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はじめに
『ツレがうつになりまして。』の原作者である漫画家の細川貂々さんは、「非定型発達」と診断された。それは「発達障害」ではないが、日常さまざまな生きづらさを抱える「グレーゾーン」に当てはまる人のことである。
「対人関係療法」の第一人者で精神科医の水島広子とともに「非定型発達」を数多の臨床経験をもとに解説していったのが以下の書籍である。
非定型発達とは?
以下のイラストをご覧になるとわかりやすいと思う。
どのような特徴があるのか、以下の文を読まれるとわかりやすいと思う。
非定型から定型を見ると、ぎょっとする人たちなんですよね。いわゆる『要領がいい』や『空気を読む』というのは、必要なときに嘘をついたりルールを破ったり、計算して動いたりするということです。非定型の人たちにとっては、その『計算』がわからないのです。
読み終わっての感想
私はこの本を読んでほぼ自分に当てはまることに愕然とした。
私は自分と発達障害は全く関係ないことだと思っていた。
しかし、今、就労継続支援A型で働いてみて、発達障害を抱えている方達を目の当たりにし、なんか自分と性格、ものの考え方が似ているなーと感じた。
人生で初めてそのような人たちと出会った気がする。
当初は本書を自分の失敗をなんでもかんでも発達障害のせいにしようとしている本だと勝手に決めつけて勘違いしていた。
しっかりと専門家の診断を受けたわけでもない、自分での判断だが、今までの私の生きづらさの正体がわかったような気がした。
どんなに私が普通を装っても、なんか集団からはみ出してしまう。普通になれないのには理由があったのだ。
共感しにくい性格
コミュニケーションにおいて重要なのは共感力である。
私は共感しにくい性格である。共感よりも、それが事実なのかどうかの方が気になってしまう。
特に女性同士であると共感が得られないコミュニケーションをしてしまい、相手を怒らせてしまうことがある。
しかし、私にはなぜこの人が怒っているのかわからない。
あとからわかるときもある。
私も良かれと思って共感を得ようと言葉を発するがことごとく共感されない。むしろ、馬鹿にされるか、否定される経験ばかりする。だから、全く話さなくなったこともある。
私の通信簿には無口な子どもとよく書かれていた。
人の評価よりも自分の満足感を優先してしまう。
私は掃除をする時、人がみえていないところも隅々まで掃除しないと気が済まない性格である。しかし、人が見えていないところは当然、人が見ていないので、そこまで仕事しているのに仕事しているどころかサボっていると思われることがあった。
そのように疑う人の前では、その人の前で当てつけのように仕事していた。なんで、そんな訳のわからないアピールをしなくてはならないのか。他の仕事がちっとも進まない。ストレスを感じる。
自分では真面目に一生懸命にやっているのに全然人から評価されない経験なんてざらにある。
あんなに頑張ったのにこんなに評価されないんだという記憶、体験ばかりが蓄積し、苦しくなることがある。
一方、相手に響くように手柄をアピールするのが上手い人がいるのだ。それはそれで自己プロモーション能力に才能があると言わざる得ない。
ただ、この個性により、得したというかメリットもある。人に合わせられない性格なので、幼い頃、万引きに誘われても咄嗟に「嫌だ」と言ってしまったことがある。
普通の人なら仲間はずれにされるのが怖くて周りに流されてしまうところを嘘をついたり、誤魔化したりするのがうまくできないので、ついつい本当のことを言ってしまう。おかげで悪い道に進むことはなかった。そういう意味では良かったと思う。
私の場合、人に合わせて不自由な思いをするくらいなら、孤独でもいいから自由をとってしまう。
「非定型は生まれつき遺伝する」
「非定型は生まれつき遺伝する」ということは、私の両親、そして兄は全員非定型な感じがする。家族全員、非定型なので、これが当たり前でなんか周りと違っているなとは薄々感じていてもいまいち何がおかしいのか具体的にわからなかった。
特に母も非定型なのが決定的だ。母には女性ならではの感性がなんかないなーと思ったことがある。
誤解しないで欲しいのは私は両親にちゃんと愛情を持って育てられ、ひどい虐待を受けたことはない。平々凡々に育って生きてきた。
だからこそ、周囲に溶け込めない自分の特性を環境のせいだと言い訳にできないので、すごく自分自身を責めて生きてきた。
不器用にしか生きられないのだ。
マジョリティの生きづらさ
ただ、定型発達と言われるマジョリティの方々も生きづらさを感じているのも確かである。彼ら、彼女たちは周りに合わせるのが上手い。時には嘘をついてルールを破ってでも周りに溶け込もうとしている。
私から見ているとみんなで「おしくらまんじゅう」をしているように思える。そして、本来の目的とだんだんとずれている道にそのまま進もうとするから、ゾッとする。
空気を読めない私が「それはこっちでしょう」と本来の目的に戻すようなことを言うと「ああ誰かが言ってくれた」ってホッとした顔をするのだ。
「いやいや、あなた方、それわかっているならなんでみんな黙っているの?」って思うことがしょっちゅうある。
そして、後出しジャンケンのように「自分もそう思っていた」と言う人がいる。
人が切り開いた道を平気で後から続こうとするずるい人間がいるのも確かである。
しかし、ホッとするならまだいいが、「そんな空気の読めないことを言っていないで、あなたもこのおしくらまんじゅうに参加しなさいよ」と言ってくる人がいる。
参加しないと圧倒的に排除されることになる。それがいじめへとつながるのだ。
なんでそんなマイノリティなことばかりするんですかって人から言われたことがある。気がついたら少数派になっているのだから仕方がない。好きでやっているわけではない。できないのだ。
これが自分の個性だと子どもの頃から思っているので直しようがない。
私の性格もそれも個性だと受け入れてくれる環境が幼いころはあった。しかし、成長するにつれてそれが許されないことが多くなる。
ダイバーシティとか、多様性の時代とかいうけれど、コンピューターでなんでも管理できる社会で個性を活かして生きようとするのはかなりの至難の業かもしれない。
終わりに
現在、コロナウィルスが世界中に蔓延っている。このような予測もつかない事態が訪れる世界である。この先の未来に天変地異が起こり、生態系が根底から変わる出来事が起こるかもしれない。そのときにいわゆる非定型発達の人間の方が生き残りやすい環境に変化しているかもしれない。そのように人類の生存戦略の中に多様性があると思う。
なーんて、SF小説の読み過ぎかなと思った。
参考サイト
「非定型発達」って?「フツー」に苦しめられた漫画家・細川貂々さんと精神科医が伝えたいこと
空気が読めなくても それでいい。: 非定型発達のトリセツ /細川 貂々 ・水島 広子/創元社
noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。
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