これまで私が生きてきた人生とは・・・

狼

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 私がこの世に生まれて長い人生を歩いてきました。いいことも悪いことも私の生きてきた証で気づかないうちに自分が弱くなっていました。今の私は「何を信じていけばいいのか?」わからなくなっていたのです。そのことに気づいたのもいつか忘れてしまっていました。

そこで、これまでいきてきたことについて書こうと思います。

幼少の頃から学童期にあがるまで

私は人に馴染めなくて話をするのもたいへんでした。人見知りで声をかけることも話にもついていけないのに、どうしてか話がしたいという気持ちはあったようです。その頃は、話を聞いて話に加わることはありませんでした。あのころどんな気持ちだったのか?忘れてしまいました。とても寂しい思いを抱えていたのでしょう。

小学生の頃

小学校にあがって同じ学年の友だちになれたか?というと、私にはその記憶がありません。人と関わるのが下手だったから「人がどう思っていたのか?」と聞かれると、ひと言わからないと答えているでしょう。学校もいつのまにか嫌いになり、いじめにもあっていたことも影響があるのです。

そんなことがこのあとも続くので、行きたくはなかったのが学校でした!

中学校の頃

相変わらず学校でのいじめは続いていました。男子によるものが主だったが、苦痛を感じていたのかそれもわかりません。女子はそれなりに仲良くしてくれていたのかときかれると、やっぱり思い出せないでいます。

クラブ活動中だったと思うけど、誰が言ったか覚えてないが「全員終わった」ということに対して、「終わってない人がいるよ」と言われたと思う。その時、人の心はそんなことでも傷つけることになると、言われた先輩がいました。

その時、私はなにも感じていなかったようです。

それまで学校生活で楽しいと思えたのは、ある友人と出会って仲良くなった時です。その友人の影響で「TAKARAZUKA」にはまりました。

「TAKARAZUKA」を見に行かなかったのは、地元を離れた時と20代後半になってからです。それまでは、福岡まで地方公演を見に行っていました。

高校の頃

私は高校受験なんてどうでもいいと思っていましたが、高校にあがると別の友人とあうのです。中学の時と違って、心で本音を話して言葉はその時々の話題にふれることができました。辛いことはそのまま続いても、私の曇った心は晴れることもなく早く土曜日がこないかなぁ!と待ち遠しかったのをかすかに覚えています。

高校生の時のその友人を亡くして、部活と気力を失くしていったように思います。

ここでも素敵な先輩に出会うなんて思いもよらなかった。いつもきらきらしていて、目標に向かっているその姿は、とてもまぶしくてうらやましく思っていたのかもしれません。

頼もしい後輩もここであったのです。

卒業を境に地元を離れたけど

「ここでの重苦しい生活」「嫌いだった学校生活」「嫌いだった家」すべてから解放されたくて、私が選んだのは県外でできるだけ遠くにいくことでした。干渉もなく1人の時間に憧れていたのかもしれません。それでも長続きがしなかったけど、楽しい時間はいっぱいとれていたと思います。

地元に戻ってきてからは

地元と都会の違いは、次の電車がくるまでの待ち時間の差なのかもしれません。地元には駅周辺に何もなく、行きたい場所にはバスか車が必要になるし待ち時間があることも嫌いでした。そんな地元に長く住んでいても車の免許まで気がまわらずいて、自分の時間がいつしか待ち時間にとられることが嫌で、「車の免許をとろう」と決心したのです。

学生の頃にいじめを受けていたこともあって「同窓会の連絡」で行きたくないと伝えたけど、でてきてほしいというので1人じゃ無理だったので、友人の1人に声をかけてなんとかでました。

その時に、「あの頃のことを謝らせる」からと他の人が話を言ってきましたが、起きてしまったことをなかったことにはできません。できるなら辛い思いをしたことを消したいです。

私が障害者となって

この病気になってから私はもっとやりたいことがありました。そのすべてを諦めるしかなく、また、私が変わったのは利用したあげくに騙されたことが、いつしか心を開くことや信じることが怖くなってしまったのです。

その他にも家族が関わると私はいつもイライラして、情緒不安定になって眠れなくなっていることに気がついたのです。だいぶたってから、「私は私」「兄弟も他人」という言葉を繰り返していくうちに、ようやくいまにたどり着きました。

これからの人生をどう生きていくのかわからないけど、自信もない、夢もない、希望が持てない中で、自分を見つめ直せるかどうか不安なのです。

まとめ

これまで私にさまざまなできごとが降りかかってもそのつど対処できたのに、いつの間にか心がささくれだっていることに気づいた時には遅かったのです。人を信じられていた頃はどんなことも許せていて、それでもいいんじゃない!と言い聞かせることもできました。

それが、今では変化も進化も求めなくなり自分の殻にいるほうが、不安や心配から逃れているのです。

いまでは、自分すらも信じられないことが起きてしまったのでした。言葉を発する時のエネルギーも必要以上に使うし、辛いという言葉や自分の心を話すことはとても辛い。これを書くのも本当はしんどくて参ってしまうかもしれません。

過去の私に会えるならどう乗り越えてきたのか聞きたいことばかりです!

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ABOUTこの記事をかいた人

私は関節リウマチになっていろいろな制限があります。その他にも困難なこともありますが、今その時々を楽しむように頑張っています。読書に風景・動植物にいやされています。