『血縁のない大家族』ひとり親家庭の自立を支援する中村路子さんが目指す、実家より実家な場所、じじっかとは?(前編)

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「『血縁のない大家族』ってテーマを持っていて、血縁がなくても家族になれると思っています。」そう力強く語ったのは、中村路子さん。

一般社団法人umau.の代表であり、自身も二児を抱えるシングルマザーです。

3人の母子家庭同士の話の中からはじまった取り組みから、今や全国から視察が訪れるまでの活動に、熱意を持って様々な課題と立ち向かって発展させてこられました。

umau.合同会社を立ち上げられてからは、フードバンクと連携した食材配達や、じじっかでの親子食堂、子ども見守り事業など、様々な取り組みをされ、2020年度には地域再生大賞優秀賞を受賞され、NHKからも取材を受けられています。

今回は、そんな路子さん達が支援の拠点としている「じじっか」を舞台に、前半では路子さんより、これまでのあゆみや活動の手応えについて。

後編は、じじっかとTANOSHIKA、両方に通い、自分の体験談を一冊の絵本「やっと手に入れたしあわせ」として出版した、楓(かえで)さんにもお話を伺い、作品に込めた想いや、じじっかの今後の展望などのお話も聞けました。

我々取材班がじじっかに到着し、一歩足を踏み入れると、本当に実家のような空気感で、事務所に来たというよりは、友人の家に遊びに来たような、リラックスできる空間が広がっていました。

路子さんとは、普段皆さんでご飯を食べている食卓を囲んでの取材となりました。

初対面でしたが、昔からの知り合いのように非常にくだけた雰囲気で、周りの人をリラックスさせてくれる空気をまとっておられました。

記事の中では、そんなお人柄が伝わるように、親しみを込めて、いつも皆さんから呼ばれている『路子さん』で、お名前を表記させていただきます。

ぜひ、最後まで御覧になってください!

今回取材をしたライターは、saladどんはれ編集長の島川です。

じじっかの活動や、路子さんの考える『実家』について

2階の手すりにあるじじっか看板とドア入口の様子

じじっかは主に、経済的な困難やDV、その他さまざまな事情で入所されたお母さんと子どもに対して、心身と生活を安定するための相談・援助を進めながら、自立を支援しています。

現在登録をしている方が330世帯以上で、人数で言うと1000人ほど。

母子家庭の当事者団体から始まっていることもあり、6割ぐらいはひとり親家庭の方々が多いそうです。

路子さん「結構年齢層は幅広くて、もうすぐ赤ちゃんが生まれる若いママから、独身の男の子達20~30代の男の子達も来ますし、高齢で今お1人になられた男性の方とかも利用されています。来てくださってる方の中で、一番上の方で86歳の方がいらっしゃったりとか、子育て世代ではない世代も含め、色んな方がご利用していただけるようになってきました。」

じじっかのような『居場所』を求める方は、何もひとり親家庭だけではありません。

路子さんは多様な困りごとを抱える人々に居場所を提供し、食卓を囲んだり、一緒に過ごしたり、必要な福祉とつなげたりと、力になれることを探しています。

養護施設の出身の方も、掲げてはいないものの、繋げてもらうこともあるそうです。

路子さんの考える「実家」とはどのような場所かを尋ねると、「安心してもらいたい」と答えた後に、こう続けられました。

安心って何かなって考えると、どんな状況にある人でも、どんなことをしたとしても『疎外感を感じない場所』が私の中では実家で、居心地がいいとか安心するっていう言葉の奥には、自分が「ここにいていいのかな?」「外されないかな?」と感じないというか、苦手な人がいることでの居心地の悪さとかは、あるかもしれないけど、周りからの疎外感を感じない場所をここでは作りたいって思っています。」

居場所を求める人たちにとって、自分がここにいていいと思えることは、何にも代えがたいことだと思います。ここに通う中で、初めてそうした感覚を持てた方も、中にはおられるのではないかと聞いていて感じたお話でした。

ライターsaladからの結婚に関する以下の質問への回答も興味深かったです。

salad:私自身が機能不全家族で育ち、10代の頃から親が機能していませんでした。
そのせいなのか、結婚して家族をもつということがイメージできません。
じじっかさんの利用者さんで結婚をされた方などいらっしゃいますか?

路子さんはい、再婚した方がいます。
離婚して子供が2人いる状態で彼氏ができて、ここで結婚式をしましたね。

今子供が双子ちゃんと、その下に1人生まれたから、今は子供が5人の家族で、ご主人とも上手くいって、 今頑張っています。

また、じじっかに子供として来てた子が、結婚したりとか、今妊婦さんだったりとかもするし、成立はしなかったんですけど、お見合いとかも何回かしました。

そこは両方シングルで父子家庭と母子家庭で、ご縁が欲しいっていうことだったから、お見合いみたいな形を取りました。

私自身も母子家庭で、親1人子1人で妹がいたけど、妹は父親の方についてって、母親が妹を手放してしまったから、ずっと泣いて、暗い感じで母子寮(※補足①)で二人暮らしをしていたんですよ。

結婚していた時に、向こうのご両親とか、夫に「母子家庭で父親像が分からないから、私が男の人をたてきれないとか、家庭のイメージがつかないから、できないんだ」って言われたことがありました。

その時にめちゃくちゃショック受けて、自分の幼少期の背景とか環境が大人になってイメージがつかないっていう気持ちは、凄く分かる。凄く分かるけど、そこに囚われなくても、新たなイメージは自分で作っていけるし、 そこは一緒に乗り越えましょう。 

ご自分も周囲の理解や支援が得られなかったり、環境に悩んだ過去を持つからこそ、同じような身の上の方がどんなことに困るのか、どんな言葉をかけて欲しいのかが、よくわかるのだと思わせられました。

補足①:母子寮(母子生活支援施設)とは?

母子生活支援施設は、児童福祉法に定められた施設で、子育てするお母さんの生活と自立を支えていく施設です。
18歳未満の子どもを養育している母子家庭、または何らかの事情で離婚の届出ができないなど、母子家庭に準じる家庭の女性が、子どもと一緒に利用できる施設です。(特別な事情がある場合、例外的に入所中の子どもが満20歳になるまで利用が可能です。)
引用元:母子生活支援施設について|福岡県母子生活支援施設協議会

「クリスマスが寂しい」活動を始めるきっかけとなった、衝撃を受けた言葉

ショルダーバッグを持つ母親とランドセルを背負う女の子の後ろ姿

そんな中村さんに、2014年から母子支援の活動を始められたきっかけとなる出来事について、改めて伺いました。

路子さんは当時21歳で結婚後、長男・次男を出産し、4年間の結婚生活を経て離婚。

1歳と3歳のお子さんとの3人暮らしが始まり、近くに母達はいたものの、働きながら子供2人を育てて行く中で、働いても働いても、子育てと両立がなかなかうまくできない状態にあり、保育園の転園、転職、引っ越しなど時期に、転機がありました。

保育園で仲良くなった母子家庭のお母さん達の中に、『とにかくクリスマスが寂しい』と話す、小学生1年生ぐらいの娘さんと2人暮らしをされている方がいたそうです。

「車はあるから、キラキラなイルミネーションは見るけど、それが逆に寂しくなって遊びにも行けないし、子供がサンタさんに手紙書くんだけど、それを買ってあげられない。
娘は、学校でいっぱい「サンタさん来る?」とか、「プレゼント何?」とかいう話に、わくわくしながら答えているんだろうけど、サンタさんへの手紙の願いを叶えてあげられない。
日本中が煌びやかになる季節に、自分は家の中でテーブルで2人でちっちゃいケーキを囲んでいる光景を見て、「自分は、娘を寂しがらせている」と感じて、娘の願いを叶えてあげられなくて、クリスマスが寂しいっちゃんね。」と。

母子家庭で育った路子さんも、「クリスマスが寂しい」っていう感覚を味わったことがなくて、その言葉に衝撃を受けたそうです。

それから路子さんは、「クリスマスって一瞬で楽しくできる気がする。」と、何人かの母子家庭のお母さんと集まり、場所を借りて、プレゼントとか手巻き寿司を作って、みんなでクリスマスパーティーをしたそうです。

その時は団体を立ち上げて活動することは考えておられなかったそうですが、定期的に流しそうめん会、たこ焼きパーティー、バーベキューなどを開催しているうちに、活動みたいに自然となっていった、というのがきっかけだと語られていました。

『血縁のない大家族』を実感した、父子家庭のお子さんとの出来事

森の中にいる父親と息子の影絵

「『血縁のない大家族』ってテーマを持っていて、血縁がなくても家族になれると思っています。」

これまでの活動の中で、特に印象的な出来事を尋ねると、しばらく考えてそう切り出した路子さんの口から語られたのは、ある小学3年生のお子さんがいる父子家庭のご家庭との忘れられないエピソードでした。

「お父さんが夜中に脳梗塞で急に倒れて、息子さんが救急車を呼んで、運ばれる姿を見ていて、お父さんは無事にリハビリしながら、良くなっていたんですけど、その息子さんから数か月後に電話がかかってきました。

「あのね路子(みちこ)、もしパパがいなくなったら俺どうなると?もしパパが死んだらさ、おれ児相(児童相談所)に行かないと?」って尋ねられたので、「そうやね」って、言ったら「おれ、路子達と一緒に居たい。」って言ってくれて。「もちろん居れるけん!」って、私そん時ぐーっと来て。

やっぱりちっちゃいながらにも、父親が目の前で救急車で運ばれて、自分も乗っていって、お父さんが死ぬかもしれないっていう危機感の中で、そうやってちゃんと自分の口で、言ってくれるっていうことが本当の家族かなと思って、家族に少しでもなれていることが分かった瞬間でした。」

今はそうした事態にあった時に備えて、JR久留米駅の近くにシェアハウスを構え、受け入れ態勢を整えているそうです。

「それもその子との出来事がスタートで、私の原点になっています。」と熱を込めてお話しくださいました。

10年の活動で感じる、世間や周囲の母子家庭支援の環境の変化について

リビングでインタビューを受ける中村路子さん

活動を始める前と現在で、世間や路子さんの周囲の母子家庭支援の環境に、どのような変化があったかを尋ねると、「だいぶ変わりましたね。みんなが優しくなってきました」と、感慨深げに振り返りました。

じじっかで真剣に活動を始めて、借りている場所の家賃や光熱費の支払いなど経営的な部分と、この場所に新しい人達が増えてきてくれる度に、じじっかの皆さんなりに真剣に向き合ってきたことに対し、市の職員さん達が優しくなっていったそうです。

また、路子さんのお母様も、「自分の子もいるのに他人の子の面倒を見れる状態か。」と心配をされたそうですが、取材を受けたり、新聞に掲載される中で、路子さん達がしている活動を身近に感じて、世のために動いていることを理解し始めてきてくれてからが、本当にスピード出して活動をしていけるようになったと、嬉しそうに述懐されました。

少し意外に感じたのが、そのあとに出てきた「実は私、この活動を福祉と思ってなくて。」という路子さんのお話でした。

母子家庭支援に取り組む中で、「居場所がいる」と感じてじじっかを作られて、当時子ども食堂が増えていたこともあり、「私達は『親子食堂』だね」とご飯会をするなど、福祉という感覚がなく活動されていましたが、次第に活動が「福祉」と言われ始めたそうです。

福祉って専門職の人の様な、知識がある人や大学に行った特定の人が関わるもの、かわいそうな人を助けるみたいなイメージが強くあって、なんとなくあんまり好きじゃなかったんです。」

そう振り返る路子さんですが、活動を通じて福祉を改めて学んだり、様々な専門職の人達と関わる中で、支援を受けている人達も、受けるだけでなく、自分も人の役に立とうと思っている方がたくさんいることや、今人の手が必要なだけで、明日は誰かの助けになっているのを間近で見てきたことで、考えが変化したそうです。

「『福祉って、勉強した誰かが、今きつい人を助けるっていう片側通行の構図だけかな』という印象が、『住んでいる全員、生きている人達全てに関わるのが福祉』という印象に私の中でゴロっと変わりました。」と、当時を振り返っておられました。

路子さんの周りの母子家庭の環境については、「じじっかがあってよかった」と、周りの人たちは言ってくれるそうですが、一緒にその母子家庭の人達と一緒に感じたいのは、さらにその先にあるそうです。

「1番変わったのが、私も2人子どもがいて、育ててきましたけど、今は子どもがいっぱいいるんです。多分2人だけ育てていく人生だったら、2人分の感動しかないんですけど、子供の人数分、感動が増えたっていうのが、1番の財産。金持ちになるより、いい車に乗るよりも、1番の財産っていうところに自信があります。」と力強く語られました。

「じじっかで関わっている子ども達は、100人ぐらいですけど、その子達が例えば賞を取ったとか、部活で成果が出たとか、苦しんでいたのが立ち上がれるようになったとか、そういうのを一緒に考えてやらせてもらう時に、自分の子じゃないのに、本当に涙が出てくるし嬉しくなるし、どんだけでも時間を使ってやろうってなるのを、他のお母さん達とも、もっともっと感じ取れるようになりたい。」

自分の子だけじゃなくって、ここにいる子達に対して、感動が生まれるようになるっていうのは、最終ゴールでもあり、今皆で感じてること」と、力を込めました。

100人の貧困家庭の脱出(3分の1生活)の目指す姿と感じる課題

空の財布を下に向けている様子

じじっかさんには、活動の中で目標に挙げられていることがあります。

それが、『100人の貧困家庭の脱出(3分の1生活)』です。

3分の1生活って呼んでるのは、『そのままでもいいよ。そのままでも、豊かになれるよ』って生活のことを言ってるんですよ。」そう語る路子さんに、詳しく設定した経緯を聞くと、ひとり親家庭が直面している、厳しい状況が明らかになってきました。

じじっかの利用者の方50人にアンケートを取った際に、「母子家庭の人の今の収入はいくらですか?」という項目があり、結果は『8〜12万円』で、 平均すると10万円の人が8割を超えたそうです。

子どもが3~5人いるのに、朝から夕方までフルタイムで働いて10万円。

扶養手当・児童手当で数万入ってきますが、それでも厳しい。

お給料が入ってきても、次の日には支払いでなくなってしまう状況。

子供達のランドセルの中を確認する余裕もなく、消しゴムが入ってるかどうかも確認できず、提出書類を書くこともできず、徐々に不登校になっていくなど、悪循環に陥ることもあるそうです。

「時間もない、お金もない、心の余裕もないから、子供達には、怒ってしまう状態。私もそうだったんだけど、本当に途方に暮れる」と過去の自分の姿に重ねて嘆いていました。

では世の中はどうやって応援してくれるかというと、「土日にパソコン教室を無料で開催しますので、来ていいですよ」という案内が出るそうです。

月曜から金曜まで朝の8時半から17時まで働いて、そこから保育園に迎えに行って、夜ご飯作って食べさせて、風呂も入れて、子供を寝かしつけながら、「いっぱいやることあるのに」と思いながら、自分も一緒に寝てしまって、という暮らしをしていて、土曜と日曜にパソコン教室に3か月無料で通えるものの、そこにお金は発生しません。

例え『Excel2級を取りました』と履歴書に書いて転職しても、今の10万が30万になるかというと相当難しく、世の中は「転職するか、もっとスキルアップをするなら、それに対して、講座を作りますので、学んでくださいね」と言ってくれる。

病児保育(※補足②)についても、夫婦世帯は2000円払わないといけないが、母子家庭は無料。ただし母子家庭は、 預ける先がなく、病児保育に預けるしかない状況があります。

「無料にしてもらえるけど、『病気してでも、子どもを預けて働きに行け』ってことなの。子育ての教育も必要だし、『親はしっかり働け、とにかく向上しなさい。向上できない部分は、どうにかサービス作るよ』って言ってくれる世の中なわけね、母子家庭に対しては。

そこで「いや待って待って。なんで私達ばっかり向上しなくちゃいけないわけ?!」と。

「今の時点でもすごく頑張っているお母さん達なのに、なんでこれ以上頑張らないといけないの??」と思って、じゃあじじっかでは『今のままでも、何も変わらなくても、豊かになれる方法を探そう』って思ったんです。『収入を30万円にするために努力するのではなく、今の10万円でも、人と支え合えれば絶対豊かになれる』って決めたんです。」

そう語る路子さんの言葉に、ままならない環境への悔しさや解決への決意がにじんでいました。

※補足②病児保育とは

病児保育とは、「保護者にかわり病気の子どもを預かり、保育や看護を行なうこと」をいいます。

自治体などが実施する病児保育事業では、共働き家庭など保育が必要な子どもを対象とし、仕事を休めない親のかわりに看護師や保育士が子どもを預かりケアを行ないます。

引用元:(保育士人材バンク)【病児保育】とは?保育の特徴や料金、預かり基準をわかりやすく解説

現在行っている取り組み

現在じじっかでは、毎日の料理や洗濯など、各々の家庭が頑張っていることを少しでもシェアし合うために、洗濯を平日は一日中行われていたり、夜ご飯も分け合ったり、配達したりしていて、色々食材もいただいて、みんなで家計を軽減・節約していく活動をしています。

また、自分たちが今のままでも人と支え合えることで、豊かになるのに何が必要かを考え、『リリボンマーケット』という寄付と交換する仕組みを作ったり、『プラスアルファ就労』という働き方を作るなどされています。

例えば、野球を習いたいと子どもが言っても、月謝を払えない。送迎ができない。

それで子どもが夢を諦めるのは、違うと感じ、その月謝3000円をじじっかの仕事をしてもらって、じじっかがその3000円の月謝を払えるようにしたそうです。

お父さんに暇な時にちょっとしたごみ捨てのお仕事をしてもらって、対価として3000円を渡す、という働き方を提案して、送迎はできる人達でみんなでしたら、月謝を自分の財布から出さなくてよくなる。そうして負担を軽減し、今のままでも、人と支え合いながら豊かになる方法を見つけ出したら、それをプロジェクトにしていくそうです。

「今じじっかでは、そういった今のままでもいい、豊かになれるプロジェクトが大小様々に動いていて、プロジェクトを生み出すことが、100人の貧困世帯の脱出に絶対繋がっていくって思っています。向上していくんじゃなくて、『今のままでいい』って言える新しい生活スタイルを示したい。それが、3分の1生活です。 私たちは、支援団体とかじゃなくって、『生活スタイルを作り出している団体』になります。」 

路子さんが感じた取組みの成果

実際に取り組んでみて、見えてきたことや活動の成果についても聞いてみました。

『3分の1にしたい項目』を4つに分類にすると、以下のようになるそうです。

・お金

・時間

・ 子育てへの責任

・ 精神的なもの

これらのどこが軽減されたり、余裕が生まれたりするといいのかを考えていくと、例えば、「子供に習い事させたい」、「息子のバイト先に送るのが遠いから、近くのバイト先を探してほしい」など、お母さん達の小さな悩みを一つ解決すると、意外にもその4分類の2~3個が解決したりするそうです。

1つの悩み事に対しての心の負担が減る=時間に少し余裕ができるという形で、単に楽になっただけではなく、4つに分類したことで、大きく解決しようとせず、小さな悩みを1つ1つ解決することが、3分の1生活に繋がっていくということが見えてきたということです。

「人が背負ってるものって、大きいし、すぐには下せない。けど、1個ずつでいい、ちっちゃい1個、それをみんなで下ろす。 人に助けてもらう。うん。それしかない(笑)」そう言ってほほ笑む路子さんが、とても頼もしく私達には映りました。

ひとり親、ふたり親ではなく、7人親へ(ゼロプレイスづくり)の目指す姿

夜の街中にいる家族たち

もう一つの目標である、『ひとり親、ふたり親ではなく、7人親へ(ゼロプレイスづくり)』に関しても、どんな姿を目指しているのか、伺いました。

路子さんは、じじっかを始めて、ひとり親家庭だけでなく、2人親家庭も大変だということを知り、そこから「別に親の人数で、世の中カテゴライズされなくても良くない?夫婦揃っているからいいわけでもないし、ひとりだけが苦しいわけでもない。ひとり親です、ふたり親ですって関係なくない?」と感じたそうです。

「親って育てるだけじゃなくて、受け止めるとか、教えるとか、きつい時にそばにいるとか、色んなやり方があると思う。色んな親の関わり方がないと、子供だけ親だけでは育てられない、1人の親だけの価値観で子供を育ててしまうと、私は危ない。と思ってる。

だから、どんな子にも1人の子どもに対して血縁関係なく、7人ぐらい大人が愛情を持って、声をかけてくれる、困った時には助けてくれる環境を作りたい。地域子育てをしたい。

そう私達に熱く語りました。

じじっかの掲げる『自分流教育

じじっかさんは最近、教育方針を、『自分流教育』と定めました。

路子さんは子ども達とかかわる中で、偏った価値観や、閉鎖的なご家庭で育った子ども達とかが抱えている問題は、その思考から抜け出せきれなかったり、自分を責め続けたり、人を傷つけても何とも思わなくなってしまっていたり、多方面に屈折している点にあると感じたそうです。

「だからこそ、色んな大人に関わってほしい。本当の兄弟・姉妹じゃないけど、兄弟みたいな状態の環境が、やっぱ必要だと思ってて、その自分流っていう言葉で示せるのが、楓は楓の自分流というものを、一緒に大人と考える機会を作り始めたんです」

路子さん達は、来年から子ども達がやりたいこと応援してもらえて、人と比較せずに、「これが私だ」って、堂々と言える、学校では学べないことを学べる環境を『自分流教育』と呼び、そこに対して、大人が心から応援できる地域の学校のような場所を作っていくことを、次の段階として計画しています。

その自分流教育について、路子さんは確かな手ごたえを感じているようでした。

「今1番関わっているのは、中学生、高校生、25歳ぐらいまでの子達が中心ですが、かっこつけてるわけじゃないですけど、やっぱり子どもたちって無限大の力を持っていて、1年前と、今じゃ考えられないぐらいの子達もいます」

「不登校で、コミュ症でひきこもりだったイラスト好きの中学3年生の子が、自分流教育に携わってちゃんと高校も決め、外部から来たイラストの仕事を見事にこなして、バイトも始めて、8か月間で人前で発表するまでになったんですよ。そういう姿を見ると、ちゃんと向き合う大人がいるってことが子供達の更なる伸びしろになっていくことを感じました。」

そう目を細めてお話をされる姿が、本当に嬉しそうでした。

子ども達の発想は凄いが、一人では進めきれない部分がある。そこで大人の力と知恵を借りれば前に進むことがたくさんあるが、親も忙しく、それを真剣に聞いてくれる環境があまりないことを路子さんは感じていました。

「この一瞬に目をそらさずに、ちゃんと話を聞いて、こちらが言える最大限のことを伝えることの価値が、心に残らなかったとしても、どこかには根付いてるって信じていて。

私も自分の子育て中にもっと耳を傾けとったら…後悔はないけど、今この子達の声に、この子達と同じ土台に立って、考えて、そういう大人がいるってことが、大事ですね。

そこに対して子供達がどんどん伸びるのを本当に身近に感じる。嬉しくなってくる、だんだん「なんだろうかこの子?」「どんな力持ってる?」って思うぐらいになってくる。」

そう興奮気味に語る路子さんの声は、希望と喜びに満ちていて、子ども達の成長や変貌を心から喜んでおられました。

ガーベラの罫線イラスト

前編はここまでです。

後編では、クラウドファンディングを行って立ち上げた『リリボンマーケット』の現在の様子や、じじっかを現在も利用している楓さんに自身が制作した絵本について伺うなど、ぜひご覧になっていただきたい内容となっております。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

後編はこちらからです↓

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