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わたしは「解離性障害」という病気を持っています。
他にも発達障害(ASD)を持っています。
解離性障害は「幼少期のトラウマ」が原因でなる方も多いようです。
わたしはA型事業所で働く中で
「解離性障害を理解されない」
という壁に突き当たりました。
しかし徐々に『わたしにとっての素敵な打開策』が見えてきたので、共有いたします。
この記事では
働く上で、障害を理解される・理解する
とはどういうことか?書いております。
読んだ後に「こういう人もいるんだなあ」と一例として参考になると思います。
※ここから書くのは個人的な話です。
解離性障害当事者の方がみる場合は、これが正解と思わず、あくまで「こんな人もいるのかあ」とほんの少しの参考程度に思っていて欲しいです。
また他の障害の方、障害をお持ちでない方も「そんな人もいるなあ」という気持ちで見てもらえると助かります🙏
理解されていないな、と感じる場面

「解離性障害を理解されていないなあ」と思うこと。
日常のいろいろな場面であります。
でも、わたしの通っているA型事業所はあまりそんなことはあまりありませんでした。
支援員さんたちは、それぞれ福祉やその道のプロ。
TANOSHIKAの支援員さんは、プロフェッショナルが揃っているんです。
それでも最初の頃は、支援員さんとの面談で「難しいな」と思うところがありました。
それはわたしだけでなく、支援員さん達側もそうだったんじゃないかなあ、と思います。
例えば、わたしが解離性障害のことを打ち明けて、支援員さんが同調してくれて、さらに解離が進み、症状が進んでしまう、ということも起きていた気がします。
また、この病気の原因は幼少期のトラウマまで遡るため、面談で「幼少期のトラウマ」を話し自分自身が気持ちが悪くなったりもしていました。
病院によると
「解離性障害という病のことは、たとえ福祉の人でも、よくわかっている人は少ない」
ということでした。
わたしでさえ自分の病気をよくわかっていないのですから、他人がわかるわけないよな、と思います。
また解離性障害は一部の人にとっては
「アニメや漫画の世界の話でしょ?」
「そんなの本当にあるのか?」
という人もいるようです。
わたしのA型事業所の支援員さんにそんな人は一人もいませんが、やはり「そう思う人がいるのはしょうがないのかな」とも思ってしまいます。
なぜならわたし自身がこの病気の診断がつく前は、そんな偏見を持っていた気がするからです。(今考えると最低です。今は思っておりません!)
わたしが主治医と事業所と決めたこと

しかしそうは言っても、日常生活の半分以上を過ごす事業所で「理解されない」というのは苦しかったです。
つまり、病院以外でわたしの病気を理解している人が皆無ということと等しいからです…。
孤独感の渦の中にいました。
そこで主治医と事業所とわたしで話し合い、こんなルールを決めました。
「あくまで事業所ではもうひとつの障害、発達障害の特性の観点からみてもらい、解離性障害の面では介入しない」
という、ある意味さっぱりとしたルールです。
例えば
「あの人に嫌われているかもしれない」
とわたしが相談したとします。あくまで例ですが。
今までなら、わたしが話したことに基づき
「幼少期のトラウマが原因なんだね」
と言われておりましたが、そこを
「発達障害の特性でこだわりやすさからきている考えすぎかもしれませんよ、こういう考え方が楽になるかも」
と教えてもらうという感じ。
そのルールを決めてから、わたしの中で何かが変わりました。
さっぱりとした気分で割り切ることができたと思います。
一見、冷たいルールですが、わたしにとってはよかったです。
あくまでここは仕事場・職場である。
あの頃のトラウマの痛みと、今現在を上手にケジメをつけて切り離すこともできた気がします。
一方の支援員さんたちも少しわたしを見やすくなったのではないか、と思います。
主治医と話し合いをしてくれたA型事業所TANOSHIKAには感謝しかありません。
障害を100%理解されようとすることよりも、大切だと思ったこと。

これは解離性障害だけでなく、
「自分の障害のことを知らない人に、100%理解されることは不可能かな」
と個人的には思います。
賛否あると思います。あくまで個人的には、です。
それはたとえ相手が福祉関係の方やA型事業所の支援員さんであってもです。
一見すると残念かもしれません。
ただ、わたしの場合ですが、無理に「理解してもらおう」とそこに全労力を注ぐより
どうやったら社会とうまくやれるか?
どうやったらわたし自身が楽に働けるか?
どうやったら苦しまず人生を過ごせるか?
そこに時間とパワーを使った方が、ゆくゆくの自分のためになるかなあ、なんて考えております。
「理解されたい!」
「誤解されている!」
「馬鹿にされているのでは?」
という感情も0ではない。
正直、ありますが、所詮人間同士ですから、まるまる100%相手に理解されるのは無理ではないか、と思うのです。
それは障害を持っていない人同士でもそうではないでしょうか?
相手のことを100%理解する・されることが難しいと思ったことがあるのではないでしょうか?
もちろん、お互いを理解しよう、という姿勢はとても大切だと思います!
ただ理解されるのは「60%」くらいだったら上出来くらいにしておこうと、個人的には思っております。
100%の理解を求めると、お互いつらくなるし苦しいからです。
あくまで一例として参考になると嬉しいです!
ただしわたしも知ってもらう最低限の努力はしようと思っています。
それがゆくゆくは同じ解離性障害を抱えている後輩たちの道になる気もするからです。
押し付けにならない範囲で…。という塩梅が難しいところです。
手始めに、配慮事項を相手のために書く、ということもしてみました。
この記事は、あくまでこんな一例があるんだ〜と参考にしてくれる程度で構いません。
特に解離性障害の方にはそういう姿勢でこの記事を思ってくれたら嬉しいです。
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