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凍結精子の記事を読んで思い出したこと
りんごいくらです🍎🩸
最近、最高裁で「性別変更後に凍結精子で生まれた子との親子関係を認める」というニュースを読みました。
命の可能性を未来に残すという選択が、社会の中で少しずつ形になっているのだと感じました。
この記事を読み、私は11年前の自分を思い出しました。
(参考元 : (朝日新聞) 女性に性別移行後、凍結精子で娘出生「親子と認めて」最高裁の訴え 2024年5月31日)
本文は未授精卵子凍結保存を選んだこと、AYA世代と妊孕性について、今思うこと、を記入している闘病記です。
私が未授精卵子凍結保存を選んだ理由
25歳のときに急性前骨髄球性白血病(APL)を再発し、自家造血幹細胞移植を受けました。
移植前には致死量の大量抗がん剤治療を行います。
その副作用の一つが「妊孕性(将来子どもをもつ力)の喪失」です。
担当医から、
「移植治療前にタイミングが合えば卵子を凍結保存する選択肢もあります」
と説明を受けました。
正直、ぐるぐる悩みました。
・彼氏もいないのに意味あるの?
・将来誰かに伝えたとき、どう思われる?
・私は母親になれなくなるの?
でも同時に、
「まずは自家造血幹細胞移植を乗り越えて、元気に復職し働きたい」
という気持ちも強くありました。
悩み続けた私を支えてくれたのは、同世代の研修医でした。
一生懸命、不妊治療専門医を探してくれて、道をつないでくれました。
そして私は、未受精卵子11個を凍結保存しました。
その後、自家移植を乗り越え、退院しました。
AYA世代と妊孕(ニンヨウ)性
AYA世代(思春期・若年成人)は、進学・就職・恋愛・結婚など人生の転換期にあります。
その時期にがんと診断されると、治療だけでなく「将来設計」も同時に揺らぎます。
妊孕性温存は、すべての人が選べるわけではありません。
治療の緊急性や体調、経済面など条件はさまざまです。
私が治療を受けた2015年当時は、今ほど支援制度も整っていませんでした。
現在は公的助成も拡充され、選択肢は広がっています。
毎年に届く【凍結依頼書】に未受精卵子の保存を継続の可否を記入し不妊治療クリニックへ返送しています。
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画像引用元:(聖マリアンナ医科大学病院) 妊孕性温存療法の方法について
今、思うこと
未授精卵子凍結は「子どもを必ず持つ」という決意ではありません。
「未来の可能性を少しだけ残しておく」という選択でした。
毎年届く保存継続の書類にサインをするたび、
あのとき悩み抜いた自分を思い出します。
小児・AYA世代のがん患者とその家族にとって、
妊孕性と向き合うこともまた治療の一部なのだと思います。
命を守る治療と、
未来を残す選択。
その両方が語られる社会であってほしいと願っています。
妊孕性は贅沢な話ではなく、治療と同時に考える“医療課題”です。
知らなかったでは済まない選択肢があることを、同じ治療を受ける人に伝えたい。
今、思うこと(追記)
25歳で凍結保存した卵子。
毎年届く更新書類。
29歳で再発治療中、その書類が届いたとき、
私は「更新しない」と返送しました。
2回も自家・他家造血幹細胞移植をして、また再発した自分(平均寿命よりまた短くなった)。
もし、子どもが生まれても、
もしも、また再発ばかりの私が早く死んだら、子どもが残されてしまい かわいそうだと思いました。
当時の自分は今年死ぬかもな、の状況でしたので。
だからこそ、自分の卵子にサヨナラできた部分もあります。
これは私個人の選択で、どの選択が正しいという話ではありません。
退院後、
不妊治療クリニックを訪ね、
クリニック先生に直接お手紙✉を渡しました。
「私の卵子は、体外受精の研究や練習に利用してください。
必要としている方に渡してください。
誰かの力になれるなら、それが一番です。」
そう書いた記憶があります。
あのときの29歳私は、
“母になる可能性”よりも、
“誰かの未来に役立つこと”を選びました。
今振り返ると、
それもまた、治療の中での一つの選択でした。
私にとっての妊孕性の選択は、希望だけでなく、また再発するかもの恐怖とも向き合う決断でした。
軽くはないな ちゃんちゃん
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2021年度から手厚いサポートが増えています、小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業👏
また、この妊孕性に関する技術は向上し、AYAがん患者サポートに留まらずに、少子化に向け一般社会人にも適応され拡がっていますね。
参考元:(厚生労働省):小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業
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