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はじめに
makoです!
TANOSHIKA に入って一年が過ぎました。
家族の『統合失調感情障害』の記事を書くにあたって、今までの出来事を思い出すのが苦しいのと同時に当事者の家族として、反省すべきことがあり今まで出来ずにいました。
そんな私の気持ちが次第に変わってきました。
ここTANOSHIKA CREATIVEには、それぞれの病気であったり、障がいを受け入れながら前を向いて頑張っている多くの多くのメンバーさんがいらっしゃいます。その姿に私はとても勇気づけられています。
最初は反対していた夫も、本来の病気とは別に苦しんでいた手の震えの症状が、落ち着いてきたことがあって記事を書くことに賛成してくれました。
今まで書けなかった我が家の話。家族が病気になって様々なことがありました。
あがいても、あがいても目の前が真っ暗でどう生きていけばいいのかわからない時期もありました。
でも、いろんな方に支えていただいて、助けていただいて、今、少しずつ前を向いて生きています!
そんなことを少しでもお伝えできれば、と思います。
夫、初めての入院とその後の生活
18年前、夫が父の仕事を継いで数年が経ち、仕事もやっと軌道に乗り、家庭も平凡に日々が過ぎていると思っていた頃でした。夫は1回目の入院をしました。その時40代でした。
夫は、大きな仕事を請け負うようになり、仕事の重責でストレスを抱えていたようです。仕事の付き合いで飲む機会も増えていたこともあって、酒量も次第に増えていました。
仕事も趣味にも力をいれて充実していたはずなのですが、ある日突然、ありもしないことを口にして、妄想の症状が出ました。最初はお酒のせいだろうか…と思っていました。
仕事から帰ってきた義姉と一緒に夫を病院に連れて行き、強制入院をさせました。病院に入院させてしまったことを申し訳ないと思いつつ、突然の病気を治してもらいたい一心で病院を後にしました。
~入院後の生活~
夫は入院して2日後には薬が効いてきたようで、妄想の症状は少し落ち着きました。
しかし、夫は入院に至るまでのことをしっかり記憶していて、頭の中が少し整理され我に返ったとき、病院に入院させられたことに絶望感を覚えたようです。ここから出してくれと暴れました。
そんなことがあってか、入院5日目には一般病棟に移り、医師から夫の場合、長く入院しない方がいいだろうと言われ、わずか7日目で退院となりました。
夫は探求心が強い人で、自分の病気について調べるために毎日のように担当医師のところへ行き、カウンセリングを受けました。私は夫が入院した際にそれまでの仕事をやめ、突然の出来事に頭も心もついていかない状態で、とにかく不安でどこへ行くのも一緒についていきました。
~『一過性ストレス反応?』~
退院して3か月後の血液検査で肝臓の数値が正常値に戻り、アルコール依存症ではないと診断を受けました。では、何だったのか?
病名については『一過性ストレス反応』と言われました。
ネットで検索しても、曖昧な表現で詳しくは書かれておらず、本人も私たち家族もどうしたらいいのかわからずに不安でいっぱいでした。医師からは、「様子を見ながら、とにかく無理をしないで、焦らず、気長に治していきましょう。仕事について仕事については3か月は休むように」と言われていました。
その時の症状は後になってみれば、『統合失調症』と似ていました。
~原因は何?~
はっきりとした原因はわからなかったのですが、仕事のことで、一人不安を抱えていたようです。仕事において体の疲れと一緒に心の疲れが気が付かないうちに溜まっていたのかもしれません。
~早すぎた仕事復帰~
しかし、仕事復帰は早すぎました。夫は一気に症状が悪化しました。妄想の症状は落ち着いてはいたものの、今度はひどいイラつきがみられ、その後気分の落ち込み、意欲の低下と、みるみる状態が悪くなって、入院するまで何でも無かった仕事に不安を口にするようになり、うつのような症状が出て、次第に布団から出て来られなくなってしまいました。
とても仕事が出来る状態ではありませんでした。本当は入院をした方が良かったのかもしれません。しかし、夫は頑なに入院することを拒んだため、通院をしながら、自宅で過ごしました。
****************
これが1回目の時でした。
最初の症状が出て半年後、父の勧めで服薬をやめました。偶然に寛解の時期に重なったのでしょう。勝手に服薬をやめてしまったことは今になって考えれば、とても怖い事でした。
それから少しずつ、少しずつ、夫の病状はよくなっていき、それから10年間は何事もなく順調に過ごせていました。
大きな過ち~病気についての無理解が引き起こしたもの~
その後、10年後に同じ症状が出て、入退院を繰り返してしまいました。
仕事のストレスが大きくかかっていたことと、夫にとってつらい出来事が重なった時期でもありました。
4回目までの入院の診断は、『一過性ストレス反応』であったり、『一過性心因反応』といった診断名でした。ネットで検索しても、具体的なことが書かれておらず、正直あまりピンと来ていませんでした。
『統合失調症』の”妄想”の症状が出ていたにも関わらず、最初の病名に「夫はきっと違う。」と私も家族も逃げていたかもしれません。その時に起きていることに悩みながら、1日1日を生きていくことに必死でした。
体調を崩すたびに、はじめの入院と同じように、しばらくすれば回復して治っていくものだと思いこんでいました。夫も症状が落ち着くと、すぐに家計を支えるため仕事をしました。
2回目、3回目の入院の時、私は夫の両親の介護をしておりました。夫は従業員を抱えていて、運営資金としてまとまった金額の借金もしていて、そういう状況の中で、夫にはかなり無理をさせてしまいました。
もともと、夫は”がんばりや”で、頑張りすぎるところがあります。その頃の状況もありましたが、その”がんばりや”の性格に甘え、何より病気についての無理解が、繰り返しの入退院につながったと、後悔の念が頭をよぎります。夫には大変申し訳ないことをしてしまいました。
夫の病気について
統合失調感情障害は、統合失調症と気分障害(うつ病または双極性障害)ふたつの症状が現れる疾患です。そして、それらの症状は同時期に起こります。他の疾患と見分けがつきにくいため、診断に至るまで時間を要するのも、この疾病の特性です。生涯罹患率は統合失調症よりも低く約0.3%で、発症するのは男性よりも女性の方が多いと言われています。
症状は日常の生活に影響を与え、発症するまではできていたことでも行うのが難しくなるのです。
統合失調感情障害だと診断されたクライアントの多くは、物質使用障害や不安症など、他の精神疾患の診断を受けています。統合失調感情障害を他の疾病と区別し適切に診断するために、長期的に症状を観察し進行を評価することが必要です。
引用元:ひだまりこころクリニック|統合失調感情別氏別氏障害とは「統合失調症との違い」2025.03.22
~夫の症状~
夫の場合、急性期に妄想が出た後に、この病気によるものなのか、薬の副作用によるものかまだ原因はわかっていませんが、長年手の震えを抱えつつ、うつの症状が出て、ひどい時には顔の表情がなくなり、やる気も自信も無くしてしまい、いつも下をむいていました。そして、それまでできたことが何故か難しいと不安を口にするようになりました。夫の症状は、上記のサイトに書かれている症状にあてはまりました。
急性期は毎回わずかな期間で落ち着きますが、その他の症状が出る休息期は数か月かかってようやく回復期へと向かいます。こういうことが、数年前まで毎年のように繰り返されていました。
病気になる前の夫は、仕事に対して真摯に向き合い、誰もやりたがらないような難しい仕事も引き受け、それを必ずやり遂げるような人で、仕事関係者の方からも一目置かれるような存在だったのです。病気を発症してから、人が変わってしまったかのようでした。
夫は3回目の入院をきっかけに、父から継いだ仕事を続けていくことは難しいと考え、苦渋の決断のうえ会社を畳み、それから、いろいろな職種に挑戦しながらも、転職を繰り返し頑張ってくれていました。しかし、体調が悪化。仕事はやめるようにと、ドクターストップがかかりました。
私たち家族は誰にも相談できず、夫にどう接したらよいのかもわからずに、一緒になって悩み苦しみ、まるで深い沼に入ったようでした。
4回の入院を経て、福祉の方々とつながる!
それからしばらくたって、夫は体調を崩し4回目の入院をしました。
私が人工股関節置換術の術後間もない時で、親を看取って、夫の調子をみながらやっと手術を受けたときでした。入院先のベッドで夫がまた具合が悪くなったと家族から聞いて、術後のリハビリ中でしたが、慌てて退院をし、泣きたい気持ちを必死で押さえながら、その2日後に、以前お世話になっていた病院にご相談をして、夫を入院させました。
夫は具合がわるいなか、私や家族のことを心配してくれました。夫の具合が悪くなってからというもの、一緒に同居している夫の姉が無理をしながら、私たちの家計を支えてくれていましたが、「このままでは家族みんながだめになってしまう…。」と思ったそうです。
実際、私はまだ動けない状態で、夫の姉にも申し訳ないと思いつつ、これから先をどう生きていけばいいのかわからず、精神的に追い込まれていました。
~福祉の方との出会いに助けられて~
そういう状態を察して夫は、障がい年金と就労支援事業所について病院のソーシャルワーカーの方にご相談をさせていただいて、退院後、障がい者年金については年金事務所へ行って手続きをし、就労継続支援事業所については最寄りの地域の障がい者生活支援センターを訪ねて、相談員さんを探してきてくれました。
人を頼ることを嫌っていた夫。なんでも自分で何とかしようと生きてきた夫。大変な仕事も決してあきらめず、必ず結果を出してきた夫。そういう夫が病気になり、なんとか元通りになってもらいたいと頑張っても、入退院を繰り返す夫を支えきれず、一緒になってどんどん気持ちが沈んでしまった私。
長い間、誰とも相談できずに苦しい思いをしてきた私たちでしたが、相談員さんと出会えて、暗い沼の底から引っ張りあげていただいたかのような気持ちになりました。
その相談員さんのおかげで、いま私たちは就労継続支援事業所において仕事をさせていただいています。事業所の支援員さん、訪問看護士さん、病院の先生、ソーシャルワーカーさんとのつながりを持つことができ、家族以外に相談できる方たちが増えました。
不安で、どうしようもなくなり、訪問看護師さんに電話をすると、夜でも家まで駆けつけてくださったことがありました。何時でも電話してくださいと言ってくださった相談員さん。どんな時も、電話の向こうで「どうしましたか~?」と明るく対応して親身に話を聞いてくださいました。どれだけ気持ちが救われたことでしょう。病院のソーシャルワーカーさんは、相談員さん、訪問看護士さんと一緒に定期的に担当者会議を開いていただいて、私たち夫婦も出席し、その時の悩みや不安に思っていることなどを情報共有して時にはアドバイスをいただいています。また、それぞれの事業所ではいつも気にかけてくださる支援員さんがいらっしゃいます。
今まで、家族の中だけで背負っていた悩みや苦しみを一緒にわかってくださる方がいらっしゃると思うだけで、ずいぶんと心が軽くなることができています。

おわりに
当事者の家族として過去を振り返ったとき、
*病気についての理解ができなかったこと。
*その結果、無理をさせてしまったこと。
このことは、私の大きな反省点です。
そのことを気づかせてもらったのも、福祉の方たちのおかげです!福祉の方たちとのつながりを持てたことで、私たち家族は少しずつ、夫の病気と向き合い、夫自身も病気を受け入れることができるようになっています。夫の表情がとても明るくなってきました。そのことで家族にも笑顔が増えてきました。
最初の入院から18年という長い年月が経ち、ずいぶんと遠回りをしてきた私たちです。夫の病気とはこれからも、長い付き合いになるかもしれません。医療と福祉の力を借りながら、これからは、「焦らず、無理せず」前をむいて生きていきたいと考えています。
『統合失調感情障害』は『統合失調症』に比べると罹患率が低いと言われていますが、頑張りすぎたり、心に強いストレスを感じるようなことがあると誰にでも起きる可能性があると夫を見ていてそう思います。服薬とそして周りのサポートを得ながら少しでも早い時期から治療を行うことで仕事も落ち着いた日常生活も過ごせるのではと感じています。
『統合失調症』とともに『統合失調感情障害』に対しての理解がすすんでほしいと思っています。
TANOSHIKAのライターさんが『統合失調症』についての記事を書かれていますので、ぜひ、お読みいただけると嬉しいです!
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