涙色の花束

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令和元年6月。
祖母が亡くなった。

私と母は、祖母の最後を看取る事が出来なかった。
間に合わなかったのだ。

病院に着いたときは、既に祖母は息を引き取っていた。

祖母と私の思い出は少ない。祖母は、私が3歳の時にくも膜下出血で倒れた。
それから、祖母は、色々な事が分からなくなってしまった。

唯一覚えている思い出がある。
ピアノが得意だった祖母。
ピアノでクラシックを弾いていた。
私と母がそれに合わせて、踊っている…。
私はとても楽しかった。
思い出はそれだけだ。

祖母は、倒れてからというもの、ずっと老人ホームで過ごすことになった。
私達は、たまに彼女の老人ホームを訪れては、色々彼女に話しかけた。
だけど、ほとんどの言葉を、彼女はあまり分かっていないようだった。

でも、母が私の事を指さして「この子の事を覚えている?」と聞くといつも頷いた。
下の兄弟の事も同じように聞くのに、私の事だけいつも頷いてくれた。
私はそれがちょっぴり自慢げだった。
嬉しかった。

それから月日が流れて、祖母が肺炎になった、と聞いた。
病院を転院した祖母のところに家族で向かった。
病室で、祖母がゼーゼー言っていた。
とても苦しそうだったのに、私は何故か何も感じなかった。
現実感が全く湧かず、これが事実だと思えなかったからだ。
妹は、遠くの駅から電車でわざわざ駆けつけて、何度もお見舞いしているというのに、私はほとんどお見舞いをしなかった。

祖母が危ない。
電話が入って、お母さんが慌てていた。
病室に横たわる亡くなった、冷たくなった祖母の姿を見た時に、初めて私は現実感が湧いてきた。
それから、親に隠れて毎晩泣いた。
失って初めて知る愛というものを、私は知った。

お葬式の前日。
私は、彼女が大好きな花を花束にして棺桶に入れる事に決めた。
天神まで行って、お気に入りの花屋さんで大きな花束を作ってもらった。
店員さんは、事情を話すととても優しくて、手紙を付けれますよ、と教えてくれた。
花屋の脇に置かれたテーブルで、私は一生懸命、『最後の手紙』を書いた。
あまりお見舞いに行けなくてごめんなさい、それから大好きだと書いた。

祖母の棺桶の前に立っていると、宇多田ヒカルの『花束を君に』が頭を流れた。
そうしたら、老人ホームで帰ろうとしている私達に笑顔で手を降ってくれた祖母とか、笑っている祖母とか、そういう小さい思い出が駆け巡って、私は泣いてしまった。

火葬場で、彼女のお骨は、パンケーキのような甘いにおいがした。
母にその事を話したら、「おばあちゃんは甘いものが大好きだったからね」と言った。

そうして、私の令和元年の夏は終わった。
私は、彼女が亡くなってから、とてもいい事が続いている。
もしかしたら、天国で彼女が守ってくれてるのかな。そんな風に思った。
だけど、天国があろうとなかろうと、確実に彼女は私の中で永遠に生き続ける。
私は、彼女が亡くなってから、天国があるとかないとかどうでも良くなった。
そうやって、誰かの心に人は生き続ける事を知ったから。

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