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こんにちは、翼祈(たすき)です。
毎日暑いですね。でも今年は変な天気ですね。東北や北海道でも30度を超える日があったかと思えば、雨が降れば20度以下になる。
服装の調整が難しく、完全に春物も片付けられない状況ですね。晴れていても、気温は高いのに、風は冷たかったりと、本当に体温調整もおかしくなりそうです。
暑い日は、どうしても自分が感じている以上に喉が渇きやすく、熱中症や脱水症には気を付けないといけません。
それは能登半島地震発生から4ヵ月以上経った被災地でも同じことです。
能登地方も暑く、仮設住宅に入居を希望していても、希望者が多く、なかなか入居できず、農業用ハウスで最後まで自主避難をしていた7人の方も、ハウス内のモワッとする暑い日々に耐え切れず、2024年5月5日に、近くの集会所に全員移ったそうです。
2024年4月30日現在でも、4606人の方が避難生活を続けていて、これからますます暑くなる季節、体調の変化が心配になります。
この記事では、記事が公開されたのは数ヵ月前ですが、暑くて食欲が落ちる季節に、避難している人が少しでも栄養を摂れる様に、避難所で配られると良いのではないか?、と思っている非常食です。
東日本大震災の経験をもとに避難生活が長期化した時に、赤ちゃんから高齢者まで必要な栄養を摂取できる様にと、宮城県多賀城市で災害備蓄品を作っている、食の企画・製造会社「ワンテーブル」が開発した防災備蓄用のゼリー『LIFE STOCK』が2024年2月8日、福岡県におよそ5000食、寄贈しました。
「ワンテーブル」の富田智之社長が、服部誠太郎知事のもとを訪問し、「『LIFE STOCK』は、みんなが食べやすい食品となっています。体の弱っている人たちのために役立てて頂きたく思います」と述べました。
今回は2019年から販売している「ワンテーブル」の『LIFE STOCK』について発信します。
『LIFE STOCK』が産声をあげた日
画像引用・参考:3.11の極限状態を教訓に生まれた「5年保存備蓄食」 防災ゼリー『LIFE STOCK』先行発売 PR TIMES(2019年)
市販されているゼリーは長くても1年程度しか保存できませんが、『LIFE STOCK』は、独自の製法で賞味期限を5年間以上に延ばしました。
みんなが食べられ、長期保存可能な食品を目指し、宇宙食の技術を活用して手軽に摂取できる『LIFE STOCK』が開発されました。
ゼリーは水分が多く、雑菌が繁殖しやすいことから、保存期間を長くするのが困難だといいます。ですが、「ワンテーブル」はおよそ70度に熱したゼリーの原料を、4層構造の包装パッケージの中に空気を入れずに充填(じゅうてん)しています。水素イオンの濃度を示すぺーハー(pH)値を低く設定して、酸性にするなどして出荷段階で保存期間5年以上保存できる状態を実現したといいます。
東日本大震災で被災した島田社長は、避難所で飲み水が足りない中、支給された硬い乾パンを苦労して、食べる子ども達や高齢者の姿を目の当たりにしました。「誰でも水なしで安心して食べられる保存食が必要だ」と考え、まずは野菜ようかんを試作しました。ですが、野菜ようかんでは上手くいかず、ゼリーに転換しました。試行錯誤の末に完成品の『LIFE STOCK』に辿り着きました。
食後は容器を厚さ1ミリまでつぶせるため、ゴミの軽減にもつながるといいます。
参考:”赤ちゃんから高齢者まで必要な栄養とれる”防災ゼリー寄贈 福岡 NEWS WEB(2024年)
『LIFE STOCK』は、1袋30gで298円(税込み)。食物繊維やビタミン3種類などが入っています。
『LIFE STOCK』は現在、全国のおよそ400自治体で導入されています。能登半島地震でも石川県輪島市に1000食を提供するなどしました。
富田社長は「東日本大震災が発生した時、世界中から支援を受けた恩返しをしたいという想いで『LIFE STOCK』を製造しています。常日頃から少量でも、『LIFE STOCK』の備蓄を意識して頂きたいです」と説明しました。
服部知事は「福岡も毎年の様に豪雨災害に見舞われ、各地で避難生活を送っています。『LIFE STOCK』は特に支援や介護が必要な福祉避難所で防災備蓄し、いざというときには活用して貰いたいと思います」と語りました。
私が見舞われた災害
TANOSHIKAに入社する前、以前の職場での話です。あの頃もとても雨が多く降る季節でした。それまでも最近でも、私が梅雨の時期の大雨の被害に遭うことは、今のところあの時位なのですが、あの日は入社して数日間しか経っていない時でした。
前日「明日豪雨だったら、出勤できないかもしれないから、支援員が電話を入れるまで自宅待機で」と言われていて、家の中で電話を待っていました。
「凄い雨だな」と電車が動いているか確認するためにテレビを点けると、その会社まで行く電車の途中の線路が豪雨で流された上に流木が溜まり、線路が使えなくなっていました。
その線路が復旧するまで電車は動かず、会社には行けません。そのことで何日か仕事に行けない日が続きました。
線路から流木が撤去され復旧後、仕事に行くと会社の周りが豪雨の爪痕が残り、荒れ果てていました。近くの飲食店なども豪雨が建物に流れ込んだことで、泥水の匂いがたち込め、濡れて使えなくなった廃棄する家具の片付けのため、しばらく営業停止になっていました。
前の職場でも、会社の建物の周りに溜まった泥などを、男性の利用者などが後片付けをしました。
その後も雨が酷く降りましたが、あの日の教訓で、飲食店は雨が酷くなれば、早めに店を閉めて、シャッターを下ろして、豪雨が入って来て、商品が雨でダメにならない様に対策をして、あの時の様な被害が出ることはありませんでした。
この話は、豪雨にまつわる私の被害の話です。
この記事で服部知事が、「福岡県も災害が多い」と言っていたので、この話を最後の感想に書くことにしました。
『LIFE STOCK』が能登半島地震でも活用されていることは、嬉しく感じました。今後も防災備蓄用のゼリーとして、多くの人の助けになって欲しいです。
2024年5月上旬までの能登半島のニュース
2024年4月30日、「移動式あそび場全国ネットワーク」が、石川県珠洲市にある正院小学校に、的を狙ってボールを投げるゲームなど、放課後の子ども達が遊べる居場所を提供しました。
参考:“放課後に遊べる場を” 大学院生などが遊具手作り 石川 珠洲 NHK NEWS WEB(2024年)
2024年4月から、石川県輪島市では、「移動式スーパー」が営業再開しました。
参考:輪島 営業再開の「移動スーパー」 被災した高齢者など見守る NHK NEWS WEB(2024年)
2024年5月5日まで、石川県輪島市深見町で、地元の復興を目指す住民グループ「深見町復興協議会」が、七尾湾の「能登かき」を用いた牡蠣ご飯や牡蛎フライなどがふるまわれた、「復興食堂」を開催しました。
その後は2次避難している住民を呼んで、「復興食堂」のイベントを行う時などに開催することにしています。
参考:石川 輪島で「復興食堂」 “将来戻ってきた住民集う拠点に” NHK NEWS WEB(2024年)
2024年5月4日、石川県七尾市の崎山半島で、井戸水などを確保することで栽培を続けた特産の「崎山いちご」の収穫が行われました。
2024年5月上旬、石川県珠洲市にある畑で、特産の「能登すいか」の苗を植える作業がスタートしました。
また、石川県七尾市にある水産加工会社「のとじま水産」は、ホテルや温泉旅館などの営業再開を見込めないことから、ネットで販売ができる鮮魚がほとんどの売り上げを占めていて、売り上げの1割に満たなかった干物の製造量を増やし売り上げの確保を目指しています。
参考:石川 七尾 井戸水確保し栽培続けた崎山半島特産のいちご収穫 NHK NEWS WEB(2024年)
参考:被災した畑で特産「能登すいか」の苗植え 石川 珠洲 NHK NEWS WEB(2024年)
参考:石川 水産加工会社 鮮魚の需要減で干物増産 ネット販売へ NHK NEWS WEB(2024年)
能登半島地震で被害に遭い、2024年4月6日に全線で運行を再開した石川県の第3セクター「のと鉄道」で、石川県穴水町にある能登鹿島駅の駅舎に置かれた「駅ノート」に被災地を応援するメッセージが、運行再開後のおよそ1ヵ月で60件寄せられています。花見やGWなどで訪れた乗客らが記したと考えられ、地域に住む人が励まされています。
参考:のと鉄道の「駅ノート」に「能登がんばれ!!」、観光客と被災住民つなぐ…能登半島地震 読売新聞(2024年)
参考サイト
noteでも書いています。よければ読んでください。
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