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1.放送法「政治的公平性の撤廃」
今年3月にかけて、テレビ業界に大きなニュースが走りました。安倍政権による放送法改正に関するニュースです。放送法に定めれている「政治的公平」(放送法第4条第1項第2号)の規制を撤廃するという政府の方針案が示されたのです。
それによるとテレビ、ラジオ放送の「政治的公平」を求めた放送法の条文を撤廃するとともに、インターネット放送と異なる現行規制を一本化し、自由な放送を可能にすることで、新規参入をも可能性に視野に入れています。放送局が増えて、より多様な番組が流通することが期待される一方、政治色の強い番組も登場するかもしれません。
現在、日本ではこの「政治的公平」の条文があるために、政治色が強い放送は禁止されていました。それぞれの放送局や番組によって多少の違いはあるにせよ、日本では選挙の際に放送局が特定の政党や候補を支持するような意見表明を行うことはありません。それに対し、「政治的公平」の原則が30年前に撤廃されたアメリカでは、大統領選挙の前になると、各自にテレビ局が「うちの局ではトランプ候補を支持する」とか、「クリントン候補を支持」などと主張しています。
安倍政権が、このような方針を打ち出したのは、森友学園・加計学園などの不祥事をめぐって既存のテレビからの批判的なニュースが相次いで報道されて政権の支持率が下がった一方、AbemaTVに代表される「放送法の規制がかからないネットテレビ」などが登場してきたためと思われます。
さて、こういった状況のなか、テレビ放送は変わるのでしょうか。言うまでもなく、日本は憲法第21条で表現の自由を保障しています。それは「何を言っていい」という意味ではなく、政府が個人の表現の自由を犯すような法律を作ったり、そのような権力の行使をしてはならないということを定めているのです。
2.放送法第1条
そして、その憲法の下に放送法が存在します。そのため、放送法第1条の「放送法の不偏不党」が放送局に政治色のある報道を禁じているのではなく、放送への特定の政治勢力の介入を許してはならないと、従来は解釈されています。同じく放送法の1条は放送の自律を保障し、同3条は「何人からも干渉され、又は規律されることがない」ことを定めています。
3.放送法第4条
ところが、放送法には第4条に「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などの記述があります。
これは放送局が自らを自律的に担保しなければならない「倫理規定」であると、従来は解釈されてきましたが、憲法やそれ以外の放送法の条文を無視して、この4条だけを単独で読めば、放送局には政治的な公平性が求められており、政府はそれを前提に放送局に対して一定の強制力を持つと解することができると、政府は主張してきました。
そして、そのような理由から、政府は放送局に対して行政指導を行う権限があり、違反行為が繰り返される場合は停波、つまり放送を止める権限もあるということも述べてきたのです。
それが一転、今度は政府はこの「政治的公平」の原則を撤廃すると主張してきたのです。さて、この「政治的公平性」が撤廃されると、テレビ放送は変わるのでしょか。
私自身は、大きな変化はあまり見られないと思います。それは、従来から一部番組では政治色が強い番組が見られ、また、本当に政治的公平な意見など存在しないと考えられるためです。ある意見には何かしら政治色が存在します。そもそも本当に「政治的公平」の原則など無意味なのです。
4.政治的距離
また、政治的公平とは本来、「政治的距離」からの公平も意味してきました。ところが、これが日本では不十分でした。
そもそも日本は放送免許を政府が直接付与する、先進国では見られない放送行政の制度を採用しています。戦後、日本は戦前の反省から、GHQは電波監理委員会という独立行政組織を設け、そこに政府から独立した形で放送行政を管理させることで、特定の政治勢力による放送への介入を阻止する制度を積極的に構築してきました。
しかし、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が施政権を回復すると、当時の吉田茂内閣はただちに電波監理委員会を廃止して、放送免許は戦前と同様に、政府の管理下に置かれました。このような放送行政の見直しを、安倍政権は想定していません。それも問題があります。
5.パブリック・アクセスの不備
視聴者を一方的に情報を「受け取るだけ」の存在として想定していることも問題があると思います。情報の発信者と受信者との間にはさまざまなダイナミズムが存在し、ただ一方通行ではありません。そして市民が自主的に番組を制作し、それを放送させるパブリック・アクセスも、他の先進国では制度化されていますが、日本ではなされていません。
放送は、本来、国民共有の資源です。政府のものでもなければ、メディア企業のものでもありません。このような考えのもと、放送法が制度化されると良いのですが・・・。
参考
ビデオニュース・ドットコム「日本では政治家に政治的公平性を判断させるのか」
たとえば、、、
朝日新聞は社民党と組んで慰安婦問題を歪曲して拡散して来た。これがリベラルだなんて言えるだろうか?
日本は米と戦って負けたが、戦争責任問題に何処まで触れたというのか?。プロパガンダの急先鋒でありながら、読者に対して未だ一行の過ちを認めない。過ちの片鱗さえ見えない。
安倍晋三と金の癒着も掘り下げる意思など微塵もない。
単なる目新しさとセンセーショナリズムを売るならば朝日新聞の見下している週刊誌のほうが遥かに優れている。
皆様の教えをお待ち申し上げます。
よろしくお願いします!