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こんにちは、翼祈(たすき)です。
約100年前でもない昭和の日本に、昭和大恐慌や東北凶作が相次ぎ、貧困や言論・思想弾圧などがあった時代を、皆さんは学校の授業で習いませんでしたか?
今回は名作『二十四の鐘』の再映像化をベースに、昭和初期の日本について考えていきたいと思います。
名匠・木下惠介監督が壺井栄氏の原作小説を映画化し、1954年(昭和29年)に公開された名作『二十四の瞳』を、NHK BSにて特集ドラマ化することになりました。俳優の土村芳さんが主演を務めます。本作の監督は、脚本・演出は映画[かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発][バースデーカード][旅立ちの島唄~十五の春~]の吉田康弘さん。
本作の舞台は昭和初期の物語ながら、そこで描かれる貧困・差別・弾圧などは、決して戦時中だけに限った問題ではありません。土村さんが主人公の新任教師を演じ、次世代に伝えるべき<祈り>の物語として蘇らせます。中島歩さん、麻生祐未さん、國村隼さんらが共演します。
特集ドラマ『二十四の瞳』は2022年8月8日(月)21時〜22時29分、BSプレミアム、BS4Kにて放送です。
あらすじ
昭和3(1928)年、瀬戸内海の島。岬にある分校に、女学校を出たばかりの大石久子が教師として赴任してきた。キラキラ輝く瞳の12人の1年生は皆、明るく朗らかな久子にすぐに懐いた。自転車に洋服姿でさっそうと登校する久子は、保守的な村人たちからは敬遠されるが、子どもたちはいつも久子の味方であり心の支えであった。
ある日、久子は落とし穴で骨折してしまい、本校に転任となる。久子に会いたい子どもたちは、8キロの道のりを歩いて会いに行き、その時に皆で記念撮影をする。数年後、岬の子どもたちは本校に通うようになり、久子と再会する。しかし、忠君愛国が重んじられる時代の中、自由な発言をする久子は疎まれるようになり、教え子たちの卒業と共に教職を辞める。その後も久子は陰ながら教え子たちを見守り続けるが、12人はそれぞれの運命をたどることに…。
原作
日本映画史に残る不朽の名作、木下恵介監督の『二十四の瞳』が封切られたのは、1954(昭和29)年。主人公の女性教師・大石久子の20代から50代までを故・高峰秀子さんが演じ、生徒役の子役たちの成長していく姿なども見る者に大きな感動を与えました。米国の「第12回ゴールデングローブ賞」外国語映画賞を受賞したほか、日本国内の映画賞も総なめにしました。その後、原作は、映画・ドラマ・アニメで何度も映像化されてきました。
昭和初期の《言論・思想》弾圧
言論統制とは
政治権力が国民の文字、音声、画像映像などによる情報、意見あるいは思想の表現行為や流通を規制すること。言論統制は、統制の主体たる政治権力の性質の相違(たとえば封建国家、民主主義国家、独裁国家、共産主義国家など)や、統制の目的の相違(たとえば政治的、軍事的、宗教的など)によって、統制の対象や方法などその態様に種々の違いがある。一般的には、政治権力の企図する一定の政治的・社会的秩序の形成や保持にとって有害で好ましくないと政治権力の側で判断した各種の表現が対象である。しかし、表現は、その乗り物である媒体(メディア)と不可分の関係にあるので、実際には表現とメディアが一体となった形で統制の対象となる。言論統制がメディア統制の様相を呈するゆえんである。そうした表現のメディアとしては新聞、雑誌、書籍、映画、放送などのマス・メディアが主であるが、演劇、演芸、集会、デモなどのいわゆる中間的メディア、さらにはデマ、個人的会話にまで及ぶことがある。
引用:言論統制 コトバンク
キリスト教の教えで教師として教鞭に立とうとして、カトリック教会に通っていた女性は、その教会の神父がドイツ人でイギリスに留学し、アメリカ人と交流があるだけで、捕らえられた後1年4ヵ月牢に入れられ、牢を出された後も20歳そこそこでかなり痩せ細り、ずっと横になっていたそうです。
昭和初期の貧困
昭和初年の世界大恐慌の発生( 1929)に伴って、生糸の価格の暴落を契機に養蚕業を営んでいた農家が壊滅的な打撃を受け、さらに農作物の不作も続いて全国の農村貧困が深刻化・慢性化していく。特に東北地方の冷害はただでさえ貧しい農家に大きな打撃となった。
東北地方では、家族の危機を救うための「娘身売り」が頻発し、悪徳業者にだまされる例もあとを絶たなかったために、町役場が「娘身売りの際は役場にご相談を」という看板をかかげて、身売りを周旋せざるを得ない事態となっていた。
この時期には東北地方の農村部の社会調査も実施されている。その一つが同潤会が中心となり今和次郎らも参加した「東北地方農山漁村住宅改善調査」である。
一方農村恐慌の対応策として取られたものは、節約と勤勉を強調する「農村更正運動」であったが、これが根本的な解決につながらないことは、明らかだった。農村にいても他の農家の下男・下女になる以外に道のない農家の次三男対策として大きな活路を開いたのは、「満蒙開拓」であった。この「 貧困対策」が大東亜戦争・太平洋戦争への推進力となっていくことは言うまでもない。
昭和大恐慌の後の1934、35年(昭和9、10)の東北を襲った冷害、〔東北凶作〕では、山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集め、木の実や草の根を食糧とせざるをえない家庭や、芸妓(げいぎ)、娼妓(しょうぎ)、酌婦、女給になった身売りする娘、欠食児童の数が急増しました。
一言では言い表せない時代
前[風よあらしよ]の記事を書いた時に話しましたが、私は近代史は学校の授業では駆け足で習ったので、本当に近代史の話は余りに駆け足だった為記憶にほとんどなくて、知っていても昭和大恐慌位しか覚えていなかったのですが、今回この記事を書くのに時代背景を調べて、特に身売りする娘さんの話に、言葉を失いました。これが約100年前に起こっていた現実とは受け止めきれなくて、、、
言論統制も締め付けが厳しかったのですね。今はネット社会、何処からでも何かあれば発信される時代ですが、約100年前はネットは無くてもそれが規制されていた。約100年前と真逆な今の日本、不思議ですね。
原作を読んだ事がないので分かっていないのですが、どこまで昭和の貧困や弾圧などを、このドラマでは描くのでしょうか?毎年8月のNHKは戦前・戦時中のドラマ放送を続けていますが、今回も考えさせられる良質なドラマになっていると思います。今色々な事が起きている世界で、平和について考えてみませんか?
noteでも書いています。よければ読んで下さい。
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