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はじめに
障害者の方が、どのくらいの割合で結婚されているか、皆さんご存じでしょうか?
障害者が結婚している確率は、身体障害者60.2%、精神障害者34.6%、知的障害者2.3%となっています。
身体障害者の方は一般の健常者よりも高い婚姻率を出しています。
身体の障害は結婚する上で壁になりにくい状況と言えるでしょう。
一方、精神障害者や知的障害者は、結婚について障害が壁になる認識があり、低くなっています。
では、この障害者の既婚者の中で、お子さんを持っている方々はどれくらいいるのでしょうか?
調べてみましたが正確な数字はわかりませんでした。
あまり表立っては語られない、障害者カップルのお子さんや、子育てについて気になるニュースを見つけました。
それは、北海道江差町の社会福祉法人「あすなろ福祉会」で起こったことです。
障害者カップルが子育てすること、それに対しての社会の反応や、私なりの意見を踏まえて検証していきたいと思います。
あくまで私の意見なので、社会全体が求めるものと齟齬があるかもしれませんが、一意見としてお聞きいただければ幸いです。
知的障害のある利用者の男女が結婚や同居を希望した場合、同会側から、障害者カップルが子育てをすることの困難さなどを、家族同席のもとで説明。その上で、「子どもは欲しくない」との意向であれば、男性にはパイプカット手術、女性には避妊リングを装着するなどの不妊処置法を紹介してきたという。1996年ごろから、8組16人が不妊処置に応じた。
引用元:
参照元:
(障害者雇用Lab) 障害者雇用の人は【結婚】できない?結婚を目指す3つのヒント 2025年7月20日
私がこのニュースを知って思い出したのは、「青い芝生の会」の横田弘さんのことでした。

「善意」に隠れた無自覚な差別
50年前のある事件
およそ50年前に横浜市で障害児殺害事件が起きました。介護に疲れた母親の犯行でした。地域住民が同情して、刑の軽減を求める運動が巻き起こりました。
この同情の声に異を唱えたのが、脳性まひ当事者団体である「青い芝生の会」でした。
世の中の「善意に」に隠れた無自覚な差別を痛烈に批判し続けたのが横田弘さんです。
昭和45年に母親が脳性まひの娘を殺害した事件で、横田さんたちは「殺される側」の立場から世間に反発。介護の末にわが子を手に掛けた母親をふびんに思い、障害があるまま生き続けるより殺された方が幸せという考えを会の行動綱領で「愛と正義の持つエゴイズム」と表現し、否定。街頭でマイクを手に「私たちを殺すな」と訴えた。
引用元:
(産経新聞) 横浜障害児殺害事件から50年 無自覚な差別許すな、訴え続け 脳性まひ当事者団体「青い芝の会」2020年10月1日
このように、障害者自身の生きる権利が主張されました。命を授かること、授かった命をどう生かしていくのか私は考えるようになりました。
障害者が子どもを産む権利についてきれいごとでは済まされないとは思いますが、あすなろ会を擁護する多くの声にモヤモヤとした気分になりました。
社会として成熟した議論をしないで結論を急ぎ過ぎてはいないかと考えてしまいます。

「あすなろ会」の言い分
あすなろ会、樋口英俊理事長は、「障害者が出産を望んだ場合はうちは支援できない」と公言していました。
施設からの支援が受けられないということは過疎地である地域の特性上のため、自由な選択をすることができず、半強制的ともとれる発言だと思います。
施設側の負担も増大し、それに対応しきれず、やむを得ない処置だと擁護する人もたくさんいます。
確かに、施設側だけの問題にするには責任が大きすぎる気がします。児童相談所、保健所と連携して問題をクリアしていくことが必要だと思います
それに、障害がある施設利用者が出産、子育てをする法律は想定しておらず、厚生労働省は、この事件をきっかけに道の報告を受け、対策の検討に入るとしています。
知的障害者同士の親から、健常者の子どもが生まれる可能性もあります。遺伝の仕組みは複雑で、一概に言えないところがあります。もし、仮に健常者の子どもが生まれても、その子どもはヤングケアラーになる運命を背負わされることになるかもしれません。本当に子どもの幸せになるのか議論が分かれるところでもあります。
障害者は子どもを産んではいけないのでしょうか?
海外では、障害者も子孫を残す権利が認められ、なんなら性行為を行うときに介助してくれる国もあると聞きました。この話を聞いたのは私がまだ学生のときだったので今から20年以上も昔のことです。
スウェーデンでは知的障害者が子育てするための支援がいろいろあるようです。
外国では積極的に議論されているようですが、日本では法整備を含めてまだアンタッチャブルな印象があります。
確かに不妊処置をしていれば、50年前の事件の様に、母親が子を殺害する悲劇は防げたかもしれません。
しかし、障害は生まれてみないとわからないことが多いですし、一概に障害を持っているから子どもは持てないとするのは乱暴な結論のような気もしています。
参照元:
(日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW) ) 【声明】北海道江差町の社会福祉法人あすなろ福祉会における「不妊処置」に関する声明 2023年8月8日
(日本経済新聞) 障害者結婚で「不妊処置」、監査で実態解明へ 北海道 2022年12月25日
(日本経済新聞) 北海道江差町の福祉施設、障害者結婚は不妊処置条件 8組応じる2022年12月19日
(厚生労働省公式) 障害者の希望を踏まえた結婚、出産、子育てに係る支援の推進について 2024年6月5日
オッテセン=イェンセンの優生思想とその後 一一知的ハンディのある人の人生に与えた影響一一 朝団千恵
少し見方を変えてみましょう
障害者の家族形成とは
近代西洋医学は、障害を心と身体のエラーや、足りなさにし、個人が克服する課題と捉えます。
このような「医学的な見地が障害を個人のものにしてしまう」という考え方は、1970年代にイギリスで発祥しました。
これにより、社会に責任はないのか問われるようになりました。社会は責任を持って、障害者に不利益を被らないように対策を構築する必要があると考えられるようになりました。
医療は、目前の障害を抱えた人々の支援を出来る範囲でしているだけだといえるでしょう。
そこには、本来、障害者を社会的に排除しようという意図はなかったはずです。
医療現場で行われている障害者支援の間には、解決が難しい矛盾があるといえます。
表面上は障害者の家族形成に関する権利を認めながらも、真意ではそれを受け入れ難い、今の日本社会ではそう言えます。これでは、障害者の家族形成に立ちはだかる問題を整理し、解決することなどできないと思われます。
参照元:
障害者の子を持つ困難に影響を与えるローカルノレッ ジとしての医学的観点の解明 竹田, 恵子
このように、不妊処置は医療的アプローチで問題を解決しようとした典型的な例だったのではないでしょうか。社会の責任として問題を解決しようとはしなかった例に思えます。

正しい性教育の必要性
なにはともあれ、知的障害者カップルが子どもを持つかどうか決めるためには正しい性に関する知識と子育ての知識が必要になってくると思います。
全国で統一した教育プログラムがあるわけではありませんが、個別支援計画(サービス等利用計画)に基づく支援はされているようです。
正しい知識の元に子どもを育てるということがどういうことなのか、ちゃんと理解した上で障害者であっても子どもを育てる権利を主張した方がいいと思います。
どんな障害があって子どもを産みたいのか、それは個々のケースになりますし、どんなケースなら子どもを持ってもよいのかその線引きは難しいと思います。線引きは誰がするのかも議論がわかれるところだと思います。命の選別の話になりますし、優生思想とも言われかねません。
参照元:
(厚生労働省公式) 障害者の希望を踏まえた結婚、出産、子育てに係る支援の推進について 2024年6月5日

おわりに
大変難しい問題であると感じます。
両親が健常者であっても、子育ては大変です。しかし、障害者は本当に子育てはできないものなのでしょうか?
科学的なアプローチで障害をなかったことにするのではなく、福祉的なアプローチで障害者が生きやすい世の中を作っていくことは不可能なのでしょうか?
私自身、未婚で子なしの子育て経験のない女性ですが、実際のところ障害を抱えながら子育てしている方々に話を聞いてみたいと思いました。
障害者であっても、結婚、出産、育児ができる社会に必要なものとはなんなのでしょうか。
誰か、私に教えていただきたいものです。


noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。
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