【トロフィーハンティング】映画『サファリ』に見る問題点とは?

トロフィーハンティング

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 私は最近ドキュメンタリー映画「サファリ」を見ました。

 この映画は最近問題になっているトロフィーハンティングというスポーツを追ったドキュメントです。

 トロフィーハンティングとは、動物を銃で撃ち殺した後にポーズをさせ写真を撮りSNSにアップしたり、動物の角や剥製いわゆる戦利品(トロフィー)を持ち帰るスポーツです。

 

 今コレが物議を呼んでおり、社会的批判が大きくなってます。

1.トロフィーハンティングの問題とは何なのか

大きく3つに分けてみました。

3つの問題点
・狩猟は撃ち殺した動物を食べたりするが、トロフィーハンティングはあくまで達成感を得る事が目的。

・ライオンやキリンが人気であり生態系が崩れてしまう危惧。ライオンは1993~2014年までに個体数が3分の2も減ったというデータもある。

・トロフィーハンティングを許可している国は24ヶ国。ハンターは増え続け現在は約18500人いる。経済効果は約217億円。

 もちろん国で認められている合法な趣味です。そんな富裕層の娯楽を追っていくのが「サファリ」です。

2.ハンター達の一喜一憂

 「サファリ」では数名のハンターに密着をして獲物に狙いをつけ、シーンとした空間に銃声が響き渡ります。

 動物を撃ち殺すというのも見慣れないが何よりショッキングだったのが、動物を撃った後にハグやキスをして褒め合ったり涙を流したり、お互いを認め合う行動をした後に死んだ動物にポーズをさせ、笑顔で写真を撮る。この一連の不気味さは衝撃的でした。

 

 中でも1番ショッキングだったのは、軽く説明するとハンティングファミリーがキリンを撃って駆け寄るとまだキリンは生きていて必死に立とうとするが、首に力が入らず何度も立とうとします。トドメを刺そうともう1発撃とうとするとガイドが「撃つな」と一言。やがてキリンは力尽きその様子を見ていた妻が「ショックだわ」と涙交じりに。

 ガイドはなぜ撃つなと言ったのかは撃たれた衝撃でアドレナリンが放出し、逃げられてしまうからだと。その時ある事に気付きます。仲間のキリンが遠くの茂みからこっちの様子を伺っていて「まぁこっちを見ているわ」とさっき泣いていた妻も家族と微笑みながら、仲間のキリンを見て去っていきます。

 非常にショッキングで不愉快でした。どっちかと言うと憤りに近いでしょうか。

 家族の大切さを知っている人間が家族や仲間のいるキリンを殺し、その一部始終見ていたもう1匹のキリンはどういう気持ちで見ていたのでしょうか? 人間がこちらを見て笑っているのを見て去るキリンはこの後どうしていくのでしょうか?

 もちろん人類は生きていく為に動物を殺し、食べていかなければなりません。

 しかしトロフィーハンティングは食べるわけでもなく、欲望のまま動物を殺し正当化していいんでしょうか。法を守れば、お金を払えば動物を殺してその記念写真を堂々とSNSにあげてもよいのでしょうか?

3.ハンターの反論

 「観光客の2か月分のお金をハンターは7日間で使う。それぐらい貢献している」

 「動物を無差別に殺しているワケではなく、病気や老いた動物を殺す事で繫殖の手助けをしている」

 「大量虐殺をしているのは食肉工場の方では?」

 「なぜ動物を殺す理由を説明しなければならない?合法だろ?」

 最後にハンター側がこんな事を言って映画は終わります。

 「人はいつか死ぬ。命に限りがある。環境にたいしても動物にたいしても。人類が無くなればこの世界はもっと良くなるだろう。」

 かなり矛盾した一言ですけど僕なりに考えた結果、頭で分かっているがもう止められないという事ではないでしょうか? 一度覚えた快感はなかなか忘れられません。

4.感想

 「サファリ」を見るまでは人間と動物の共存をあまり考えた事はなく、この機会に色々調べてみると、日本ではシカとイノシシの個体数が増えすぎて、害獣扱いになっています。シカが有名な奈良では、農作物の被害額は約5000万円で殺処分するほかありません。

 目的はトロフィーハンティングと違い人間が生きていくために仕方ない事ですが、結果は殺しています。

 「サファリ」では人類と動物の共存という永遠のテーマを考えさせられる映画でした。

(参考)『サファリ(2016)』 (監督) ウルリッヒ・ザイドル

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