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アルコール依存の家族を持つ私の飲酒歴
私の父、そして妹は、アルコール依存症です。
父は、数年前に亡くなりましたが、妹はまだ施設に入院している状態です。
私は、そんな二人を見てアルコールにだけは、依存するものかと思い、「買い物依存症」になってしまった過去がありますが、そんな私も昔はお酒が大好きでよく飲んでいたのです。
【買い物依存の記事】
元々は、キッチン・ドリンカー
私は、元々キッチン・ドリンカーでした。キッチン・ドリンカーとは、
わが国ではまだまだ女性の飲酒については世間の目は厳しいため、自分の“城”である台所での飲酒となりやすく、誰も気がつかないうちに問題飲酒が進行していきます。
このような飲酒者を“キッチン・ドリンカー”とよび、女性アルコール依存症のうちもっとも増えているものです。
このように、キッチン(台所)で飲酒することのことを呼びます。
家族の夕ご飯を作るのが役目だった私は、お酒を飲みながら料理をすることが当たり前でした。
これは、後々知ったのですが、アルコール依存に陥りやすい飲み方で、飲酒が常習化しやすくなります。
当たり前のように、缶チューハイ片手に料理をしている私を見て、家族は何も言いませんでした。
私の中では、気合の一杯というか、よし!がんばるぞ!と自分のガソリンの代わりに飲んでいました。
キッチンドリンカーと呼ばれる人たちは、私のように料理をしながら飲酒というのが、常習化しているという情報をチラホラと読みました。
「自制」ができるうちは大丈夫ですが、飲酒と一緒にストレスなどを抱えると、「アルコール依存になりやすい」状態になることがあります。
私はAC(アダルトチルドレン)で、何かしらにも依存症に陥りやすい体質であったのです。
精神薬と一緒に飲むように
キッチン以外では飲まなかった私ですが、そのうち精神的に辛くなると、当時貰っていた精神薬と一緒にお酒を飲むようになりました。そうすると、あっという間に気を失うように、眠れるのです。
辛いことや、観たくない現実から逃げるにはとてもいい方法だと思っていました。
そうして、人生ではじめての自殺未遂をすることになります。お酒と薬を大量に飲み、病院に運ばれたのです。
お酒をやめる決心
病院に運ばれた私ですが、色々な事情があり、そのまま退院することになり、フラフラの状態で家に帰りました。「何やってるんだろう。」というのが私の最初の感想でした。
それからしばらくして、妹のアルコール依存症が発覚したのです。お酒を飲んで、薬を飲んで、人とは思えないような行動をする妹を見ていて恐ろしくなりました。
私もあのままお酒と薬を飲み続けていたら。
「お酒はやめよう。」その時、決心しました。
それから10数年たちます。
お酒を完全にやめたのかと聞かれたら「いいえ。」です。
たまに飲みたくなった時に、缶チューハイを1本だけ、お酒の席で誘われたときも1杯だけと決めて飲んでいます。
回数も、半年に2~3回ほどしか飲酒しません。
最後に
たぶん、私の中には「アルコール依存症」のきっかけが潜んでいるのかもしれません。
それをどれくらいコントロールできるのかが肝心なところになってきます。
今は、よい病院と主治医に出会い、仕事も順調にできています。このままの生活を続けることができれば、私はアルコールに逃げることはないと思います。
キッチンドリンカーのみなさん、お酒の量は増えてませんか?
私が伝えたいことは、お酒で解決できることは何もありません。それだけです。
参考サイト
〈依存症等の問題〉女性アルコール依存症の特徴(心の健康について)[京都府精神保健福祉総合センター]
ごく普通の主婦が危ない!依存症の一種・キッチンドリンカーとは? | 35style(サンゴスタイル)
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