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はじめに
夏休みなど、長期休みが明ける時期に、子どもの自殺が増える傾向にあることが分かっています。
休み明けがつらい、苦しいと感じているそんな君に、AKARIのライターから、メッセージを送りたいと思います。
「死にたい」と思った。けど死ねなかった。【salad】
私が初めて「死にたい」と思ったのは、小学校3年生の時。母親との関係が悪くて、いつもひどい事を言われていた。
「そんなにひどい事ばかり言うなら、死んでやる。死んで見返してやる。」と思っていた。
ある夜に遺書を書き、2階の窓から飛び降りようとした。
けど、実際に外に出て見たら怖くなった。
今考えれば自宅の2階程度の高さじゃ死ねないんだけど、当時はそれで死ねると思っていた。
それからずっと生きてきた。何回も、「死のう」と考えて、大人になって2回ほど本当に、実行にうつしたけれど、死ねなかった。
2回目が失敗に終わった時に、「もしこのまま死んでいたらどうなるだろう?」と初めて考えた。
まずは、お葬式。
友達が参列してくれるだろうけど、泣かせてしまうだろうな。小学校からの幼馴染だから、きっと心の傷になってしまうかもしれない。
私が傷つけてしまうんだ。
親や兄弟は、きっとお葬式の準備とかしてくれてるのかな。
お金がかかるのに、申し訳ない。私には貯金もないし、残せるお金もないから、大変だろうな。
愛猫のサラダさん。誰が引き取るんだろう?気難しい性格だし、もうお年寄りだし、もし保健所になんてことになったらどうしよう。
私が死んだら、残された人たちはどうなるんだろう。
そう考えるようになったら、自然と死にたいと思うことはなくなった。
生きるのがつらい。そんな時は逃げていい。
逃げ場所がないのなら、大人に逃げるのを助けてもらおう。
逃げて、逃げて。それでも生きてさえいればいい。
私からのメッセージ。
子供の自殺が増えているのと、私が死にたいと思った時【金次郎】
今年の春、中学の入学式を明日に控えた日に1人の女の子が自殺しました。
そこは、私が住んでいる団地の最寄駅の踏切ですが、駅前のお店の人によると、女の子は降りている遮断器の棒を自分で持ち上げて線路内に入っていったとの事。
電車は警笛を鳴らし、非常ブレーキを作動させましたが間に合わなかったです。
親御さんは「何故、あの子が死のうと思ったのか今でも分からない」と言います。
翌日から、団地自治会の依頼で小中学生の登校時間帯に、交代で踏切の見守りを行う事になりました。
私は、新卒で入社した会社を病気の為に休職しその期間内に病気を治せず「休職期間満了解雇」になり、住んでいたアパートを引き払い自宅に戻りましたが、父からの紹介で入社した会社でしたので、父から散々罵倒されました。
その時初めて「怒鳴られながら生きててもしょうがないか」と言う気持ちになり、自殺を考えましたが怖くて実行できませんでした。
幸い、母が父との間を取りなしてくれており、私に優しく接してくれていますので、何とか今も自宅で過ごしています。
更には母から「私たちも年老いて来たから、いざという時は貴方に頼るから頼むわよ」とも言ってくれています。
参考サイト
小郡市 踏切で女子中学生が列車にはねられ死亡|NHK 福岡県のニュース
不登校でも、ちゃんと大人になれるよ【piasu】
私が、中学一年生の時、初めて死にたいと思いました。
発達障害があった私は、特性のせいか周囲とうまく馴染めず、クラスで孤立しました。
これまた特性のせいで先生の言っている指示の意味が半分も理解できず、周囲に迷惑をかけていると思い込むようにもなりました。
みんなが悪口を言っている気がしました。
それで「死にたい」と思いました。
親に連れられて、精神科に行きました。
学校に行くことを、精神科の先生に止められて、私は「不登校」となりました。
不登校だった時思ったこと。それは「学校に行っておかないと、将来食べていけなくなる!」「今の私のせいで、大人になった時、苦労してしまう」「大人になった自分は苦労して、きっと中学生の今の私を憎むだろう」ということです。
そんな感じで毎日毎日、不登校の自分が原因で、大人になった自分が生きていけないのではないか?と恐怖していました。
しかし、20代になった今、私はすごく毎日楽しく生きています。
たくさんの人々の手を借りて、ここまで生きてきました。
仕事も持っていますし、なんとか今も食べていけています。
そう、あの時感じた恐怖は全て幻想だったのです。
いつだって、人生をやり直せます。
いつからだって、頑張れます。
根っからの不登校だった私が言うから、信ぴょう性はあります。
だから、「死」を選んでしまうくらいなら、「不登校」という道だって全然いいと思うんです。
だから、
死にたい君へ。
学校がつらくて、それで「死」を選んでしまうくらいなら、よかったら、不登校という選択肢も考えてみてね。
応援しているよ。
8月31日に向けて 【どんよりと晴れている】
夏休みももう終盤、宿題は終わりましたか?
私はというと夏休みのギリギリまで宿題をやらず、新学期になり、宿題を提供する授業が始まるときまでに宿題を提出すればいいと高をくくっていたので、9月に入ってから宿題やっているような子どもでした。皆さんは真似しないように。
長期の休暇明けになると気になるのは子どもの自殺率です。死んでしまいたいくらい学校に行きたくないのなら行かなくてもいいよと言える大人になりたいものです。
子どもたちの世界は狭い世界です。学校に居場所がないのはかなり辛い状況でしょう。
大人になればいろいろな価値観があることが分かります。とりあえず、今を生き延びて欲しいと感じるのです。
過去にこんな記事を書きました。青春とはさわやかで明るく楽しいだけのものではありません。皆さんも知ってのとおり、いろいろな困難に向き合わなくてはいけない時期でもあります。その困難により、自己肯定感が低くなってしまったり、自分なんかこの世に必要ないのではないかと自身のアイデンティティが揺らぐ時期でもあります。
そんな繊細な時期なのです。そんな気持ちをわかってくれる人は、特に大人は周りにいますか?
一番大切なのは、「あなたの命」です。あなたがあなたを守ってください。守っていいのです。
大人になれば、あなたが持っている小さな地図はだんだんと大きくなっていきます。
どうか、あなたの地図を広げてください。
あなたがいなくなって悲しむ人はたくさんいます。私も友人やクラスメイトに死なれてしまってとても悲しみました。
命さえあれば、何度だってやり直すことができます。
生きていくことはしんどいこともあります。しかし、そのしんどいことを乗り越えた先には人に優しくなれる大人になれると信じています。
そうやって命のバトンを渡して行きましょう。今のあなたのしんどさが未来の後輩たちを救うかもしれません。
夏休み明けで学校に行きたくない子ども達へ。いじめ、不登校だった私がこう伝えたいですー。 【翼祈(たすき)】
居場所がないなら逃げてもいい。
私は中学1年の時に、クラス全員からいじめを受けていました。それでも逃げなかったのは、部活という居場所を見つけていたから。中学で新しくできた友達は、全員部活で出会った人しかいませんでした。
私が本気で逃げたのは、大学時代。寮で嫌がらせを受けていました。夏休みが明ける前日に、帰省していた自宅から家出をしました。
寮での嫌がらせから退寮するも、その後中退し、引きこもり生活になりました。約10年間引きこもりで、20代はプライベートでの良い出来事はないのですが、それでももしかしたら近所の人が「あそこの子、定職にも就かず引きこもりだって」という直接私には言わない悪意も、聞こえてこなかったのかもしれません。
時の流れを早く感じたのは、引きこもっている間に、近所の小さかった男の子が中学生になっていた事でした。
今は学校以外でも、SNS社会なので、全く会った事ない人からも、悪い方に言われてしまうこともあります。私が中学の時は、学校裏掲示板とかあったらしいのですが、私がネットに入って行ったのは、大学時代からなので、いい意味で裏掲示板の存在とか知らずに過ごせました。
SNS世代の子ども達は、学校以外でも居場所がない子もいるのかもしれません。ですが、あなたを存在価値がないと決め付け、そうあなたに植え付ける様なところは居場所ではありません。あなたの価値が分からないこととか、自分の価値は人が決め付けるものなんかじゃない!
私はいじめや嫌がらせを受けても、部活や引きこもりで、その悪い場所から逃げてきました。あなたがあなたではなくなるのなら、逃げてもいいんです。あなたがそこに居心地の悪さを感じていたら、そこは本当の居場所ではありません。
私も逃げ続けた人生でしたが、今こうやってWEBライターとなって、自分の本当の居場所を見つけました。回り道したっていい、あなたが居なくなる選択肢が消えるなら、逃げてもいいんですよ。逃げた先に、私の様にようやく自分の居場所が見つかることもあります。
これは過去にいじめや不登校だった私からの経験談からの想いをそのまま綴らせて頂きました。
「死にたい」を思い留まらせてくれたもの【Pink】
私が初めて「死にたい」と思ったのは、高1の初めです。女子校だったのですが、グループの女の子達から仲間外れになった時でした。その後しばらくして夏休みに入ったのですが、「学校に行きたくない」「夏休みがずっと続けばいいのに。」と思っていたけれど、親が厳しかったので、学校を休む事も出来なくてとても辛かったです。
しかし、そもそも怖がりで、痛いことが苦手な私は「死にたい」と思っても実行に移すことは出来ませんでした。そうしているうちに、高校生活は過ぎて行き、中学の同級生に相談にのってもらい、高2のクラス替えで友人も出来ました。少しずつですが、前に進めたのです。
あと、「死にたい」を思い留まらせてくれたのは、母から聞いた、自分が生まれて間もない時の出来事を思い出したからです。私は産まれて2ヶ月で、肺炎の中の一つの病気になり、危険な状態でした。
その時、家には母と祖母しかおらず、祖父と父は仕事で不在。今のように携帯電話はなく、周りの助けで近くの病院に連れて行ってもらい、その後タクシーで大学病院へ行きました。
唇は紫色になり、呼吸も苦しそうなのにも関わらず、待っていたのは大勢の研修医。ようやく先生に診てもらえて、処置が行われ助かりました。もしその時助からなかったら、今の私は存在していません。「せっかく助かった命を無駄にするようなことは決してしてはいけない。」そう思いました。
生きていると「死にたい」と思うことはあると思います。もしそう思ったら、まず誰かに話してみませんか?そこが居たくない場所だったら離れましょう。無理をしてまで、学校に行かなくてもいいと私は思います。
命は大切なものです。また、世の中、生きたくてもそれが叶わない人もいるのです。だからこそ「死にたい」と思った時、答えを急がずに、周りを頼って下さい。私も頼ってもらえる人間になりたいと思います。
今の自分を受け入れる必要はない。ただ、私は「あなた」に生きてほしい。【蒼生】
思い詰める「あなた」へ。
顔も、事情もなにも知らない蒼生より。
死にたい、より、消えたいという感情を持っている「あなた」がいるかもしれない。
もしかしたら、自分のことなんて誰も分かってくれない。と感じることもあるかも。その考えは、私にはあっていると思う。実際、そうなんだよ。誰も、自分の痛みを分かってくれる人なんていない。
自分の痛みは自分のものだから。あなたの救いになるかはわからないけれど、音楽を聞いてみて。きっと寄り添ってくれるものがあるから。爆音で鳴らして、激しい曲でも、しっとり落ち着いた曲でも、あなたが聞きたいと思った音楽を探してみてほしい。
そして、今の自分をやり過ごしてください。
学校がすべてじゃないから。学校にいきたくてもいけない。そもそも行きたくない。
それなら別の居場所を自分で見つけてほしい。リアルじゃなくても、ネットでも良いと思います。あなたが生きれるなら、引きこもりでいいと思うよ。
将来を考えてつらい気持ちになったりしても、引きこもりつつ取れる資格や、仕事があるから。
そんな気力はないよっていうときは、しっかり休む時間で、それはとても大切な時間。
ぼーっとするのは、次の行動への準備。
休憩するのは、自分を大切にする時間。
私が敏感な時は、〇〇だしね。のしねにも反応していた。死とは意味が違うのに。
そんな私が、消えたいから死にたいまでに、気持ちを消化できた時にふと、降りてきた言葉がある。「人間、いつか死ぬんだ。健康でもちゃんと死に向かってる」
この考えがでたときに、当たり前のことなんだけど、自分の世界にひとつ花が咲いた気持ちになった。思わず声をだして笑ってしまったことを今でも覚えてる。
「あなた」もいつかちゃんと死ぬことができるから、それまでやり過ごして、良い感じに世界から消えようぜ!
「死にたい以上の感情」となったあの日:体験談【M.J】
あれは、約20年以上前M.Jが中学生の頃の出来事だった。
「学校に行きたくない!」「教師は絶対に信用できない!」と思い、あの日「自分の存在を消したい思い」しかなかった。
今でも、あの日のことを思い出すと次のような思いとなる。
「自殺」という思いよりも強い「消えたい」「お墓さえ要らない」感じにさせられたキツイ出来事のことだった。
基本的にM.Jはイジメられっ子だった。
「小学校で一緒の時の同級生」に加え「中学校で一緒の時の同級生」に毎日のように「イジメ」を受けていた。
「学校の先生なんか信じない」という気持ちがあったので、今も「生きていることができている」と思う。
かなり「ひねくれた考え」だと思うが、このような状況では必要だったのかもしれない。
【周りの人へのメッセージ】
「自殺という行動」は重い「背景」からの行動があると思うので、周りの人が自殺をしようとした「当事者の思いは受け止めてほしい」というのが願いです。
「自殺」をしようとする人の中には「追い詰められた状態」もあるので、「軽い言葉や対応」は本人の心には響かないと思っています。ぜひ、当事者目線で「重く考えてほしい」という願いがあります。
中には、「相談できないケース」もあるので「自殺の危険性があるメッセージ」が出た時、周りの人は気づいて動いてほしいと強く思います。
《例として:「皆さんありがとう。私は未熟で何もできませんでした」というメッセージが自殺のメッセージの可能性があります。》
言葉以外のもの「例えば:抱きしめ合いたい・ひたすら何かに夢中になりたい」といったことを周りの人に伝えられればと思います。
案外、言葉以外の方が良かったりすることもあるからです。
さいごに
今回の企画を思いついたとき、軽い気持ちでライターの皆さんにお声かけしました。
しかし、返ってきたのは皆さんの真剣な「思い」です。
わたしたちは、何かしらの障がいや生きづらさを抱えながら毎日を生きています。
そんな「生きづらさ」「働きづらさ」を抱える私たちだからこそ、届けられるメッセージだと思っています。
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