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「生きづらく働きづらいと感じていたあの頃」うつ病viviの追憶
はじめに
「生きづらさ」や「働きづらさ」あなたは感じたことありますか?
viviは今こそ恵まれて贅沢な環境にいますが過去にありました。
とても辛かった経験です。
わかってもらえない、理解されない。
または勘違いをされて歯がゆく悲しくなっていたあの頃・・。
生きづらさや働きづらさとは、とても「デリケートな問題」だと思います。
これを語るには相当な「勇気」がいります。
なぜなら、それぞれの考えや思いを否定することになりかねないからです。
しかし、この言葉をよく見たり聞いたりすることが増えてきた今日この頃。
誰かが書かなければならない。
書いて伝えなければならない。
あくまでもviviの場合のことですが、この問題に居ても立っても居られなくなってしまったので、勇気をだしてペンをとることにしました。
そして、今、まさに辛くて困っているあなたやこの問題に関わっているあなたに伝えたいと思います。
生きづらさとは
生きづらいと恐らく初めて感じたのは、まだ幼かった学生時代にまでさかのぼります。
当時はまだこのような言葉はありませんでした。
ですから、これは「今思えば」という結果論です。
あれは中学一年生の頃、反抗期で厳格な父親に何かで叱られていた時、
「お前は何を考えて生きているのかわからない」と言われました。
そう言われたいきさつは、viviは何度となく叱られ父親に何をどう言われ、どう怒鳴られても、睨み返すだけで口を開かなかったからです。
打てば返ってくる姉とくらべ、viviはただただ、だんまりを続け言葉のキャッチボールを避けて通っていました。
「話したところで、どうせわかってはもらえない」
「この人に何をどう言おうとも、結果は変わらない」
「この人にはわかってもらいたくない」
「こう言えば、こう返ってくる。結末が見えている」
「その結末に傷つくのは嫌」
「どうして、こうなるんだろう?」
「生きていくのが辛い。生きていくのが、きつい」
他人ならともかく、身近にいる父親に言われた一言。
これを背負って生きていくのか・・と、その時思いました。
全ては勘違いされることから始まった
すっかり、人を信じられなくなり疑いの目でしか見れなくなっていました。
生きていくために覚えた自己防衛の方法です。
何をするにも、全てのことの「結末」が見えていました。
高校生になったある日のこと。入学して間もない時。
昼食にパンを買ってきました。でも食べたくなくなって、級友にあげました。
そして昼休みが終わり、授業を行うため担任が教室に入ってきました。
すると、担任が怒り始めました。何を怒っているのかと担任の方を見てみると、級友にあげたパンの袋が教壇の上に置いたままになっていました。
viviは、今起きていることが面倒くさいと思い、立ち上がり黙って担任からその袋を取り上げゴミ箱に捨てて席に戻りました。
そうです。viviがその袋を置きっぱなしにしたと思われたのです。
その時に、「自分ではない」と言えばよかったのかもしれません。
だけど、viviは言わなかった・・何も。
なぜなら、言っても信じてはもらえない、この人に言っても無駄だと思ったからです。
それに、袋を取り上げてゴミ箱に捨てたとき、遠くで「クスクス」と笑う声がきこえました。この場合、聞こえたような気がしたと言った方がよいのでしょうか・・。
その瞬間「はめられた」と思いました。だけど、言い返すことはしません。
なぜなら、同時に結末も見えていたからです。それは更に面倒くさいことになるということ。そんな面倒くさくなる出来事は避けたかった。自分は悪者でかまわない。
勘違いされているけど、そんなことはどうでもいい。
歯がゆいけど、早くこの空気を拭い去りたい。
心の中で・・
波乱万丈なスタートを切ってしまった高校生活。
だけど、いいこともありました。
それは、後々役立つ社会性を職員室の中で身に着けたことです。
しかし、高校生活においては職員室の中だけでしか役立たず、一歩外に出ると敵だらけでした。
理不尽なことばかりで、生きづらいと感じる毎日。
viviという人物像を勝手に作られ居場所がありませんでした。
そんな敵だらけの生活で、「生きていく」ため「生き続ける」ためにしていたことがあります。
それは、心の中で死ぬこと、心の中で敵を抹消することです。
毎日、線路を見つめていました。
ここに飛び込めば、全てが終わる。
でも、できなかった。ならば、心の中で死ぬしかない。
何度も心の中で死にました。
そして、大粒の涙をこぼし心の中では血の涙を流していました。
心の中で敵を抹消する・・。唯一の抵抗でした。
あとは、だんまり。牙をむけば余計に酷くなる。
だから毅然とした態度をとり、何度挑発されても動じない・・。
誰にも打ち明けず我慢していました。
「どうせ、話してもわかってはくれない」
「どうせ、信じてもらえない」
「事実として受け入れてはくれないだろう」
「種をまいたのは自分という存在」
「こうなったのは、言葉を発しようとしなかった自分のせい」
「わかってる。だけど信じられる人がいない」
そんな考え方だから、日に日に孤独になって行くのでした。
働きにくい職場と働きづらいと感じる自分
高校を卒業して社会に出ました。そこはたくさんの可能性を秘めていました。
理想の上司に出会い、「天職」を見つけて生きる希望を持たせてくれました。
だけど、どこか違っていました。
仕事はできても、自分を「表現」することができない。
運命に流されて、天職だと思っていた職場から離れなければならなくなりました。
キレイごとを並べて辞めました。でも、本当は違います。
本当は、当時の総務部長に知られたくない過去を暴かれました。
暴かれてからというもの、秘密をにぎられ脅されていました。
何かにつけて、そのことを持ち出し耳打ちされ、精神的に追いつめられていました。
誰にも打ち明けることができず、日常業務にも影響して働きづらく、そして生きづらく。
やむなくその会社から離れることを決意しました。
それからは、職を転々としていました。
前職のイメージから、過大評価され固定観念をもたれ、またプライドもありました。
周囲からの偏ったイメージだけではなく、自分自身が過去の栄光にしがみついて自分を捨てられなかったのだと思います。
まだ、若かった時の汚点です。
その為、周囲から持たれた勝手な人物像に負けないように、その通りの振る舞いをしてました。
その職に就いていた者の人物像。それは「完璧」でした。
完璧さを求められたら、完璧な自分でないといけなかった。
何が起きても動じず、弱さをみせない毅然としたふるまい。
本当はそんなことしたくなかった。疲れるから。
なのに、そうすることが、いつしか「習慣」になっていました。
どんな職種につこうとも、それはついてまわり、「天然記念物」「変人」「アウトロー」と呼ばれ、挙句の果ては「出る釘は打たれ」て、また、ひとつミスをすると過剰に叩かれていました。
そして、「クスクス」といった笑い声。
ミスをすることが怖かった。今でも・・。
自分らしく、ありのままの完璧ではない自分でいたかったのに・・。
職をかわるたび、それが目標でした。
今度こそ今度こそ。地味に目立たず、ひっそりと。でも、できなかった。
地味にしていても、どこかで目立つ。目立っているように感じる。
あの頃の、クスクスとした笑い声が今もなお、容赦なくviviを追いつめる。
聞こえない声が聞こえる。心の声が聞こえる。あの時と同じ・・。
viviにとっての「生きづらさ」「働きづらさ」とはそういうこと。
恵まれた環境に救われた自分
こうして振り返ると、今は本当に恵まれた環境にいます。
このような環境に至るまでは、あまりにも時間がかかりました。
なぜなら、ここに来てからすぐ、始めはまだ自分の殻に閉じこもっていました。
その為、同じことを繰り返そうとしていました。
きっと、ここも同じ。私は完璧でなければならない。
自分を追いつめて、ひたすら精神安定剤に頼るしか術がなかったのです。
でも、本当は生まれ変わりたかった・・。
だけど、過去の経験がそうさせてくれてはくれませんでした。
「信じたい。信じられない」
「話したい。話せない」
「どうせ、誰もわかってくれない」
「誰も信じられない」
「話したら全てが終わる」
「よかったことまで終わる」
そんなviviに、「書く」という機会を与えてくれました。
話せないviviにとっては、「書く」ということは「生きる」「生き続ける」為の大きな一歩。
こうして「生きづらさ」「働きづらさ」から解放されていきました。
それでも、まだ完全ではありません。
まだ、心の中には「習慣」というものがあります。
それに「クスクス」といった笑い声は消えません。
これは一生ついて回ります。
そんなviviに、次に与えてくれたこと。
それは「話す」ということです。
「書く」「話す」はviviにとっては、とても大切なことのようです。
おかげさまで、気持ちを楽にして毎日を過ごすことができています。
おわりに
ここまでお話して、何かに気づいて下さったでしょうか?
「生きづらさ」や「働きづらさ」を抱える者にとって、これは「生き続けることの苦しさ」を意味します。
ですから、これらは当人にとっては非常に「デリケートな問題」なのです。
簡単には語れない。一言では片づけられない。
その人が、どんなことで生きづらさや働きづらさを感じるのか?
それは様々です。いろんな生い立ちがあって、いろんなことを感じてきました。
だからお願いです。軽視しないでください。
今を一生懸命生きています。生きる為、生き続けるため一歩を模索しています。
どうすれば、生き続けることができるのか?
この危機をどう乗り越えたらいいのか?
「環境」を変え「職」を変え、または職をあきらめ、途方に暮れています。
そんな人が身近にいたら、どうか、そっと寄り添ってあげてください。
どうか、そっと手を伸ばしてあげてください。
だけど、土足で入ってはいけませんよ。
なぜなら、まだ、あなたに心を開いているとは言い切れないからです。
心を開いてくれてるように感じなければ、そっと見守ってあげてください。
いつか心を開いてくれる日が来るまで、どうか待ってあげてください。
今、生きづらさや働きづらさを感じている方へ。
これは、なかなか理解してもらえない苦しみです。
話すことも書くこともためらうでしょう。
でも、生き続けることだけは、あきらめないでください。
環境を変えるのも手です。休むのも手です。
疲れたら休みましょう。そんな勇気も必要です。
viviは今、贅沢な環境にいます。
だけど、今でも生きづらさや働きづらさ感じてしまう時もあります。
そんな時は、休みます。疲れたら休む。
休む勇気も必要だと、主治医にいわれました。
生きづらくて苦しくなっても生き続けることをあきらめない。
ゆっくりでいい。いつか、このつらい苦しみから解放されると信じて。
歩いていこうと思います。
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ブログ読んでいて涙が溢れそうになりました。目を離さないで読んでいたけど昔も同じようなことを言われていたのを思い出しました。それが個性であり人とすこしくらい違っていても生きていることに誇りをもって頑張ろうと教えられたブログです。ありがとうございます
こんにちは。ダックスフンドさん。
お返事おそくなりました。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
そうですか。同じような経験があったのですね。
生きていることに誇りをもって、生き続けましょうね。
ありがとうございます。