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皆さんは、もし自身のお腹の中にいる愛するお子さんに障害があることが判った時、どうお感じになるでしょうか?今回お話を伺った太田恵理子さんは、そんな人生の岐路に突然立たされた一人のお母さんです。
太田さんが妊娠6ヶ月の時に、お腹の中にいる赤ちゃんに「水頭症」という、脳に水が溜まって、脳の動きが悪くなる病気があることが判明。名も知らない病名に絶望を味わい、出産後翌日には手術を行い、その後も療育やリハビリに時間を費やし、どん底を経験されてきました。
さらには、育休を経て、復帰しようとすると、障がいがあるからとどこも受け入れてもらえず、自分のキャリアも収入も突然閉ざされ、また絶望を味わいました。そんな悔しさから「入れる保育園がないなら自分で作る!」と保育園を自分でつくることを決意。
創業2年の時に2.2億円の融資を受け、現在のゆずりは保育園を2022年に開園。現在は、保育園や児童発達支援事業所、小児訪問看護など「障がい児が生まれても絶望しない社会にすること」をミッションに活動を行っています。

株式会社ハビリテ代表 太田恵理子さん
今日はそんな太田さんから、その時々にどんなことを感じたのか、またそこからどのようなきっかけで現在のゆずりは保育園を立ち上げたのか、❝おやこを照らす光に❞という理念の先に何を成し遂げようとされているのかについて、詳しくお話を伺いました。
ぜひ最後までご覧ください!
お子さんに『水頭症』があることを知った時の心境について
「普通に生まれてくるものと思っていたので、青天の霹靂でした。にわかに信じられなくて、先生の言葉も入ってこなくて、頭の中は真っ白でした」
妊娠6か月の時にお子さんに「水頭症」の診断が下された際の心境を、太田さんはこのように振り返りました。
「水頭症」を聞いたことすらなく、どんな漢字を書くのかもわからないところからのスタート。
診察室を出てからお会計までの間、「水頭症」で調べると出てくるのは「死亡する子供もいる」「障害が残る子もいる」「その予後は分からない」など、当時の太田さんにとって見たくないようなネガティブな言葉ばかりだったと言います。
妊娠中のエコー画像で見た脳が、真っ黒な水ばかりしか映っておらず、先生からも「これはかなりの重度です」「このままお腹の中で死んでしまうかもしれない」「無事生まれたとしても自分で呼吸ができないかもしれない」と告げられ、絶望的な気持ちに陥りました。
子育て中に感じたむなしさときつさ
お子さんが生まれてからも、苦労は絶えません。生後4か月の間ずっとNICUに入院しているお子さんに毎日母乳を届けるため、自分でアラームをかけて、3時間おきに搾乳をしていたそうです。
気付けば「3時間おきに搾乳しないと、母乳が止まって息子が死んでしまう」という強迫観念に囚われていました。
夜の10時に搾乳した後は、午前1時、4時と、太田さんの睡眠は2時間の細切れに。
搾乳自体も消毒や片付けと準備で、30分から1時間ほどかかります。
搾乳や準備をしながら、「多分他の家族って、赤ちゃんの泣き声で起きるんだろうな」「泣き声で起きて、それで母乳が出るんだろうな」と感じ、自分がアラームで起きて授乳してことに、むなしさときつさを感じ、その時が1番辛かったそうです。
株式会社ハビリテ立ち上げまでのストーリー
太田さんは2018年に合同会社ハビリテ(現:株式会社ハビリテ)を立ち上げました。
その決意に至るには、絶望に対する怒りや、気づきを得た出来事があったと言います。
リハビリや付き添いで、自分の時間が取れない
お子さんが生後6か月ぐらいの時にリハビリに通うようになりますが、子供のリハビリをしてくれる施設は非常に少なく、片道40分も掛けてリハビリに通っていたそうです。
「生後6か月のリハビリは、最初は手のひらや足の裏のマッサージからスタートします。現在はその大切さや順序の大切さも理解していますが、余裕のない当時の私にとっては、この為に片道40分かけて通い、授乳も含むと半日ぐらい拘束されることが、大きな負担になっていました」
児童発達支援事業所に通わせるために施設を探しても、『2・3歳になってから』『歩けるようになってから』という制約があるところがほとんどで、0歳から入れる施設は全くなかったそうです。ようやく入れたのは、母親が5時間付き添いで通園する、母子同伴スタイルの施設。
当時の太田さんは、1週間が息子さんのリハビリと児童発達支援の母子同伴に追われ、自分の時間が取れないことに疲弊していました。
入れられる保育園が見つからず、仕事を辞める事態に
また、保育園に入れなくて、仕事を辞めざるを得ない状況に陥ります。
当時太田さんはメーカーの営業職をしており、職場復帰を目指し保育園を探していました。
「水頭症」の手術をして体内に管が入っていて、その管があることにより息子さんの命は救われているのですが、ぶつけてはいけなかったり、磁石を近付けてはいけないという制約がありました。
そのことを保育園側に伝えると、『リスクがあるから』『前例がないから』と軒並み断られてしまい、仕事を辞めざるを得ず、2回目の絶望を味わい、社会から切り離されたような感覚になっていました。
「なぜ自分の意図しない、外部環境でこんなに私の人生が狂わされ、変えられなくてはいけないのか」と、大きな憤りを感じ、それが起業に至った一番大きな転機だったと当時を振り返りました。
テレビで見た別のママの行動も刺激に
「仕事が続けられない」「私これからどうやって生きていきたいんだろう」と思っていた頃、『保育園に落ちた日本〇ね!』とテレビで騒ぎになっていました。
同じ時期に保育園に落ちた別のママが、『ないんだったら自分で作ろうと、保育園を作りました』ということがテレビで話題になり、「なるほど!ないんだったら自分で作ったらいいのか」と、稲妻が走り、「じゃあ自分で作ろう!」と太田さんも動きはじめます。
「ゆずりは保育園」開園までの道のり
現在のゆずりは保育園を2022年に開園させるまでの道のりについてもお話を伺いました。
保育園を建てるために、2億2000万を借り入れ
創業してまだ2年半で、当時の年商は6000万。保育園を建てるためには、1年間に稼ぐ金額の4倍に近い金額を借り入れしなくてはなりませんでした。
未知の領域に投資するという決断をした時は、本当に震えたそうです。
そこからやると決めてからも、銀行からの融資は難しく、最終的に愛媛と香川の銀行での融資が決まったそうです。
「本気でやるって決めたらなんでもできる、不可能はないということを実感できた出来事でした。大変でしたが、今の人生にとって大きな糧になっています」
太田さんは起業後、保育士資格を取得されたほか、ゆずりは保育園設立に向けたクラウドファンディングにも挑戦するなど、精力的に動いていきます。
従業員との衝突も
自分たちの置かれた状況への憤りからスタートした事業も、それだけでは上手くいかず、創業当初は社員達とも上手くいかなかったそうです。
『太田さんが何をしたいのか分からない』
『どこに向かってるのか分からない』
『太田さんがぶれずにいてくれたら、こんなことならなかった』
社員達からもそんな厳しい声が寄せられることも。
「その時に、私が変わらないと、何も良くならないという現実を思い知り、『何の為にこの事業やるのか』という目的をとことん追求しました。
そこで ❝おやこを照らす光に❞という理念が生まれて、やっと私の行動や考え方に筋道が1本通りました。なんの為にやっているかがはっきり言語化できたので、そこから迷わなくなり、そのために自分自身の人生を、命を燃やしています。」
❝おやこを照らす光に❞の理念がうまれたきっかけ
❝おやこを照らす光に❞という理念となる言葉がうまれたきっかけについてもお話を伺いました。
当時、息子さんの「水頭症」をインターネットで調べても、ネガティブなことしか出てこず、本当に気が滅入るだけだったそうです。落ち込んでる時に、たまたまInstagramで「#水頭症」と検索すると、同じ「水頭症」と診断されても、元気に生きているお子さんとそのご家族を見つけました。
「その時に私の中に一筋の光がさし、『希望の光だ』と感じて夢中でそのママさんにDMを送りました。『私の息子も水頭症と診断されて、凄くショックで不安なんです。』という内容に凄く共感してくれて、同じ立場の方が共感してくれるだけで、こんなに心が癒えるんだないうのを、その時に凄く実感しました」
そこから太田さんは同じような境遇のママさん達と繋がっていき、Instagram上で交流をしていくことで、心はどんどん癒えていったそうです。
最初は誰かに伝えたいというよりも、自身の気持ちの整理や記録のために始めたInstagramでしたが、「次は私が息子のこの経過を発信する側になりたい」と投稿を続けるうちに、逆にDMをもらうようになりました。
『私の子供も「水頭症」って言われたけど、息子君の成長を見て凄い希望を持てました』
『太田さんとマサキ君は希望の光です』
そんなDMをもらううちに、太田さん自身が癒やされていく感覚があり、 ❝おやこを照らす光に❞が理念になったと当時を振り返りました。
「目の前の人を支援することによって、私自身も辛かった傷ついた気持ちが癒されていくことに気がつきました。障害を宣告されて、絶望的な気持ちになっているご家族に、希望の光を届けられる存在でありたい。そういった想いを持って事業をしています」
息子さんの存在に気づかされたこと
また、「息子の存在は凄く大きかった」と振り返りました。
息子さんが妊娠6か月の時に病気を宣告され、NICUで入院してる間、生後4か月ぐらいは毎日ほぼ寝ていて、意識もあるのかわからず、全身管だらけで心電図の音で生きているのが分かるような状態だったそうです。

太田さんの息子さん
「それでも毎日2回面会に行く時に、今日も生きてる。今日も生きてくれてた。ただ生きてるだけで、こんなにありがたい、こんなに尊いんだということを実感しました。
それと同時に『私自身もいつこんな風に全身管に繋がれて、動けなくなるかも分からないな』と思いました。例えばうちの親も、いつこうなるか分からないと感じた時に、『1分1秒が惜しい、やりたいこと全部やって悔いなく死にたい』と思うようになりました。それが行動力の源になっていると思います。」
息子さんの病気を宣告されたのが、妊娠6か月と5日の時。それは堕胎中絶をできる『妊娠6か月と0日』のリミットから5日過ぎた状態でした。それも病院側の都合で、実は検診が1週間後ろ倒しになっており、本来なら、宣告の1週間前に検診が入ってたそうです。
「もしも予定通りに検診が行われていたなら、あと5日でこの息子の命を堕ろすかどうかを決めないといけませんでした。本当にしなくてよかったと思っていますが、あのショックな画像を見たらどうしていたか分からないなと思います。
息子は本当に今生かされていて、それによって私自身の人生も大きく変わっているので、息子の存在が1番の原動力です」
前編はここまでです。
後編は全国初のリハビリ付き認可保育園「ゆずりは保育園」の取り組みや理念の先に目指すことなどを伺っていきますので、ぜひご覧ください!
後編はこちらから
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