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こんにちは、翼祈(たすき)です。
貴方は、性別を変えたいと思ったことはありませんか?
私は男性になりたいと思ったことはありませんが、性別を変えたい、変えてでもかなえたいことがある人は、多いのではないでしょうか?
この記事では、「全員に平等は必要だと感じていても、この判断によって、生きづらさを感じる方も出て来るかもしれない」、そう私が感じたできごとを紹介します。
今回は、世界陸連が、2025年9月に日本で開催される世界選手権で取り入れることを決めた、「Sry検査」とは、どんな措置か?などを説明します。
2025年7月20日、世界陸連が2025年3月に導入を決めた、女子種目に出場する全選手への遺伝子検査を、9月に東京都で開催される世界選手権の前に初めて実施する方向で準備を進めていることが、明らかになりました。
今まで世界陸連は、自認する性と出生時の性別が違うトランスジェンダーの選手が男子として思春期を過ごした時は女子種目への出場することを禁止していました。
今回の世界選手権からの措置を取り入れたことで、さらに女子種目への出場することが厳格化されます。
世界陸連が、「Sry検査」を取り入れるようとした、その背景とは?

男性の特徴の発達に関わる、Y染色体上の「Sry遺伝子」を調べる検査を行い、クリアした選手のみが大会出場を認められる。
女子800メートルで五輪2連覇のキャスター・セメンヤさん(南アフリカ)のように男性ホルモンのテストステロン値が高い女子選手は、その数値を下げなければトラック種目に出られないことなども規定に盛り込んできた。
凄く大事な議論ですね
2024年の夏にパリオリピックが開催されたことを覚えておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ここで挙げたいのは、ボクシング女子種目の件です。
2023年の世界選手権で男性ホルモンのテストステロンの数値が高く、女子選手としての出場資格を満たしていないと、国際ボクシング協会(IBA)から失格処分を受けた選手がいました。
国際オリンピック委員会(IOC)からは女子での出場を許可され、東京大会に続いて2大会目のパリオリンピックは女子66キロ級で出場しました。
圧倒的なパワーと、恵まれた体格で、金メダルを獲りました。
ここで、問題だったのが、性分化疾患(DSD)の1つで、「5α-還元酵素欠損症」である、女性であっても、テストステロンの数値が高い状態で出場したことで、この時は男性扱いになることでした。
「5α-還元酵素欠損症」である女性であっても、身体には男性のパワーがあります。女子種目に出演した時に、女性の力では出せない位の力のあるパンチを顔などにぶつけたことで、対戦相手は痛みなどで泣き腫らして、敗戦していました。
そして、金メダルを獲ったことで、ボクシング女子種目は毎日動向がニュースで流れていたことで、「おかしいんじゃないか?」と、SNSを中心に議論で沸きました。
また、57キロ級のXY染色体を持つ女性も金メダルを獲得したことで、波乱と議論が巻き起こったケースとなりました。
パリオリンピックの時、この「5α-還元酵素欠損症」である女性など二人は、ネットでの誹謗中傷に控訴していました。
それから、約1年後、オリンピックでボクシングを統括することになった新団体「ワールドボクシング」(WB)は2025年5月末に、主催または認可する大会に出場を希望する18歳以上の全選手へ、性別検査を義務付けたと明らかにしました。
2025年6月6日、パリオリンピックの57キロ級で優勝した、「5α-還元酵素欠損症」である女性は、大会を欠場すると発表しました。
これらのことがあってから、他の競技に関しても、遺伝子検査などが厳重化したと思います。
ルールで新しくそう決まってしまったのなら、判断材料となる男性ホルモンのテストステロンの数値を下げて、「自分はクリアしていますから」と検査結果として出ないと出場は認められなくなると思います。
陸上とボクシングは違う競技ですが、色んな意味で、パリオリンピックを境に世の中がまた変わったなと感じた、今回の出来事でした。
自分に置き換えて考えると、
最近は、そこまで言われていませんが、私が子どもの頃は、『男性は高学歴で、一流の企業に入って、お金を沢山稼いできて、家計を助けたり、仕事もバリバリする』が、理想の姿の様に語られていました。
私はその時の理想論で言えば、大学を1年で中退、アルバイトすら受からない、約10年間引きこもり、20代の時に仕事を経験していないなど、世の中から取り残されることが多い時を過ごしました。
私の既往歴は女性特有なものもありますが、男性がかかるものもあります。男性は女性より体力がある場合が多いですが、体力もないから肉体労働もできない、病気などが多い。
色んな意味で、自分が男性だったら、またしがらみを余計に感じながら、もっと生きづらさを抱えて生きてきただろうと考えるだけで、苦しくなります。
今でも生きづらさを感じて生きていますが、女性に生まれたことで、男性に求められるスキルやキャリアが仮になくても、大丈夫だった、そんな気もします。

noteでも書いています。よければ読んでください。
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