この記事は約 6 分で読むことができます。
「聲の形」
「聲の形」ってアニメ映画を観たとき気持ちわかるーって思いました。主人公の少年が周りの人間の顔に×印がついて見えてしまう。私もそんな青春でした。まあ、私の場合自分の顔にも×印つけていたけど。そんな自分が大嫌いだったけど、どうしようもなかった。どうしていいのかわからなかった。私にはそれがせいいっぱいだったなぁと。
そのときの気持ちを書いてみようと思います。
同級生の死
夏休みにクラスメイトが原付バイクで事故を起こして亡くなりました。彼はまだ17歳でした。
彼のお葬式のとき、彼の中学時代の同級生の女の子たちは泣いていました。私はというとなんか唐突なこと過ぎて不謹慎にも暗い笑みを浮かべてしまいました。同じクラスとは言え、喋ったこともないし、なんか泣くのも場違いな気がしてしまったから。泣きもしないクラスメイトの私たちを中学時代を知っている彼の友人たちはいら立ちの目で見ているのを覚えています。
後日、彼の両親が私のクラスに来ました。
息子の最後の様子を知りたかったでしょう。運悪く一番前の席だった私は父親と目があってしまいました。
後ろの席の方は彼の両親が来ているのに騒いだままで、その様子に両親たちはとてもショックを受けているようでした。両親にとっては唯一無二の息子です。それがこんな環境にいたのかと憤りを通り越して悲しかったに違いない。父親の憔悴しきった顔を見たとき、私は耐えられなくなって下を向いて泣きはじめました。他にも、泣いていたクラスメイトはいたかもしれない。でも、私にはわからない。ただ、私が本格的に泣き崩れそうになる前に父親たちは帰っていきました。一人でも息子のために泣いてくれる生徒がいたことが救いになったのかもしれないです。
秋の文化祭
秋になり、文化祭の季節になりました。仲の悪いクラスだったため、案の定、文化祭の準備なんて進みません。一人の男子生徒がこう言っていました。
「俺だって、あいつの死がショックで文化祭なんて気分じゃねぇよ」
私はそれなら彼の死を鎮魂するようなことを文化祭ですればいいのに、そういう発想はないんだねと思いました。彼だって短い生涯だったろうけど、いろいろな思い出があったはず、それをスライドショーかなんかにしたらご両親も喜ぶんじゃないのかなと。そしたら、このクラスは団結することができるかもしれない。
でも、私は何も言いませんでした。もし、それをやるなら勇気がいるし、そうとうの覚悟と情熱が必要になります。その時の私にはそんな気力がありませんでした。
そのとき、私もクラスメイトの顔に×がつきました。言い出さなかった自分も同じ穴のムジナです。私も私自身に×印をつけました。世界のすべてに興味がわかなくなり、自分自身もただの木偶の坊になり、ただただ時が過ぎるのを待つだけの存在になりました。
反抗期
クラスでは卒業するまで地味で大人しい目立たない存在であり続けようとしましたが、何をしても空気が読めずすっかり悪目立ちする生徒になりました。
体育祭では嫌な役回りを押し付けられ、ムカついたのでサボって映画を見に行ってしまうような問題児になり、
クラスメイトには「クラスメイトだけど友達じゃない。」
担任の先生には「成績が伸び悩んでいる」
同じ部活の子には「試合に勝てないのは努力が足らない、頑張っているように見えない」
と言われるようになります。
中学生の頃までは大人しいが真面目でいい子でそこそこ勉強ができる生徒だったのに、高校生になって完全にクラスに馴染めず、成績も下がり、部活もいまいちな生徒になってしまいました。
それはまるでアクセルを踏んでいるのに一向に前に進まない自動車に乗っているようでした。不完全燃焼で頭の中がプスプスしている状態でした。
自分では努力しているつもりなのに、結果が出ない。結果が出ないから努力が足りないと思うようになり、自分を責めるようになっていきます。さらにアクセルを踏み込みますが、エンジンが空回りするだけで、やっぱり前に進むことができず、自己肯定感が下がっていくばかりでした。
周囲からもサボり癖のある無責任な落ちこぼれに見られ、それに反発して反抗的な態度をとるようになります。それが空気読めない性格に加速をつけ、どんどんクラスで孤立するようになるでした。
卒業式
卒業式が終わった途端、顔がニヤニヤしてたまりませんでした。やっとここに通わなくていいんだと思ったら嬉しくて嬉しくてたまらなくて。私は本当にこの学校が嫌いだったんだなと自分で再確認、再認識してしまうほどでした。
早く家に帰って、お気に入りの服に着替えて、予約していたバイトの面接に行こうと思ってました。
面接に行く途中でクラスメイトとすれ違っても無視してウキウキ気分で街を闊歩していました。
終わりに
発達心理学者のエリクソンよれば、思春期とは「自我同一性の危機」を迎える年頃だと言われています。どんな人間でも多かれ少なかれこのような危機を経験します。
ここでの課題は「自分は一体何者なのか?」という問いです。自己を確立することにより、自分を受け入れることができます。
例えばずっと「良い子」であった子どもが自主性(自律性と自発性)を獲得しようとしたとき、反動的に反抗的態度が強く出ることもあります。
私もご多分漏れず、いわゆる「良い子」であった子ども時代から抜け出すために高校生時代は「悪い子キャンペーン」を張っていました。それが当時17歳の私の位置でした。
今思えば、ドラマやアニメのような爽やかハイスクールライフではありませんでしたが、それなり達成できたこともあったし、それなりに楽しいこともあったなと思えるようになりました。
そう思えるようになったのは、長く生きてきたからだと思います。
バイクで亡くなった同級生もクラスに馴染めず投げやりな態度や言葉を吐いていましたが、生きていれば私のような感慨に到達できたかもしれません。
今、苦しくて辛い学校生活を送っていると思っている子どもたちがいるのなら、そこから逃げていいから生き延びて、大人になってほしいと思うのです。
時間が経つと自分の地図も広がり、過去の見え方も変わります。
参考サイト
e-ヘルスネット 厚生労働省
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-002.html
→HOME
コメントを残す