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前回の記事は病気の発病と初期症状まで書きました。
発病したことで、それまでしていた仕事には就けないだけでなく、仕事の選択肢が限られたことを意味していたのです。
病気になってから・・・
その頃の私は、ハローワークの職業訓練の内容を見て応募していました。
受かった時は短期でも3ヵ月間でも、ありがたかったのです。
監視・干渉してくる家族のいない家にいなくてもいい、逃れられるという思いでした。
就職には繋がりませんでしたが、その間は資格を取るという目標ができました。
職業訓練も続けて受けれたのか?どうかは忘れました。
仕事探しはいつでも・・・
友人に誘われて、連れていかれたのが友人の職場だったのです。それでも、迷いはありましたが、仕事に就くことにしました。しかし、結果的には長く勤めることはできませんでした。
事務系でこれならと思って応募するのですが、届くのは不採用の通知を受け取りました。持つ、運ぶ、抱えるの日常生活に支障があると、採用してくれるところはなかったのです。
それからの体に変化は・・・
関節リウマチは、初期の頃は痛みがあちこち散らばっていたのですが、いつの間にか痛む場所が固定されていました。
手の状態も、腫れやむくみで動かしづらかったり、手の感覚に違和感があると気分も落ち込みました。
そのうちに、手首や指に「うん?」ということが起きてきたのです。
時間をかけて変形してきた骨が、わかるようになった時に、厄介で進行していく病気だ!と知らされることになったのです。
過去に書いた記事です。
この時も、家族から受けるストレスとてもきつかったのです。
私が少しずつ悩ませることが・・・
手首を曲げる角度が少し狭く感じた時の違和感を、いつだったか忘れました。
病気は少しずつ私の関節を壊して、ここまできたことをどう受けとめたのか?その時の気持ちは?どこかに置いてきたのだと思います。
時間がたつにつれて、私は病気が進んでいたことに気づいた時には、見過ごしていることが多かったのです。
また、更年期障害にうつ病まで私を苦しめる!なんて思いもよりませんでした。
更年期障害も私には辛いことばかりで、まいりました。
それよりも、うつ病になった原因はストレスと当時に関わった人によって、起こされた結果といってもいいのかもしれません。
過去の記事を貼り付けました。
それからの私は・・・
関節リウマチ、更年期障害、うつ病の3つを抱えて、自分がわからなくなるだけでなく、
人との接し方もわからなくなっていました。
誰かと話をする、子どもと話をすることもできなくなり、田舎にいることも息苦しさを覚えたのです。
誰も知らない所に行くと、それまでの息苦しさが嘘のようになくなるけど、月日がたつとそこも息苦しくなってきました。
どこにいても「心の静寂」はえられませんでした。
まとめ
社会人になった時にこんなことが起きる!なんて予想もつきませんでした。
こうして自分史を書いていても、抜け落ちたところあるのは辛くて思い出すことも嫌で、
当時の気持ちで「イライラ・なんで」ということを思い出すこともなくなりました。
生きていくうえで、忘れることも多くなったかわりに、人とどう関わってきていたのかも忘れています。
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