宝物は多い方がいい!~ツワブキ日記~

ぬいぐるみ

この記事は約 8 分で読むことができます。

突然ですが、あなたには、大事なものはありますか?

あなたには、大事な人はいますか?

例えばハマっているゲーム、例えば繰り返し読んでいる本

例えば気の置けない友人、例えば家族

どんな些細なものでも良いです。そうした「あなただけの宝物」を、出来るだけたくさん抱えてください。

その方が良いことがある、と私は考えています。

今回は、私が「宝物は多い方がいい!」と考えている理由についてお話出来ればと思います。

ツワブキの大切な人

私にとって大切な人は、たくさんいます。なので、ざっくりと挙げていくことにします。

まずは、家族。そして親戚。両親、弟、いとこたち、おじやおば、それから祖父母。中には亡くなってしまった人もいるけれど、大切じゃなくなった訳はありません。

なぜ大切なのかと言われても、説明は難しいのですが、私は家族や親戚たちのことが好きです。私は実家から遠く離れた場所に住んでいるので、時勢のこともあって滅多に会うことはできませんが、その分会えるときを楽しみにしているのです。

強いて好きな理由を挙げるとするなら、私は彼らにたくさん迷惑をかけましたが、縁を切らないでいてくれるからでしょうか。

嫌だった、関わりたくなかったこともきっとあると思います。それでも見捨てないでいてくれたことに、私は感謝しているのです。

恋人のことも、とても大切です。そろそろ8年ほどの付き合いになるでしょうか。

私が自分の障害について知るより前から、変わらず付き合い続けてくれる人です。

彼についても、なぜ大切なのかと言われても説明が難しいですが、やっぱり見捨てないで一緒に居続けてくれたことに、私は感謝しています

加えて、私の趣味を否定せず、好きにさせてくれているところを良いと感じます。

あとは、友人たちのことも勿論大切に思っています。

私の場合、学校や職場を通して知り合った友人よりも、ネット上で知り合った友人の方が多いので、大多数の友人とは実際に会ったことはないか、数えるほどしか会ったことがありません。それどころか顔も本名も知らないこともざらにあります。

しかし、趣味が合い、話も合う人ばかりです。よく一緒に遊んでくれますし、通話を繋いでぐだぐだと喋りながら何か作業をしたり、ゲームをしたりといった日常は、友人たちのおかげで成り立っています。

そして、お互いに何かあれば相談したり、アドバイスを貰ったりも出来るので、物理的な距離が近くないだけで、普通の友人関係が築けていると私は思っています。

どんな繫がりの人との時間も、私にとっては大切で、宝物です。

ツワブキの大切なもの

大切なもの、これも実にたくさんあります。またざっくりと挙げていこうと思います。

まずはやっぱり、ゲーム。何はともあれ、ゲーム。

スマホアプリなどのソーシャルゲームの類も、SwitchやPS4などの家庭用ゲームの類も、以前の記事でお話したTRPGをはじめとするアナログゲームの類も、とにかく私が興味を持っているもの全て、私の宝物です。

もう二度と触れてはいけない、と言われたら本当に生きていけない気すらしています。

なので、絶対に依存症だとは言われないように生活しよう、と心に決めている程度には、ゲームが大好きです。

ここでは「ゲーム」とひとくくりにしていますが、具体的に答えようと思えばゲームソフトやTRPGルールブックの名前を数十は言える自信があります。現在持っているものだけでなく、興味があるもの、買いたいと思っているものも宝物候補なので、大切なものは増えるばかりです。勿論、長いので具体名はここには載せません。

漫画やアニメも、私の宝物のひとつです。好きな漫画は? 好きなアニメは? と聞かれても、「いっぱいあります」としか答えられないほど、好きなものが多くなってしまいました。

以前は興味がある分野のものばかり見ていましたが、主に同居している恋人の影響で、今まで見てこなかったジャンルのものもぼんやりと見るようになり、更に好きが広がってしまった気がしています。

好きなものが増えると世界が広がるので、全く悪いことではないんですけどね!

大切だから、依存する。

ざっくりと挙げただけですが、ツワブキには大切な人、大切なものがいっぱいある、ということが伝わったでしょうか。

たくさんの宝物。そのすべてに対して、私は少しずつ「依存」している、と自分で思っています。自覚がある訳ではありませんが、そういうものである、と認識しています

これは私に限らず、全ての人間がそうなのではないか、というのが持論です。

大切なもの、大切な人に対して、人間は少なからず「依存」する。

ある特定の物品に対して強く「依存」すれば、依存症と呼ばれる状態になるでしょう。

ある特定の人間に対して強く「依存」すれば、その人間との関係がこじれたり壊れたりする結果を招くでしょう。

勿論、望んで依存症になりたい人はいませんし、望んで大切な人との関係を壊したい人もいないでしょう。

しかし、数少ない大切なもの、大切な人に、あまり依存してはいけないということ。

そんなことは分かっていても、なかなか「依存」するのを止めるのは難しいのではないでしょうか。心の拠り所にもできないし、頼ることもできないということになりますよね。

ひとつも心の拠り所がなかったら、頼れるものがなかったら、人間は生きていけません。

しかし、実際に「依存」をしてしまうと、周りも自分も傷つく結果を招きかねないのは事実です。

かつて、私には、家族にさえ心を開ききれない時期がありました。

自分の障害のことに気づいていなかった、中学・高校時代の話です。

私は、当時仲の良かった友達にかなり依存した状態にありました。その友人にばかり、負担をかけ過ぎたのです。最終的に、その友人との関係は壊れてしまいました。

私の「依存」が友人関係を壊してしまったのです。

だったら、どうすれば良かったんだろうかと考えました。

誰も大事だと思わず、依存しないように、好きにならないように生きる?

私が得た解のひとつは、それとは真逆の事でした。

依存先を増やせばいいんだ!

支えがたくさんあると、「ほどほど」になれる

依存先を増やす」とはつまりどういうことかというと、「大切な人、大切なものを増やす」ということになります。

どうしたって「依存」してしまうなら、たくさんのもの、たくさんの人に「依存」してしまえばいいのです。

解決になっていないような…? と感じるかもしれませんが、構わず持論を展開していこうと思います。

例えば、1本のゲームを心の拠り所にした場合と、10本のゲームを心の拠り所にした場合。

1本だけの場合、その1本が壊れてしまったら、心の拠り所はなくなってしまいます。

しかし、10本あった場合、1本壊れてもまだ9本あります。もちろん、ひとつひとつ別の価値があって、別の大切さがあると思うので、悲しい思いをすることにはなるでしょう。

でも、心の拠り所自体は失わないと思います。まだ大切なもの、好きなものが手元に残っているのですから。

「依存先」は「支え」と読み替えても良いと思います。

1個だけの支えより、支えが多い方が安定するに決まっています。

人間の心も同じです。支えが多ければ多いほど、依存先が多ければ多いほど、そのすべてにちょっとずつ「依存」することが出来るのです。

「依存」し過ぎるから悪いのであって、ちょびっとずつ「依存」するのなら何の問題もないはずです。

自立した人、という表現を聞くことがありますが、それはつまり、色んなものにほどほどに依存することで、何かに強く依存しなくて済む状態である人、ということなのではないでしょうか。

私はそんな風に考えているわけです。

宝物を増やそう!

自分にとって大事なもの、大切なもの、宝物が多いほど、自立に近づく

ツワブキはそのように考えているわけですが、これは別に無理やり何かを好きになろう!というお話ではありません。勿論、友達100人作ろう!というお話でもありません。

だって私、無理して宝物を増やしたことはないですし。友達100人とか、いないですし。

そして別に、精神的にすごく自立した人間であるつもりもないです。

ただ、そのようになりたいとは考えていて、そうなるにはどうしたらいいかを考えているだけです。

まずは新しい何かを好意的に捉えてみる、それだけでも良いのではないでしょうか。

ASDを持つ私は何かにつけて変化を恐れ、嫌がってしまいますが、新しい何かに出会えるというのは、宝物が出来るチャンスでもあるのです。勿論できないこともありますが、それで何か損する訳でなし。

無駄足に終わることを考えるより、何に出会えるだろうと考えた方がワクワクしませんか?

依存しないのは無理だけど

何かを好きにならないように一生を過ごすなんて、無理な話です。

そして、好きになった宝物に依存しないようにすることも、私には無理です。

でも、好きなもの、大切なもの、宝物を増やすことで、ひとつひとつに対する依存の度合いを下げることは、私にもできます。

たくさんの宝物があれば、もし好きなもの、大切なものが壊れてしまったり、なくなってしまったりしても、他の宝物が私を支えてくれます。

宝物は多い方がいい。大切なものは多い方がいい。

だって、それらの輝きが、私を自立に向かわせてくれるのですから。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

HOME

ぬいぐるみ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。