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うつ病viviの告白「さよなら友よ」①
はじめに
現在viviには「友」と呼べる人はいません。
どうしていないのでしょうか?
それは必要ないと思っているから。
なんだか疲れてしまったからです。
いろんなことで病んでしまっている今は特に敬遠しています。
もう傷つけたくないし傷つきたくもない。
もうそんな涙は流したくない。
だから独りでいたい。独りがいい。もう独りでいることに慣れてしまったから。
そっとしておいてほしい。
だけど、そう思っていても因果なもので友になりそうな人が現れます。
だけど最後は去っていく。
なぜならつい距離を置いてしまうし追うこともしないから。
「去る者は追わず来る者は拒まず」
しかしviviにとって今は「去る者は追わず来る者も拒む」これでいいのです。
どうかお願いだからviviに近づかないでください。
もう友はつくりたくはないのです。ごめんなさい。
どうしてこんなになってしまったのでしょうか?
頑なに拒み続ける理由とはなんでしょうか?
自分でもよくわからない心の中を覗いてみようと思います。
友達って?
そもそも友達ってなんでしょうか?
友達の定義とは・・これは人それぞれ。
辞書で調べてみると「互いに心を許しあって対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人」のこと言うらしいです。
そうなってくると思い当たる人たちがいました。
だけど心を許しあったりしたことはありません。
あくまで一緒に遊んだりしゃべったりの仲。
ただそれだけ・・。それだけの付き合いです。
こんな付き合いでも「友」と呼ぶのでしょうか?
そんな友ならいました。今は付き合いはありません。
また心を許そうとした友もいました。
だけど止めました。付き合いも止めました。
付き合っていない理由は、自分から身を引いたり自然と疎遠になったり。
viviにとって「友らしい」人は、長く続かないもの続けられないもの。
なぜなら親しいのはその時だけだからです。でもその友と遊んでいた時は楽しかった。
内心この楽しさがずっと続いてくれたらとも思っていました。
だけど運命には逆らえません。運命はvviに心を許せる永遠の友をつくらせてはくれませんでした。
そしていつの日かviviにとって友とは「一時の楽しさを分かち合うだけの人」
だから心を許す必要はないし、その関係を長く続けようともしない。
だけど今となって思うことがあります。
一時の間でも楽しい日々を過ごさせてくれた友らしい友に「ありがとう」と「さよなら」と言いたい。
そして一瞬でも長く続けようと思った友らしい友に言えなかった「ありがとう」と「さよなら」を言いたい。~つづく~
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こんなこというと少し気分が落ち込むかもしれません。いろんなところで人と出会い別れがあるけどそれも人生だと思っています。深い繋がりでなく浅くてもいいと思います。私にとってあえないひとがたくさんいますがその中の一部の人にあえたらいいなあという友達はいます。友達が貴女のこと大事と思う人にあえたらいいですね。まだ人生はこれからです。頑張って生きていきましょう