hibikiの図書館遍歴(今の図書館司書の現状・図書館流浪の旅)私の場合

座って、下を向いて落ち込んでいるスーツ姿の女性。

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転職してみて。(病気という名の逃避行動)

こんにちは、hibikiです。

私は、ここTANOSHIKAに流れてくるまでのお話をしようかなと思います。
転職回数の数が多いので、職種を『図書館司書』に限定させて頂きます。

私は、病気(双極性障害)と、少し発達障がいやパニック障がいも抱えてます。
しかし、病名を公表したのは、今回が初めて。
少し、心境の変化がありまして…。筆をとりました(苦笑)
よろしければ、お付き合いください。

今、仕事が長続きしない方・転職を考えてる方には、立ち止まって考える事のきっかけになるかもしれません。

派遣で働く。専門図書館

正規職員の募集が減り、雇用形態がどんどん変化してきた時代でもあります。
特にこのころから、『派遣会社』が段々と増えていったような感じです。

私は、市立図書館を辞めて、派遣で図書館の種類でいうと、『専門図書館』で働くことになりました。
専門図書館とは、企業が持っていたり、「経済資料」しか置いてない図書館とか、福祉でいうと、眼の見えない人のための図書館などを指します。

私が働いていたのは、経済図書館。しかも、会員制。
置いてある資料は、国の統計資料等が多かったです。
「専門」なので、普通の人は入館出来ません。
この図書館の利用者は、お金を支払って会員になり、資料を見たりコピーしたりします。貸出厳禁。
大企業の支店とか、福岡にある地場企業様とかですね。
まれに、個人で会員の方もいるにはいらっしゃいましたが、そういった方は、例えば有名な大学教授といった方です。大学生の方も、その先生のゼミとか紹介状等が必要でした。

私は、ここで派遣としては長く働かせてもらいました。派遣の雇用期間は、約3年と法律で決まっています。
今、思うとここは難しかったけれど、すごく職場環境が良かった気がします。

次に、派遣で配属されたのが、とある大学図書館。名前は言いません。
みなさんが、よく知っている学校です。

さて、このぐらいから大学系や専門学校の図書館に、『派遣司書』が入ってくるようになってきました。

難しすぎ…。大学図書館。

派遣会社も、専門的な所です。
大学図書館は、学部がいくつも分かれているところは、「大変」の一言。
キャンパスが広くて、慣れてないと迷子になります。
私は、約3つぐらいの大学図書館に勤務させて頂きましたが、特に難しかったのが医療系の大学。
資料が全部英語だったり、ドイツ語やらはてさて…。
図書館がせまくても、本の場所を覚えるのが一番ストレスでしたね。

特に、その大学の色というか特徴があったので、本を配架(元の場所に戻すこと)が、頭を抱えました。
医療系で、しかも英語だったと思います。タイトルからして、読めないし、中身も分かりません!
よく、ここで「場所が違う!この間、教えたでしょう!!」と司書の先生に怒られていました。
大学の司書の先生は、かなりプライドが高く、自分に自信のある方が多かった様に今は、思います。

ここでのストレスは、相当なものだったので、「病気」の症状が出始め、かなり短期間で辞めました。
大学図書館は、結構、人の出入りが激しいのが現状だということをここで知りました。
なので、大体3月くらいになると、同じ大学が「またか」という感じで、「図書館司書」の募集があってます。

これは、偏見かもしれませんが大学内の派閥も関係していたかも。
とにかく、二度と就職したくないですね。
「躁うつ病」が、一番ひどくなったのも、大学図書館が多かった気がします。
かなり、体にもガタがきてましたので、一番最短は一日で辞めました。

人間関係が良かったけど…専門学校の図書館。

ここからはつい最近。といっても、十数年前ですが。

一番、遠かったです。博多駅界隈。
専門学校の図書館の雇用形態は、ここから初めて(アルバイト・パート)。
専門学校の図書館司書って結構、珍しい。
司書を置いてないイメージが私にはあります。
司書がいたとしても、午前中とか、週に2,3日とかの募集しかみたことがありませんでしたので。
そして、こういった雇用形態は、面接のみが多い。図書館というより図書室に近い。

ここでは、病気の症状は出ないだろうと思っていました。
というのも、教えて下さる図書館の先生が、すごく優しい方でした。
お菓子やら、ご自分で創ったアクセサリーやらを頂きました。

もう一人、年下の子がいたのですが、この方も意外と職を転々とされてましたよ。
ところが、ひと月もたつと、その教えて下さる先生が、異動になりなんだか図書館の扱いがおかしくなりだしました。症状が、出始めいつもの頭痛が毎回出てきては、早退・欠勤の連続が目立ち始めました。

その新しい先生を見ただけで、パニックになった事もあります。
もう、全てにおいてもう一人の子と区別され、半年続けましたが、更新には至りませんでした。
まあ、もし更新されていたとしても、4年間しか勤められなかったのです。

期間が決まっている図書館は、自治体にもあります。
図書館司書の期間限定は、色々な箇所で当たり前になりつつありました。

生徒たちの逃げ場、学校図書館。

そして、最後はつい最近の事。

ここは、ハローワークでクローズで応募して受かりました。
時間も、TANOSHIKAさんと同じくらい。
中・高校一貫の私立の学校図書館。雇用形態は(アルバイト・パート)。
やはり、利用者は学校図書館というだけあって、生徒がほとんどです。
昼休み、休憩時間の時くらいの利用が多かった。

ここから、病気の症状が悪化というか、なんといえばいいのか。よく、体調を崩して、休んでいたので、すぐに、有休がなくなりました。
最初の2か月は、調子がいい。
けれど、3か月目になると、とにかく、きつい。体がだるいし動きたくない。
原因は「過集中」。もしくは、「バーン・アウト」というのでしょうか。
今でこそ原因は判明しましたが、当時は頭でしか理解できていません。

言い訳を色々考えるぬいぐるみ。

教室に入れない子たちの逃げ場所でもあったため、仕事が進まないことも、しばしありました。
結果、どうだったかは思い出せませんが、3か月で辞めました。

その間、短期のアルバイト(派遣)だったり、とにかくメンタルと体を休めました。

それからの私。

私もここTANOSHIKAさんでお世話になるまで、色々なにか就労の復帰を目指しました。
そして、やっと、とある病院で「就労支援」について知ります。

厚生労働省のHPや、若者ハローワークで、調べて自分の様な方がたくさんおられると教えてもらい、障がい者の枠で働くことを決めました。
もっと早くに、この「制度」を教えてほしかった…。

そして、段々と自分のくせ・病気の症状・思考・性格等、かかりつけの先生や、訪問看護師さんとの出会い、(これが一番私には必要な出会いでした)。

私の担当してくださっている訪問看護師さんは、優しい事ばかりでなく厳しい事をちゃんと「言葉」として、理解できるようになるまで、伝えてくれます。

失敗を失敗のままにしない」というのが、頭の中に残っている私にとっての格言。
今も、怒られたり、ほめてもらったりして、様々な報告をしております。
迷惑ばかりかけて、本当に申し訳なく思っています。

これからの私。

さて、話は戻りますが、これだけ、図書館の職についた人は私ぐらいかも(苦笑)。

結論として、私は「病気」を理由に(もちろん、これも原因のひとつですが)いつも嫌なことから逃げるために、「逃避」していたのです。頭では、どこかで理解はしていました。
辞めるたびに、解放感というより、「またか…」という気持が強かったのです。
本当に、一度「逃避癖」がつくと、味をしめてしまったら、抜け出せない。
これが、私の「病気」であり、「私の心の弱さ」。

最初の方は、このTANOSHIKAからも、逃げようとしていました。

今は、そんな気持は一切ないです。それよりも「休まず来ること」が、私のすべき事。
最近は、目標も出来つつあります。将来に向けて、やりたいことです。
ここまで、自分自身を見つめ直す機会をくだっさた方々に感謝してもしきれない。
まあ、訪問看護師さんやら他の方々は、「課題は山積み」と言われます(笑)

とりあえず、目の前の一歩からです!今日も、仕事をする私でした。

海辺で笑顔おで。ジャンプしている女性。

 

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座って、下を向いて落ち込んでいるスーツ姿の女性。

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