【寄稿】「フリーランスは甘え」なんて思わないで。

デスクでパソコン作業をしている女性

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いつもAKARIの記事をご覧いただき、ありがとうございます。
編集長の島川です。先日、フリーランスのライターをされている、米澤 菜保(なぽまる)さんより、AKARIへの寄稿をいただきました。以下が普段米澤さんが更新されているnoteです。
ぜひ最後までご覧いただければと思います!

https://note.com/note_naponnmaru/n/n56e392441a08

皆さん、こんにちは。

突然ですが、私は現在、フリーランスの管理栄養士ライターとして活動しています。開業届を提出してから、今年で丸3年を迎えました。

この話をすると、「それまでどのようなお仕事をされていたのですか?」と聞かれることがあります。以前は、特別養護老人ホームや急性期病院、そして障害者福祉施設などで勤務していました。

そんな私がフリーランスとして働く道を選んだのには、ある「理由」があります。

今回は、その理由について皆さんにお話ししたいと思います。

はじめに

私が転職した回数は2回です。

1回目は適応障害、2回目はうつ病と、それに伴う低音性難聴、そして軽度のパニック障害を患ったことが理由でした。

そう。私がフリーランスを選んだ大きな理由は、心が壊れて会社で働けなくなったからです。

当時、私に優しい言葉をかけてくれる人は誰もいませんでした。

「やっほ!」と明るく声をかけてくれる同僚はいましたが、「どうしたの?」「元気ないね」と気づいてくれる人はいなかったのです。

あれほど毎日顔を合わせていたのに、少しは変化に気づいてほしかった—–

そう思うのは、わがままかもしれません。

精神的な病気は、風邪のように外から分かる症状が出ません。だから本人だけが静かに苦しみ続けます。

当時は実家で暮らしていましたが、両親でさえ私の異変に気づきませんでした。強がって平気なフリをしていたせいかもしれません。言葉にできないほど辛く、理由もわからず涙があふれる日々。そんな中で思ったのは—-「どうして、ここまで苦しまなければいけなかったのだろう」ということでした。

新卒で入った職場で適応障害を経験

調理をしている女性

無事に管理栄養士国家試験に合格し、「やっと管理栄養士として働ける」と喜んでいた22歳の私。新卒で就職したのは給食委託会社で、配属先は急性期病院でした。

この職場でつらかったのは、何が起きても誰も助けてくれなかったことです。右も左も分からない新人の私にとって、現場の仕組みも人間関係も手探りでした。

厨房では皆が自分の仕事に精一杯で、朝の挨拶以外に声をかけてくれる人はいません。

聞こえるのは機械音と包丁の音だけ。

昼休憩も無言で、私はスマートフォンを片手に部屋の隅で黙々と昼食をとっていました。

本当はおしゃべりが好きで、会話に入りたい気持ちは強くありました。でも、厨房に入ると表情が一変する人たちが怖くて、一度も輪に入ることができませんでした。

数ヶ月後、私は特別養護老人ホームへの異動を命じられました。

お通夜のような職場から離れられることにほっとしましたが、次の現場も決して楽ではありませんでした。

入居者とデイサービス利用者を合わせると1食250〜300食。食形態やアレルギー、個別対応の確認など、覚えることが山のようで、頭は常にパンク寸前でした。

それでも、この職場には明るい救いがありました。5歳年上の先輩が丁寧に仕事を教えてくださり、会話も楽しく、本当のお姉さんのような存在でした。

先輩は勤務時間が短く会える日も少なかったのですが、同じシフトの日は朝から楽しみで仕方なかったです。

厳しいことを言われる日もありましたが、落ち込む私に「ごめんね、言いすぎちゃったね。でもなほちゃん本当に覚えるの早いね」と優しく声をかけてくださる方でした。

しかし、その先輩以外の人間関係は厳しいものでした。

特に一回り年上のベテラン栄養士さんは、美しい方でしたが、言葉にとても棘のある人でした。

「正社員なんだから自己管理をしなさい」などと、体調が悪くても容赦のない言葉を浴びせられる日々。

次第にその人の顔を見るだけで息が詰まるようになり、出勤するのが怖くなっていきました。

気づけば「体調不良」で休む日が増え、会社からも「最近休みが多いけど大丈夫?」と連絡が来るようになりました。

勇気を出して本当の理由を話しましたが、「みんな頑張ってるからさ」とだけ言われ、電話は終わりました。このままではもう無理だと思い、精神科を受診。

結果は適応障害でした。

医師から「休職か退職かを選びましょう」と言われ、悩んだ末に退職を決意しました。

退職の連絡は怖かったですが、思い切って総務に伝えました。

よく頑張ったね、私。次の職場では、どうかうまくいきますように。

転職先では低音性難聴・うつ病・パニック障害を同時に経験

委託給食会社を退職した後、私は県外の障害者福祉施設へ転職しました。

新卒で入社した委託給食会社では、栄養士とほとんど同じ業務内容だったため、「せっかく管理栄養士の資格を持っているのに、なぜここにいるんだろう」とモヤモヤしていました。

そこで、資格をしっかり活かせる直営施設への転職を決意したのです。

ところが、転職早々に問題が起こりました。

私が入社したタイミングで、前任の管理栄養士さんが家庭の事情で退職されたため、入社したばかりの私がいきなり栄養課課長、つまり厨房責任者になってしまったのです。

当然、入居者の名前や既往歴も覚えきれておらず、そこに課長業務や月末書類、報告書などが次々と押し寄せました。

さらに、厨房や施設でのインシデント報告、パートさんのミスや後輩の発注ミスの対応まで私の責任。関係なくても施設長に頭を下げる日々でした。

施設長は比較的穏やかな方で、「この前の献立、良かったよ」と声をかけてくださることもありました。

しかし副施設長からは「厨房どうなってるの!?」「もっと責任感を持って!」と連日怒られ、心が休まることはありませんでした。

直属の先輩もおらず、相談できる相手がいない中、介護課や医療課の人たちの愚痴を聞く役に回ることも多く、「私の話も聞いてほしいのに」と何度も思いました。

そんな毎日を過ごすうちに、朝になると心臓が締めつけられるような痛みを感じるようになり、職場へ向かう足が重くなっていきました。

ある朝、起きたときに右耳に異変を感じました。いままでに経験したことのない感覚で、「ボーン、ボーン」という低い音と一緒に自分の声が響いて聞こえるのです。

「変だな」と思い耳鼻科を受診すると、診断は“低音性難聴”。原因ははっきりしませんでしたが、「おそらくストレスが大きいかもしれません」と言われました。

苦い薬を飲みながら治療に専念しつつも、私は仕事を休むことができず、毎日職場へ通い続けていました。

車で職場の駐車場まで行っても、玄関まで進めず、上司の顔を思い出すだけで息が苦しくなることもありました。

それでも休めば嫌味を言われるため、どんなに体調が悪くても出勤を続けました。

気づけば体重は入社時より5〜7kg減り、4時から21時まで働く生活の中で、食事をとる余裕もなくなっていました。

限界を感じながらも「休むと怒られる」と思い、精神科へ行くことをためらっていた私。

そんな時、高校時代の友人に紹介され、心理カウンセラーさんに話を聞いてもらうことにしました。

初めは緊張していましたが、「大丈夫ですよ。ゆっくり話してね」と優しく声をかけてもらい、私は今までのことをすべて打ち明けました。

途中で涙が止まらなくなりましたが、カウンセラーさんは静かにティッシュを差し出してくれました。

1時間ほど話したあと、「なほさんにはお休みが必要です。このままでは危険です。病院で診断書をもらってください」と言われました。

勇気を出して精神科を受診した結果、診断はうつ病。

さらに、治ったと思っていた低音性難聴の再発と、うつ病から軽度のパニック障害も併発していることが分かりました。

医師と相談のうえ、1ヶ月の休職を決意。「仕事のことは一切考えず、自分の好きなことだけをして過ごしましょう」と言われましたが、急に時間ができても落ち着かないのが正直な気持ちでした。

休職中、私はこれからの働き方を考えました。

「私は集団で働くより、一人でコツコツ進める仕事のほうが合っているのでは?」

そんな時、ふと目にとまったのが“Webライター”という言葉でした。調べてみると、自分のペースで働ける仕事であり、管理栄養士としての知識も活かせそうだと感じました。

「この仕事なら、私と同じように悩んでいる人を救えるかもしれない」

そう思い、私はWebライターとしての道を歩み始めました。

さいごに

パソコンを持ち微笑む女性

生きることは辛いことも多く、楽しいことばかりではありません。

今だから言えますが、22歳から25歳の頃の私は、何度も「もう生きたくない」と思っていました。 正直、「〇んだ方が楽じゃないか」と考えたこともあります。

この記事を読んでいる方の中にも、かつての私と同じ気持ちの方がいるかもしれません。

でも、どうか少しだけ立ち止まってください。

あなたがいなくなったら、必ず悲しむ人がいます。「そんな人いない」と思うかもしれませんが、誰か一人はあなたの存在を大切に思っています。

その人を残して本当にいなくなってしまっていいのでしょうか。

仕事をする上で、給料や人間関係など気になることは多いですが、どんなに待遇が良くても、心や体を壊してまで働く場所である必要はありません。

私も以前は人間関係ばかり気にしていた結果、笑うことを忘れ、適応障害や鬱病、低音性難聴、パニック障害を患いました。

ですが、フリーランスとして働くようになってから、少しずつ笑顔を取り戻しました。

今でも人混みが怖くなったり、初対面の人に緊張したりしますが、以前よりずっと前向きに生きられています。

現在はフリーランスの管理栄養士Webライターとして、オンラインで栄養指導や記事執筆をしています。自分のペースで働けるこの環境が、私には合っていると感じています。

この記事を読んでくださったあなた、そしてあなたの大切な人が、少しでも楽になりますように。一緒に、少しずつ前を向いて生きていきましょう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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