誰も傷つけない笑いについて考える

傷つけない笑い

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友達への出産祝い

「ジュリちゃん(仮名)、ご出産おめでとう!!

お祝いを送りました。無事届いたかな。

実はわたくし、国民的人気の某猫型ロボット様と縁があり、その猫型ロボット様のポケットから特別にあるアイテムを入手いたしました。

それが今ジュリちゃんが手に取っているものだよ。

開けてみて。

そして、赤ちゃんにつけてみて。

ほうら、不思議。

もともと可愛いひまわりちゃん(仮名)が、ますます可愛く見えて、思わず抱きしめたくなるほど愛が溢れ出しちゃう魔法のヨダレカケだよ。

ジャジャン♪「親バカ最強ヨダレカケ〜」←あの青いお方風の口調で(笑)」

なーんてメッセージと共に友達に出産祝いを贈りました。もちろんヨダレカケはあの有名猫型ロボット様のアイテムではなく、普通の日本製のヨダレカケです。ただ、赤ちゃんに似合うようになるべく可愛いのを選びました。親が自分の赤ちゃんが可愛いのは当たり前だし、それを思いっきりイジってみただけなんですけどね。友達は笑ってました。

私が考える誰も傷つけない笑いってこんな感じですなるべく誰も傷つけないように人を笑わせようとするとだいたい子供騙しみたいなことばかり言うようになります。それはそれで周囲の人間にアイツらガキくさいと馬鹿にされてましたけどね。

 

誰も傷つけないようにと心を砕く笑いと、誰も彼もを無意識に傷つけてしまう笑い

そしてそれは、日本という国が世界の面前にさらされるオリンピックによって如実に浮かび上がる事態になってしまいました。

女性とお笑い

オリンピックの演出統括者が女性タレントを豚に見立てて「オリンピッグ」とあだ名をつけて呼び、彼女に豚の耳をつけさせて開会式に登場させる提案をしていたことが、彼女の容姿を侮辱した笑いだ、性差別だと連日報道されていましたね。LINEのグループチャットでその提案をしていたらしく、グループのメンバーらは即時に否定し、不適切だと伝えたといいます。

私にしてみれば、彼女は確かに大きな体をしていてユーモラスな風貌をしているけど、開放的な色気を感じるし、何より色彩感覚に優れていてインスタグラムの写真も完成度が高く、充魅力的な女性だと思います。彼女本人が納得してオリンピッグ」なるキャラクターに扮装して開会式に出演していいと思うのならそれはそれでいいように思いますが、多くの体の大きな女性を傷つけることになるかもしれません。オリンピックの開会式は世界中の子供達が見るに堪えるものを作るべきだです。体の大きな女性はこんな扮装をさせられて笑い者にしていいという、人を見下した感情が見え隠れしているのがモヤモヤとした不快感を私たちに与えていると思います。こんなことが当たり前だと子供たちに思われたくありませし、真似して欲しくありません。日本の代表として世界に発信するに値するべきものかは疑問が残ります。

1990年代からの日本の笑い

オリンピック開閉式の演出家も開会式前日に解任されましたね。彼が活躍していた1990年代くらいって良くも悪くも刺激的なものを求めていた時代だったと思います。

今では見かけませんが、当時ドイツの軍服を模したデザインのシャツを着ている日本人男性がいました。外国の方がそれを見て苦笑いしていたのを覚えています。ナチスドイツを連想させるって。もちろん、その外国の方は日本人男性がナチスドイツに心酔してそのシャツを着ているわけではなく、ただのファッションで着ていることは理解していましたけど。それだけ無自覚、無神経でいられた時代でもありました。

さらに、彼のコントで引きこもりを揶揄するようなものもありました。それを見て、弱者に優しくない容赦しない笑いだなと感じたのを覚えています。

その延長線上にユダヤ人のホロコーストを揶揄した笑いもあったんだと思います。世界的な悲劇の一つを使って刺激的な笑いを取りたかったのかもしれないけど、当事者のことを考えていない、あまりにも心ない笑いですよね。日本人だって外国の方に原爆を揶揄するようなことをされたら怒りを覚えるし、悲しいです。立場を交換して考えてみればわかることです。

ただ、もう少し付け加えるならば当時はパソコンの普及はまだ発展途上状態であり、気軽に世界と繋がるツールがなく、外国はもっと遠い存在でした。過去の映像がいつでも見られるようなYouTubeもなかったのでその場で安易に笑いを取れればそれでいいという空気がありました。笑いは消費されればすぐなくなるものという認識がありました。

昨今でも、バラエティー番組を見ていたんですが、出題されたクイズに高齢の男性が早押しボタンを押して「赤紙が来る。召集令状が来る。」ってトンチンカンな解答して大笑いされていました。

しかしその一方で、ドキュメンタリー番組で見たのですが、戦争孤児だった過酷な記憶に苛まれるため、少年時代に生活していた駅にいまだに立ち入ることができないという高齢の男性もいます。この方はモザイクがかかり、音声も変えられ、匿名でご自分の話をされていました。現在でも戦争で受けた深い傷に苦しんでいる人々は存在しています。その方達にとって前者の男性の笑いがどう映っていたのか知りたいものです。

傷を負った当事者たちがさらに傷つくことがないように情報を発信することはまだまだ課題がありそうです。

SNSの発展により浮かび上がった声

オリンピックで開会式の楽曲担当のミュージシャンも辞任されましたね。彼の過去の雑誌のインタビューでの発言はあまりにも酷い内容で読むのは大変辛かったです。一体これの何が面白くて雑誌に掲載されていたのか、誰がこんな内容読んで喜ぶのか、全く意図がわかりません。不愉快極まりないということしか感じませんでした。書かれた内容がどこまで事実かわかりませんが、はっきり言えることはこれはマスメディアに載せる内容ではありません。

音楽雑誌というマスメディアがそのような障害者の情報を発信していた1990年代当時、実際に障害を持つ人たちがどのように情報を発信していたかというとミニコミ誌というものを独自で作っていました。それは学級新聞みたいなもので身内だけで細々と情報を交換していました。私も当時いろいろなミニコミ誌を読みましたが、障害を持った方達の赤裸々な悩みを知り、ショックを受けたことを覚えています。

国民の声

現在のSNS上では、今回のオリンピックでの騒動について日本国民のみなさんの思いを簡単に知ることができる時代になりました。一部抜粋すると、

このオリンピック絡みの一連の騒動を子供達と見て、「他人を傷つければ、いつか自分に返ってくる」と言うことを話しました。

今他人を傷付けるようなことをしている人達に対する抑止力になることを望みます。

手塚治虫が「どんなに強烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、断じて茶化してはならない。」と言っていたのを思い出した。

そもそも、携わらせる前の身辺調査だよね、五輪憲章に反するこんなことを過去にしませんでしたか?の本人他人への聞き取りなんかしてないんだろう、

五輪憲章なんて読んでないんだろうね。そうとしか思えない。

読んだのに、俺は相応しくない過去がある、とピント来なかったのか?

私は携わるクリエイターが、五輪憲章を理解してなかったと思うよ。

十人十色、感じ方はみんな違う。

五輪開催にポリシーがないから、矛盾だらけで殺伐とした雰囲気になる。

五輪選手は、望まれない大会中、コロナに怯え、規則だらけの環境で、本領も発揮できずに言葉ない。

コロナもさることながら、五輪貴族の存在が致命的であり、今後の五輪におもいきった組織改革を望む。

もうさ各国代表一名だけで行進して開会挨拶終わったら即選手村に退出でいいじゃん。

無駄に国民の税金かける意味すらわからないのにこの騒動だ。

やるなら徹底的に簡素にしなよ。

変なパフォーマンスも要らん

引用:Yahoo!ニュース「五輪開会式まであと40時間切る 今度は開閉会式演出・小林氏を解任 ネット上『そして誰もいなくなった』

https://news.yahoo.co.jp/articles/da4063237091173b4d61b673a029d12a3334dc4b/comments

とありました。

 

そもそも五輪憲章の中にも

オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。

オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する

 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。

引用:JOC 公益財団法人日本オリンピック委員会

https://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

という記述があり、オリンピックとはあくまで選手が主役であるはずなのに、どういう基準で演出家を選んだのかさっぱりわかりません。皮肉にも世界的な大会であるオリンピックによって、問題点が浮き彫りになり、SNSが発達した現代になり、今まで抹殺されていた声なき声が届くようになったのは一歩前進した感じがします。

ただ、SNSには副作用もあり、開会式の楽曲を辞任したミュージシャンの息子さんのTwitterが荒らされるのは見当違いでないかと思います。

終わりに

私も後輩女性に「でも、Aさんは大食いだからね。」って冗談で言ったらすごく憤慨した顔をされました。

どうやらデブキャラ扱いされたと怒っていたらしいです。私としては彼女は若くて痩せていて可愛らしいのでそのようなことを言っても冗談として成立すると考えていました。

また、冒頭で紹介した出産祝いのエピソードも友達は笑ってはくれていましたが、子育て大変なのに人の気も知らないでって思っている可能性もあります。

コミュニケーションについて勉強したことがあります。相手も自分も対等に大切にすることがコミュニケーションの基本だそうです。笑いに対しても同様のことが言えます。私たちは相手を思いやった発言をするべきであり、発言によって相手に傷つけられたなら率直にそのことを相手に伝えられる関係を作っていくべきです。そして、もし相手を傷つける言葉を発してしまったら、誠心誠意謝罪してその傷つけた言葉を背負いながら日々謙虚に生きていくしかありません。

笑いはコミュニケーションの潤滑油してとても有効なものでもあります。今一度、誰も傷つけない笑いについて諦めずに考えていくことが今後の課題だと思います。

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