父を看取る〜ガン告知について〜

ガン告知

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はじめに

平成も中頃を過ぎたとき、私は父を肝臓ガンで亡くしましたそのときの出来事を書いてみたいと思います。

運転免許証の写真

父が運転免許証の更新のために写真屋さんで写真を撮ってきました。大きく引き伸ばされた写真までもらってきたので、父ちゃん、これ葬式の写真、ほら、あれあれ、ああ遺影にちょうどいいやつだね」なんて話して笑っていました写真に映っていた父はお腹がぽっこりと出ていましたが、肌つやが良く、いかにも働き者な逞しい腕が腕まくりした袖からのぞいていました。そして、少し照れた顔で微笑んでいました。

そのわずか2、3年後、お葬式で喪服を着た私は、黒い縁取りされたあのときの写真を呆然と見ながら、「父ちゃん、笑えないわ・・・」と心の中でつぶやくのでした

C型肝炎によるガン

父が体調が悪いと病院に行ったとき、私たち家族が見せられたレントゲン写真は衝撃的でした。肝臓にできた直径10センチくらいのガンが門脈という太い血管を圧迫している写真でした。手術はできる状態ではないと聞かされました。それがいわゆるガン宣告というものでした。「余命は、いつまでなんですか?」「ステージはどこまで進んでいるのですか?」と主治医に尋ねましたが頑なに教えてもらえませんでした。のちに、セカンドオピニオンでガンセンターに行ったとき、そこで余命1ヶ月と言われました。

ガン告知

病院側が親戚に連絡してくださいと言ってきたので、父の兄弟たちに電話で父の病気のことを連絡しました。父の兄弟たちは、かわいそうだから父にガン告知はしないでほしいと言いました。それで父には告知しないことにしました。今でも、告知しなかったことがよかったのかわかりません。

私は父に度々「俺はガンか?」と聞かれましたが、私は「ガンのはずないじゃん。長生きしないと年金もらえないよ。」と言って笑ってごまかしました。父は私の嘘を信じているようでした。というよりも、私の嘘を信じていたいと強く願っているようにも見えました。父は59歳で亡くなることになり、結局、年金は一円ももらえずじまいでした。

今、思えば病院側の都合と親戚の意向に振り回されて、私たちの家族の気持ちや、父の尊厳を尊重した行動が取れなかったと後悔していますこれは推測ですが、病院は以前に患者の親族に報告しなかったことで何か揉め事があったんだろうと思いました。だから、親族に連絡してくださいと言ったのだろうと思います。

その当時も、病院を変えようと思いましたが、父本人が主治医を気に入っている様子でだったので結局、転院することはやめました。

闘病

私は、ガンについての書籍を読み漁り、インターネットで治療法を検索し、セカンドオピニオンなどして、父が助かる方法を懸命に探しました。しかし、インターネットの情報はどれも怪しい民間療法しか見つかりません。セカンドオピニオンでは肝臓移植という方法もあるが、父の場合、それもできないほど手遅れな状態だと言われました。

体中が痛いと父が言うので母と交代で体をさすりました。ガンが進行し、次第に腹水が溜まり、黄疸がひどくなっていく父を傍らで見ているのが辛かったです。

最後の言葉

俺はどうしたらいいんだ」が最後の言葉でした。ドラマのような家族への感謝の言葉や、愛情を表す言葉ではありませんでしたが、家族のために生きることを、最後まで諦めないがゆえに発せられた言葉だったと思います。父の生き様を感じました。

死を迎える準備をしよう

平成のおよそ30年の間だけでも、医者と患者の関係性は大きく変わりました。特に「ガン告知」は、「医師の裁量の範囲」から「義務」へと変化しました。

インフォームドコンセントが重視されるようになり、「患者の知る権利」を認めた判決が出るようになりました。

インフォームドコンセントとは

医療行為を受ける前に、医師および看護師から医療行為について、わかりやすく十分な説明を受け、それに対して患者さんは疑問があれば解消し、内容について十分納得した上で、その医療行為に同意することです。すべての医療行為について必要な手続きです。もともとは米国で生まれた言葉で、“十分な説明と同意”と訳される場合もあります。

引用:国立がん研究センター「がん情報サービス」の用語集

 

最高裁は2002年、「告知を検討することは医師の義務」と判断を変える。1990年に末期がんで余命1年と診断された男性に対し、本人とその家族に告知をしなかった医師を、妻と子供が「告知をされていればより多くの時間を男性と過ごせた」と訴えた裁判だった。秋田地裁は請求を棄却したが、仙台高裁は医師らに計120万円の慰謝料の支払いを命じた。

 上告した医師らに対し、最高裁は「患者の家族などのうち、連絡が容易なものに対しては接触し、告知の適否を検討、適当であると判断できた場合、説明する義務を負う」として上告を棄却。「治療が遅れた」という側面からではなく、純粋に「患者の知る権利」そのものを認めた重要な判決だった。

引用:「医師の裁量の範囲」から「義務」へ【平成の医療史30年◆がん告知編】

日本では、現在でも、本人に告知するか、告知しないかが論議されがちですが、本人及びその家族がどのような形で人生の幕を下ろしたいのか普段から話し合うことでその有無も自然と決められることかもしれません。

私たち家族のようにある日突然、死を宣告され、狼狽えて結局周りに流されるしかなかったという状況は最善ではありません。後悔することもあります。

ガン告知」はとても難しい問題ですが、誰もが避けられない問題でもありますこの記事を読んで、いま一度、大切な家族の死について考えてみるきっかけになればいいと思います。

 

参考サイト

患者本人に対する癌告知の適否と家族への説明義務 最高裁(三小)平成14年9月24日判決

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