあるな、と思わされました。
      次の記事からはもっと多面的な部分を考えて書いていきたいと思います。

      貴重なご意見ありがとうございました。

  • 記事を読ませていただきました。
    貴女らしい文章と感想が書かれていましたね
    。いろいろな意見がありますが、障害者や他のところに使われているのが募金なのです。
    人に支え支えられていることも確かなことです。
    また、記事を楽しみにしています。

    • パグさん、コメントありがとうございます。

      私も私らしい文章が書けてよかったと思っています。
      たしかに、24時間テレビは募金などもされていて障害者の方や他の人に使われているという事実もありますね。

      次の記事も頑張って書きます。

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